■【タイム・リープ〜凍結氷華U〜】■ 01

氷の大地に力強く咲く
一輪の華


【タイム・リープ】
〜凍結氷華U〜#1


最近また、暗い闇の夢を見る。
怖くて、苦しくて、吐き気がした。
記憶の中の切り取られた風景が、月に罰を、と迫る。
罰を。
罰を。
罪には罰を。
人殺しのお前に罰を。
無音の空間に音もなく轟く怨嗟の声。
月は、走った。
走って、転んで、それでも尚、呑まれぬよう。
(逃げなければ)
全身がせっつく。
(受け止めるんじゃなかったのか)
請うように、心が叫ぶ。
そして、ハッと目を覚ました。


「…眠れませんか」
「…うん。」
眩暈をおこした頭を押さえ、ゆっくりと起き上がる。
粧裕と相沢を捜すために総一郎達と別れてから、早1週間。
月達は今、和歌山にいる。
「…竜崎、代わるよ」
安全な建物の上に着陸させたヘリの中、やはり交代で休息をとっていた月は、力無い笑みを浮かべて寝袋から抜け出した。
この1週間、昼間は竜崎をヘリに残して捜索に出、夜はこうやって交代で休眠を取っていた。
「もう少し寝た方がいいですよ」
「十分寝たよ」
言いながら火の番をしている竜崎の隣に腰を下ろすと、暖をとるために被っていた毛布の裾を持ち上げたので、好意に甘えて明け渡された場所に潜り込むようにした。
小さく丸まるように体躯を畳んでいる竜崎の横に並んで座り、片膝を立てて腕を枕にすると額を預ける。
じわりと隣から滲む体温が、泣けるほどに暖かくて吐息を漏らすと、「横になってるだけでも違うと思いますよ」と竜崎が松田を起こさぬよう小声でそう告げた。
「…そうかもね…」
「目の下に隈が出来ています。…それ、私のトレードマークなんですから」
「トレードマークだったの?」
滅多にない竜崎の冗談に、くすくすと忍び笑ったが、声はむなしく音の無い夜に吸い込まれて行く。目の前の炎を暫く静かに眺めてから月は続けた。
「眠るのが怖くて…横にすら、なれないんだ、実は。…情けない、話だろ?」
あれだけ情け容赦なく、次々と人を殺していった殺人鬼が、今更何を、と誰もが口を揃えて言うだろう。
だが、あれだけ罪悪感の一つもなく、非情に非道に、罪のない者さえも必要な犠牲だと笑いながら葬り去った神経は、今は見る影もない。まるで太陽に近づき過ぎたイカロスのように翼を失い、地に落ちた気分だ。(最も、それが当たり前のことだけど)月は今、土の上で罪の意識から逃げ回っている。
「竜崎…ごめん」
「何が、ですか?」
視線を竜崎の横顔に向けると、暖を取るための赤い炎の陰影で、表情がかすかに揺らめいて見えた。
「和歌山から探していること、ですか?」
しかし、それはどうも月の勘違いであるようだ。己が揺れているから、相手もそう見えただけで、竜崎は端然とした面でゆっくりと月を捉えた。
「…そう」
どこから捜すか、その方針を決める際に、月は誰が何を言うよりも先に、「和歌山から」と口添えをした。最もらしい事を並べたて松田を納得させてから、竜崎を見やった。竜崎は「では、そうしましょう」と言ったけれど、本心は違ったはずだ。
本当は、伊出が見つかった長崎から、彼らの通っていないルートを重点的に、しらみ潰しに捜すべきなのだ。
生きようとするのならば、必ず人々は南に向かうだろう。それが定めと受け入れない限りは、残された物資を集めながら南に下りるしか術はない。
だとすればこの島国から脱出するのが先決で、最も大陸に渡りやすい長崎から海を渡るしかなく、徒党を組めるだけの人が残っていたのならば、既にそれは伊出が率いるグループに吸収されるか、既に大陸へと移っているかしかないのだ。ともかく、数えられるしかいないだろう生存者の状況を推し量るに、大きな非難場所を巡るしかない粧裕と相沢の足も、そう遅くはないとするべきだった。もう既に誰もいないと分かっている和歌山から捜すなんて、馬鹿げている。事実、人っ子一人、見つかっちゃいない。
