■【らぶラブらぶ】■ 03

台所を占領したアーサーは気合を入れると、とりあえず、米を炊く事にした。
ざるに計った米を入れ、洗剤を投入し、鼻歌を歌いながら、もこもこと泡が立つ米を流水ですすぐ。
(量が多すぎたか?)
本に書いてある説明で洗剤を入れることが省かれていたので適当に入れてしまったが、どうやら少しばかり量が多かったようである。
手早く洗う、と書いてあるが、泡が立っていて中々洗い終えることができない。
(なんかあんまり手早くって感じじゃねーなー)
お茶を淹れる時のティーカップなどは自分で洗ったりもするからそんなに変な量は入れていない筈である。しかしやはり手早くというのには程遠い。
(もっと懇切丁寧に書いておけよな)
料理本はきちんと初心者にも分かりやすい『初めての料理』なるものを図書館で借りて来たが、それでも時々分からない用語などが出てくるから困りものである。
アーサーはなんとか米を洗い終えると、米を水につけておかずにとりかかった。なんでも料理といえば基本は肉じゃがに味噌汁らしい。あとはホウレンソウのお浸しで完璧である。
ギルベルトには初心者で融通が利かないと言ったが、初日のおかずとしては高得点と言った感じだろう。アーサーはにんまりと笑ってテキストを見下ろした。
そこにはほっこりとした肉じゃがの写真が載っている。
(べ、別にメインを肉じゃがにしたのは、好物を作って好感度を上げてやろうって思っただけで、あいつらの為じゃないんだからな!)
バイルシュミット家の兄弟が無類の芋好きという事は以前から知っていたが、だからと言って今晩のメニューにじゃがいもが入っているのは、別に昔のアルフレッドみたいに『美味しい!』と言って笑って欲しいとかいう下心では無い。ただ単純に自分の未来の為の行為であって、喜んで欲しいとかいう理由ではけして無いのだ。
(ほ、本当なんだからな!!)
アーサーは自分に突っ込みを入れると、テキストから目を離して味噌汁の用意にかかることに決めた。流石に『初めての料理』本だけあって、何から始めれば効率的なのかというタイムスケジュールが組んであるので楽チンである。
とりあえず出汁を取れと書いてあったので、アーサーはギルベルトが出掛ける前に一緒に用意した昆布を手に取るとおもむろに水道水で流し始めた。
(んん〜?どうなってんだ、コレ…)
カラーの写真付きのテキストの昆布は綺麗なものであるが、ギルベルトが置いて行った昆布には白い粉が付着していた。無いものがあるということは、綺麗にする必要があると踏んだのだが何故か洗っている最中にぬるぬるしてきだして、アーサーは眉間に皺を寄せた。意味が分からない。
(くそう…さっきからぬるぬるしやがって…俺なんか間違ったか?)
本には堅く絞った濡れ布巾で軽く表面の汚れを拭く、などと書いてあったが、薄く白いゴミがついていた場合の事は書いていない。汚れを取るなら洗う必要があると思ったのだが、何か違ったのだろうか。
洗えば洗うほどにぬるぬるが増してきた気がしたので、最終兵器タワシを使用してみたが、余計に酷くなっただけだった。アーサーはこういうものだと諦めて鍋の中に放り込んで火にかけた。
美味しい出汁を取る為には1時間水に浸しておいてね、などと書いてあるが、そんな悠長なことをしている時間はない。アーサーがバイルシュミット家を訪れたのは午後だ。しかも経緯の説明をしたり、逆にこの家の間取りやルールなどの説明を受けている間に結構な時間がかかってしまった。夕食を時間に余裕を持って仕上げる為には多少の事には目を瞑るべきだった。別に時間が無い時は水から中火で火にかけてもいい、と書いてあったのでそちらに従っても悪いわけではないだろう。
(えっと、次は肉じゃがの下拵えか…)
出汁をとっている間に、じゃがいもを丁寧に洗った。青い部分は毒なのだと書いてあるので、厚めに剥かねばなるまい、とアーサーは包丁を握った。
(しかし毒性があるものを食べるとか、なんつーチャレンジ精神だよ)
先人の心意気に尊敬するやら呆れるやら、ちょっと苦笑しながらアーサーはズバン!と皮の部分を叩き落とした。
「…?」
大部身も削れてしまったが、深く剥けた所は綺麗なクリーム色である。アーサーは納得して残りの皮も落とそうと包丁を奮った。
「…、まあ、仕方ねーよな」
結果として、1個目のじゃがいもは可食部がかなり減ってしまったが、初めての事だ。誰にでも失敗はある。
(やっぱり本の書いてある通りにやらなきゃダメだよな)
包丁を持った事が無いので、少し怖くて無茶をしたが、まあ1つくらいなら支障は無い筈だ。次は本にある通りにじゃがいもを持ってみた。包丁をあてて…
ザクッ。
(痛ってえええええええええ!!!!)
