七転八倒堂

【バレンタイン前夜】

　二月の頭にもなると、そこらここらで甘い匂いが立ち込めて、ともすれば吐き気のするぐらいの甘ったるさが肺を支配するわけだけれども。
「・・・・・・・・俺は変わるぞ、辰」
「・・・いきなり何ですか、脈略のない」
　ずっとずり下がった丸い眼鏡を押し上げながら、呆れた調子で聞いて来る辰羅川に犬飼冥は何年親友（自称）をやってんだ、とばかりに睨んだ。
「・・・睨まれても、脈略の無い事は変わりませんが」
　鞄を抱え直しながら、もみあげが、少しばかり暖かい風に流されているのを感じていい天気になりましたねえ、と辰羅川は一人暢気に空を見上げた。
「ここはアーケードだ、空なんか見えるか」
　当たり前のことを言われてつと視線を戻し。
「・・・ああ、アーケード内もバレンタイン１色ですねえ・・・・で？何が変わるのです」
　やっと本題に差しかかったセリフに遅い、と一言文句を言いながら、犬飼は女の子で群がる雑貨屋を見遣った。
「あれだ」
「・・・あれ？」
　辰羅川は犬飼が目線で差すそれに目を向けて、訝しそうに犬飼を見遣った。
「毎年恒例のあれがどうかしましたか」
「・・・・・今年は・・・受け取るぞ」
「・・・・なんとも犬飼くんにしてはテリブルなお話ですが。赤面症はお治りになったのですか」
「・・・・・・何の話をしてる？辰」
「・・・バレンタインの話だと思いましたが」
「・・・」
　犬飼は小首を傾げてどこが可笑しいのか探ってみたが、答えは出なかった。
「・・・そのバレンタインのコトだが、どうしたら、貰えると思う？」
「・・・貴方が逃げなければ無数のチョコに溺れるコトが出来るであろうことを保証しますが」
「・・・俺への愛が地球規模だったとして、それは有得ねえだろう」
「・・・・頭がどうにかなさいましたか？それとも風邪ですか」
「・・・俺はいたって正気だが。・・・あのバカ猿の事だから、もしかしたらそれくらいするかもな・・・・」
　犬飼がそう一人で納得したところで、辰羅川はようやっと歯車の狂った会話の原因に気付いた。
「・・・・猿野くんについてのお話ですか・・・・」
「ああ？何の話だと思ってたんだ？お前」
「・・・・・・・・・いえ・・・、うっかり忘れていた私がバカだったのです」
　バレンタインとは女の子の一代決心の賜物、・・・というかチョコレート会社の陰謀・・・と言いきってしまえばとても詮無いので、そう思うコトにする・・・・の行事なのであって、決して男からチョコレートを貰う日では無いので、うっかり犬飼のバレンタインの対象が恋人である猿野であるコトを失念してしまった。
「それでな？どうしたらアイツにチョコを貰えると思うか？」
「・・・・明美さんならば・・・、もらえると思いますよ？」
　きっとイベント好きの猿野の事だ、明美に扮装して微妙チョコを投げまくるに違いない。
「・・・・・それはそれでいいんだが」
　いいのかよ！と思わず辰羅川はキャラを忘れてつっこみそうになったが、それは心の中だけで留めておく。
（いやはや・・・最近は私も子津くんばりの驚き上手になってしまいましたね・・・）
　何度眼鏡を割ったことだろう。
「・・・俺は猿野に貰いたい」
　しかし、そんな相談をされても、男辰羅川は多いに困ってしまう。
「・・・・・・・・・・ええと。そうですね・・・」
　素の状態だと以外に照れ屋の彼のことだ。
　そうそう犬飼が期待するようなチョコは貰えないと思う・・・。
　と、そこまで思って、親友の変わりように目を見張る思いがした。
　確かに彼なら、犬飼の心の氷を溶かしてくれるかも、とは思ったが。
　性格、変わりすぎである。
「・・・・それならば。犬飼くんが彼にチョコをあげるというのはどうでしょう？」
「・・・・・・辰。俺は猿野からチョコを貰いたいと言ったんだが？」
「・・・ですから。犬飼くんがチョコを強調することによって、もしかしたら用意したチョコをすんなり渡してもらえるかもしれませんし、それでなければ、自分があげたチョコを食べろとでも言って、その中の一つでも『味見にくれ』とでも言えば・・・・」
　策士といわれた自分だが、どうしても、誤魔化しのような作戦しか思い付かない。
　普通の人ならば、怒るだろうなあ、と思ったが、それは幼少の頃から脳みその割合があんまりよろしく無いと認知している犬飼だけあって、それは喜ばしそうな顔で頷いた。
「ナイスアイディアだ！辰！！」
　本当にナイスアイディアだと思ってるのか、この駄犬は・・・などと思いつつ、辰羅川は早速お嬢さんがたの群れに突っ込んでる犬飼を憐れみの篭った眼差しで見遣った。
　彼は既に少女、お姉さんがたに黄色い悲鳴に揉まれて気絶していた。