なのに、月は咄嗟に「和歌山から」と口にした。
竜崎ならば、分かっていたはずだ。いや、分かっている。竜崎の間合いのとり方や目線の動きで月は確信した。
けれど、竜崎は「では、そうしましょう」と頷いた。
それは『L』である竜崎にとって、どれだけの負担を与える行為だったのだろうか。
「本当に…ごめん。お前がここに残ったのは…、生き残った人々を救うためだっていうのは、分かっているんだけど…」
もし、一日早ければ助かる命があったとしたら、それは竜崎の肩にかかることになる。けれども、月は動けずにいるのだ。
「…粧裕さんに会うのが、そんなに怖いですか」
「…ああ…」
この1週間、竜崎は何も言わないでいてくれた。
だからといって、それに甘えてこのままずっと引き伸ばすわけにもいかない。
「…どんな顔をして、会えばいいのか、分からない―…」
「…はい」
「…粧裕は父さんじゃない。今考えたら、どれだけ父さんに甘えきっていたのか分かるね。父さんに僕がキラだと告げられたのは、一重に父さんが僕の父親だったからだ…。僕には父さんが、粧裕ほどに僕のことを思ってくれていないと思い込んでいたし、いい子でなければ、その目にも留まらないんじゃないかと疑っていた。…けど、バカな話だよ。今になって親の無償の愛ってやつを僕は試したんだ。…憎まれるかもしれない、軽蔑されるかもしれない、怒られるかも、絶望されるかも…そうは思っていても…でも、本当は見捨てられるかもしれないなんて、ちっとも思っていなかったんだから…嫌になる」
吐き捨てるように言い切って、表情を見られないように両腕に顔を埋めた。
「けど、粧裕は別だろ…?兄妹だけど…、血のつながりはあるけど…、…」
「………」
言葉が途中で途切れた。竜崎はそれでも黙っていた。その沈黙が心地よい。
月が自分自身で納得する答えを出すまで辛抱強くまっていてくれているのだと、それだけ思っていてくれるのだと知って、励まされた。
訓告を送るのは、時に容易い。けれど、自分一人で探し出さなければならない答えというのも、世の中には存在する。そして今がその時なのだとばかりに、竜崎は何も言わずただ傍にいてくれる。
「僕はさ、竜崎。向こうで一度粧裕を殺そうかって考えた。それからこっちに来てからは粧裕を見殺しにした」
殺そうかと考えたのは、振り切ったもう一つ道の話だ。
メロに拉致された粧裕をこの手で殺すかどうか、真剣に考えた。もし、状況が少しでも粧裕を殺すことで万事解決する方向に傾いていたとすれば、月は粧裕をも殺したかもしれない。
「見殺しにしたのは、こっちに来て夢の中でだったけど、思い出すだけで体が震えるよ…」
「あの時の夢ですね?」
「…ああ。あの時僕は天上に浮かぶ透明の檻の中から地上を見下ろしていたんだ。そこに混乱にひしめく人々と、粧裕と母を見つけても、助けに行こうとしなかった。…檻を叩こうとすらしなかったんだ」
自嘲気味に笑ってから唇を噛み拳を強く握る。あの時、夢の中で粧裕が必死に「お母さんを助けて」と他人の身を案じたセリフを口にしなければ、月はあの檻を叩くことさえ出来なかっただろう。真摯な言葉に突き動かされて、あの時やっと叫ぶことが出来た。
あれは、夢だ。夢でしかない。
けれど、あれは本当に夢だったのだろうか、と月は今、疑っている。
時間を繋ぐ黒いトンネルなんてものがあったのだ。あれがトンネルの途中で見たこちらの世界の現実だった可能性があってもおかしくない。そうすれば、粧裕はあの時の冷めた目で助けようともせずに見下ろしていた月を目撃しているわけで…。