おもいっきり指を切った。マジで痛い。涙目になりながら指を咥える。教えて貰ったばかりの救急箱を開けると消毒して絆創膏を貼った。
(料理ってマジ危険なんじゃねーのか…)
誰もがこんな技術を習得しているというのか。裁縫の方がまだマシだ。刺した所でここまで血が出ることもない。
(料理って火も扱うしな、…かなりの修練が必要とみた)
アーサーは救急箱の蓋を閉めるとソファに背中を預けて溜息を吐いた。じゃがいもはまだまだ数がある。あれを全部剥かねばならないのかと思うと途方に暮れた。
(菓子の方が簡単だったのな…)
お菓子はまだいい。包丁とか火とか危険な事はそうない。オーブンを暖めて、突っ込んでダイヤルさえ回せば、後は終わるまで何もすることがない。
菓子作りだって料理というカテゴリーに属しているから甘く見ていた。ちょっと涙目になってしまう。
(痛い…)
ぐすっと鼻を鳴らしながら続きにとりかかる事にする。今日は休日だがルートヴィッヒは部活である。新人戦を前に気合充分といった所だろう。今日、家にいたのは家政婦訪問という個人的な事情があったから遅れて行ったようだった。だから他の奴らよりは運動量が少ないとはいえ、それでもアーサー含めて成長期であるし、帰宅時にはお腹も空いているに違いない。帰ったら、すぐに食べられる用意を家政婦もどきとしては遂行する必要性があるだろう。
(…よ、よしっ!?)
気合を入れて、包丁を握ろうとした所で『ボコン!じゅわわ〜〜〜!』という異音に気を取られ、ふと視線を音がした方に転じれば、鍋が沸騰しているではないか!
「わ!うわっ!!」
泡が噴き零れていて、コンロが大変な事になっている。アーサーは飛び上がると、急いでスイッチを消して、水浸しになった所を綺麗にしようと布巾を手にした。鍋を移動させて水気を拭き取ろうとした所で五徳に指が触れて再び飛び上がる。
「あっつううううう!!!?」
じゅっ!とか音がして慌てて腕を引く。今度は火傷した。もう泣きたい。
「くっそ…マジなんなんだよ…」
とりあえず、指を冷やしながらぐすんと鼻を鳴らした。何かもう挫折感バリバリである。未だかつて人生においてここまでの失敗と敗北感を味わったことなど無かった。これはとんだ難関である。
「はぁあああああ…」
アーサーは大袈裟に溜息をつくと、再び救急箱を取り出して軟膏を塗り、赤みがかった患部に絆創膏を貼った。水膨れが出来ていない事が唯一の救いだろうか。
(踏んだり蹴ったりだな…)
ここ数十分で傷が二つ。しかも昆布を沸騰させてしまった。沸騰させる前に出せ、と書いてあったのに、大丈夫だろうかと思案してアーサーは首を振った。頑張っているのだから、それなりに美味しい料理が出来ると信じたい。
たかがちょっと沸騰しただけだ。紅茶だってちょっとぬるくなったポットから淹れたってそれなりの紅茶になるのだから、些細な事に違いない…と思わないとやってれれない。
(ああもう、下手だと思われるのは癪だけど…断らなきゃ良かった…)
ギルベルトが所用で出かける前に、「マジ大丈夫かよ」「別に俺の方は今日じゃなくてもいいんだぜ?」と言っていたのを軽くあしらった少し前の自分を引き留めたい。
しかし、もういない人物を頼りにするわけにもいかないだろう。なんとかやり遂げるしかないのだ。
アーサーは目尻に涙を溜めながら勇気と闘志を振り絞って立ちあがると拳を堅く固めて、『やれない事はない!』と決意を新たにしたのだった。