「それでね、司馬くんのバレンタイン、どうしたらいいかな？」
　ワクワクと目を輝かせながら、そう訪ねて来る中学生チックな兎丸を見て辰羅川は溜息をついた。
「・・・・司馬くんならちゃんと受けとってくれるでしょう」
　いまいちセリフを理解出来なかったが、きっと彼は司馬にチョコをあげたがってるんだと思ってアンダーシャツを脱ぎながら、そう答えた。
「そんなの当たり前じゃん～！！それに僕達ラブラブなんだから、司馬くんは絶対嬉しそうに受けとってくれるよ！」
「・・・ならば何の心配をなさっているのです？」
　ぷうっと頬を膨らませた兎丸に、辰羅川は着替えのためにずれた眼鏡を直して、そう聞いた。
「だから～、司馬くんって誰にでも超優しいじゃん！僕はそこが心配なんだよね。女の子からのチョコも司馬くんなら受け取っちゃうでしょ？」
「・・・ああ、そういう事ですか」
　言われて、辰羅川は頷いた。
「そうなんだよ～。司馬くんは真面目だから断ってくれるとは思うんだけどさあ、『気持だけ受けとって』とか言われたら、司馬くん優しいから受け取っちゃうと思うんだよね。僕、それでも嫌だし」
「・・・・それで兎丸くんは・・・、司馬くんに受け取らないでって言いたいんですか？」
　兎丸がそう言えば、心優しい司馬は恋人のお願いをちゃんと通してくれるだろう。
「バッカだなあ。辰羅川くん。そんな司馬くん傷つけるようなこと出来るわけないじゃん！司馬くんはきっと断ることに胸を痛めるよ！！そんなの断然許せないね！」
　バカと言われて、そこまで彼のことが分かっているのなら、わざわざ自分に聞く必要なんて無いじゃないか、とそう思った辰羅川に、兎丸は可愛らしい微笑みで悪魔な発言をした。
「だから、女の子のチョコのツブシ方、聞いてるんじゃん！！」
　どうやら、兎丸の良心は司馬にしか働かないらしい。

「それでYo、どうしたら猪里にチョコ貰えると思うKa？」
　長年夫婦の虎鉄に犬飼のような質問を受け。
「どうした蛇神がチョコを食べれると思うのだ？・・・因みにいい案が無いと剃刀なのだ☆」
　思いもよらない少女趣味の鹿目に脅されながら相談され。
「一宮さんにチョコあげたいんだけど、どうしたらいいと思うかな～？」
　チョコを貰う側なんじゃあ・・・の長戸に赤くなりながらのろけられたりして。
「おい、辰羅川。無涯さんが喜ぶようなチョコって俺のアレでコーティングされたチョコだと思うよな？」
　芭唐の犯罪1歩手前な発言に警察に突き出そうかどうか迷ったり。
「お前は俺のワイルドバーが一番だよなぁ？」
　監督にセクハラされたりして。

「ホモばっかり！！何なんですか！！この部活は！！」
　怒り狂ったように犬飼のロッカーに足跡をつける辰羅川を見て、猿野が苦笑する。
「・・・まあまあ落ち付け、もみー。大丈夫だ、きっといいことある」
「・・・無責任に言わないで戴きたい・・・・」
「・・・あ、辰羅川くん。キャプテン・・・じゃなくて、牛尾先輩が今日の部活のことで呼んでたっすよ～？」
　部室にひょこっと現れた子津に、辰羅川は有難うございます、と礼を言って用具室に向かった。
「・・・流石にキャプテン・・・と牛尾先輩は違いますね・・・」
　最近、受験もあっさり片付いたから、と牛尾はよく部活に顔を出す。
　最初は、次のキャプテンに皆が慣れるまでは顔を出さなかったとか言っているのを聞いたが、最近は落ち付いてきたので、どうやら顔をだしているらしい。
　子津も相変わらず手をぼろぼろにしながら頑張っているし、猿野も部活に身が入って来た。
　ああ、落ち付く、と思いながら、呼び出した相手を発見して声をかける。
「牛尾先輩」

続く≫

≪new[3] NOVEL back≫

[0]TOP。