そこまで考えて違う、と否定した。それも一つの要因ではあるが、それが原因ではない。月が怖いのは、守るべき妹に、あれが現実で月の中の冷めた感情を知られたかもしれないということではなく、兄をキラだと知ったら、粧裕を犠牲にしようとさえした月にどういう態度を取るかということでもなく、夢であれ、現実であれ、月自身が自分本位な態度しか取れなかった、という事なのだ。
「…粧裕に会うのが、怖い。いつも甘えたで、我侭ばかりを言っていた粧裕が、…自分の身も省みずに、間違えずに、父さんと同じ道を行っているんだ。…羨ましいなんて思ってる、自分が…心底怖い…」
こんな世界で、父とも別れて、一人で…、羨ましいはずがない。月も突然にこの世界に放り込まれたが、竜崎が一緒だった。食にも寒さにも困ったことがない。そんな月よりも、粧裕の方が恵まれているはずがない。
「父さんと、母さんと、同じ血を引いているはずなのに、僕は妹も母さんをも見捨てて、父さんを苦しませてる。なのに、僕が腐っていると判断した世界の生き残りを、粧裕が…。…粧裕が、懸命に救おうとしてるんだ」
「なのに、僕は…」と胸にしこった苦しいばかりの感情を吐き出す。口調に不安と後悔と自分自身への侮蔑が滲んだ。
「…罪は償おうと思ってるだなんて、どの口が言うんだよって話しだよな。同じ口で僕はそれでも自分を優先させるって言ったんだから。…粧裕を早く見つけてやらなきゃ、安心させてあげなきゃって思ってる一方で、竜崎が長崎から粧裕を捜すんじゃなくて、和歌山から捜す案に乗ってくれたのに酷く安心した。もう、二人は関東にはいないと本当はそう思ってて…。…だからこっちから捜した方が時間が引き延ばせるなんて、僕は思ってしまった。今後に及んでまだ自分を優先させる人間なんだな、と思ったら…さ。……怖い…怖くて堪らないんだっ、竜崎」
身を焼くような衝動、というのだろうか。そのような消化できないものが胸のうちでとぐろを巻く。キラであった時、自分はなんて凄い人間なんだと思っていた。人の死を一身に背負って正気でいられる人間なんてごく僅かな筈で、それに耐えた自分はやっぱり選ばれた人間なんだと確信した。あのノートを使って、私利私欲に走らず人類を優しい方向に導ける、そんな凄い人間がこの世界に、他にいるかと、誇らしくすら思った。
でも、今省みてみれば、体重を落した、悪夢に魘された、あの1週間の方がよほどまともだったのだ。その後平気でいられたのは、心を欠いていたから。人としての心を棄てたからに違いない。
今でも犠牲や裁きが全くの悪だとは思わない。何かを犠牲にしたり裁きを与えることを悪だとするならば、人間はそもそも生きていけなくなる。
だけど。
けれど。
今になって罪の意識がどっと背中にのしかかる。
あの時、暗い布団の中で果てのない闇を凝視した。目を閉じることが怖く、しかし視界に映る闇もまた怖かった。だが電気をつけるというのは言語道断で、罪の形を明るみにだしてしまうのは更に恐ろしく、月は布団の中で凍えそうになる心と体を温めようと、闇をみつめたままただ呼吸を繰り返していた。
この手は罪で濡れている。
歯の根が合わず、カタカタと震えそうになるのをどうにか抑えて、唇を噛んだ。今、正気でいられるのは、隣に竜崎がいるからだ。
それで辛うじてもっている。
「ごめん、竜崎…」
キラであったことに、誇りをもてるように。
そう言ったのが随分と昔に思えた。
竜崎は「いいえ」と答えた。


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