それから再び指を切ったり火傷したりを繰り返しながら、なんとか夕食を作り終える事が出来た頃には、アーサーは疲労困憊していて、ぐったりとソファに転がる羽目に陥ってしまっていた。
結局、動きたくないくらいぐったりしているし、指の全てに絆創膏を貼る羽目になったが、それでも作り終えることが出来たという安心感から、ほぅっと息を吐いた。
(時間に間に合って良かったよな…)
特に皿を割ったわけでもなし、終わりよければ全て良しと言うではないか。途中煙がでたりもしたがそんなの取るに足らないことだろう。
指の事に突っ込まれたらリスに齧られたとでも言っておけばいい。
アーサーは重たい体を起してテーブルのセッティングにかかった。料理の方は散々だったが、テーブルセッティングにはそこそこ慣れている。
あとはよそうだけの状態にして、庭から薔薇を一輪だけ失敬して飾る頃には、緊張もほどけて微笑む事が出来た。
丁度いいタイミングで玄関が開く音がする。
「俺様のお帰りだぜー!」
ギルベルトの声が聞こえて、アーサーは迎えに行く為に部屋を出て玄関に向かった。顔を見て話かける。
「おかえり。ちょうど夕飯も出来て…、…ギルベルト?」
コンビニの袋を吊り下げたギルベルトが間抜けな顔から一転、こちらを見て絶句している。
視線は胸元から腰のあたりをうろうろとさまよっていて、その視線を追って見下ろすと、持って来たばかりの純白のエプロンが血とか醤油とかあと得たいのしれない緑のものとかで染まっていた。
(ああうん。確かにこれはちょっとびっくりするかもしれねえよな。)
流石に普通に料理を作ってこんなに汚れるはずがないというのは理解できる。
アーサーは慌ててフォローに回った。
「こ、これは何だよ、…ちょっと汚れちまっただけで鍋の中には血とか入ってないから大丈夫だ!」
「怖ぇ事言うなよ!!」
青ざめたギルベルトが叫んで、確かにと思いなおす。鍋の中に血が入っているとか言われたら普通は怖い。
「いや、だからだなあ、まあ上手に出来たから安心しろよな!」
「何言ってんだよ!指、絆創膏だらけじゃねーか!しかもなんだよ、この臭気!お前鍋焦がしたろ!つーかなんか料理じゃないっぽい匂いまですんぞ!!」
安心出来る要素が一つもねぇよ!!と叫ばれてむっとする。味見はしていないが改心の出来なのにちょっと疑り深いのではないだろうか。
「これは別にリス十匹に噛まれちまっただけで、切ったり火傷したりしたワケじゃないんだからな!それに、ちょっと焦げちまったところもあるかもしんねーけど、ちゃんと旨く出来たって!なんならちょっと味見してみろよ!」
「はああああ?!ちょっ!どこから突っ込めばいいのかわかんねぇっ!つか、お前は俺様を殺す気か!!ぜってー食べねえ!俺様は部屋で籠城する!」
じゃあな!と二階に向かおうとするギルベルトの腕を取るとアーサーは問答無用で足払いをくらわした。カークランド家の次期当主として育てられて来たアーサーだ。実はかなり鍛えられている。
ずべしゃあ!と転んだギルベルトの腕を取って軽くひねりあげる。下からギブ!ギブ!!という悲鳴が聞こえたが無視した。
「なんだてめえ。人が真心込めて作った料理をくえねえとかどういう了見だコラ」
「マジ痛ぇって!!!折れる!マジ折れる!!!」
会話にならないので仕方なしに腕を解放する。涙目のギルベルトを強制的に台所へ連行した。涙目になっているが、それがどうしたというのか。アーサーだって料理中に何度も泣きかけた。
「さあ、食え」
肉じゃがもどきを小皿に持って突き出すとギルベルトは僅かに身を引いた。ハンズアップしている両手に強引に箸と皿を押しつけて睨むと、諦めたように溜息をついて受け取った。
「…なんか所どころに赤かったり、黒かったりする所があるんだが…」
「人参と肉だろ?」
「いや、明らかに生肉とコゲ…いやなんでもないです。いただきます」
笑顔で固めた拳を上げて見せると、ギルベルトは観念した様子で箸で具材を摘まみあげた。
それにアーサーはほっと胸を撫でおろした。
せっかく作ったのに、拒否されるとか有り得ない。
初心者の料理だからって警戒しすぎなのである。
「お前ら兄弟ってじゃがいも好きなんだよな?…って!べ、別に、だから肉じゃがにしたんじゃないんだからな!本に書いてあったから作っただけで、お前らの好みなんて関係ないんだからな!」
「…イタダキマス…」
観念したような途方に暮れたような判別がつきづらい顔でギルベルトがぱくりと肉じゃがを口に含んだ。それをドキドキしながら見つめる。
昔、アルフレッド達にお茶菓子を振る舞った時もこんな風にドキドキしたものだ。
ギルベルトの口がモゴ…モゴ…と緩慢に動いた。そのまま暫くしてゴクリと喉仏が上下する。
「ど、どうだった?旨いだろ?!」
息せき込んで聞く。ギルベルトは青い顔をして口を覆ったかと思ったらそのままバタンと倒れてしまった。
「うおっ!?マジでどうしたギルベルト!って泡吹いてんじゃねーか!!!おい、ギルベルト!!」
思わず肩を揺さぶって病人を急に動かしてはいけない事に気付く。
「えっと、救急車?!」
慌てて電話に駆け寄って、110番なのか119番なのか迷ってアーサーは挙動不審に辺りを見回した。
「110?119?!110は警察だよな?!じゃあ119…っていや、消防だろ!、あれ?!救急はどこだ!」
焦って思考が空転する。そして更に焦りが募るという悪循環の中、慌てた頭に玄関が開く音が聞こえた。ルートヴィッヒだ。
「おい!救急って何番だ!?」
キッチンを飛び出して大声で怒鳴りつけるようにすると圧倒されたルートヴィッヒが「119番だが…」と答えてアーサーはハッとした。
(あっ!そういや消防と救急は同じ番号じゃねーか!!)
「サンキュー!!」
「ってちょっと待て!何があった!」
慌てて駆け寄って来るルートヴィッヒにギルベルトがキッチンで倒れた、とだけ答えた。
「はっ?!兄さんが?!」
ルートヴィッヒがキッチンへと向かい、泡を吹いて倒れているギルベルトに「兄さん!」と声をかけている傍らでアーサーは電話をかける。意識がないこと、泡を吹いている事などを告げて住所も告げた。柔らかい声で落ち着いて下さいと言われ、電話を切る頃にはだいぶ落ち着いたアーサーは必死な様子で声をかけているルートヴィッヒの肩を叩いた。
「今電話したから」
と声をかけると、硬い表情で頷いた。やはりここは年上がしっかりしなければなるまい。たかが2つ、されど2つである。
「すぐに来てくれるから、安心しろよ」
安心させるように背中を叩くと「取り乱してすまない」と謝られてしまったが、よく考えてみれば謝るべきはアーサーなのだ。恐らく原因はアーサーの手料理なのだから。
嫌がる人間に無理やり食べさせてはいけないと、アーサーは少しだけ反省した。


※昆布の白いの=旨み成分。


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