■【らぶラブらぶ】■ 04

… side ルートヴィッヒ …

泡を吹いて痙攣する兄を搬送して貰って後からタクシーでやって来たアーサーと共に帰宅する。
どうやら何か激しいショックを与えられた影響によるものだと医者は言っていて、命の方には別状がないらしいが、意識が戻らない事もあり、今日一日は病院で様子を見てくれる事となった。
体力に自信はあるが、精神的に疲れてしまったルートヴィッヒだったが、家に帰って原因に気付くと更にどっと疲れが押し寄せた。明日が日曜日で、しかも練習が休みだということが有り難くて仕方が無かった。
「………」
なんというか、言葉が出ない。
割れた皿と転がった箸、何か得たいのしれない物体と、この臭気。料理を食べたくらいでと病院で医者の説明を受けた時はそう思ったが、成程これならありうるかもしれないと嘆息する。
割れた皿を片づけようと屈んだ所でアーサーに止められた。
「危ないから俺がやるよ。お前は練習帰りで疲れてるだろ?ちょっと座ってろよ」
代わりに伸ばされた指先を見てルートヴィッヒはこめかみを揉んだ。
きっと兄はこの傷だらけの指を見てしまったに違いない。
(これは断りづらいな…)
生命の危険を感じるものではあるが、元は食材だ。高をくくって口にした結果ああなったのだろう。
(…丈夫な人なのだが…)
それを昏倒させるとは一体何をしたのだろう。
「…家事は得意だと聞いていた気がするが…?」
そういえば帰宅した時、物凄いエプロンをつけていたような気がした。今はつけてはいないようだが、救急隊員がアーサーを見てぎょっとした顔をしたのを覚えている。
頭痛をだましながら尋ねるとアーサーは「あ、うん」と説明をしだした。
「掃除もするし洗濯もする、裁縫も得意で、今着ているカーディガンだって自分で編んだものだから、家事は得意で間違いは無いと思うんだが、生憎料理だけは作る機会に恵まれていなくてな…」
家のコックを無視するわけにはいかねーし、といわれて、さもありなんと頷く。普通カークランド家のような立場の人間がそこまで出来ること自体が異例の事なのだ。
「あっ、でもな、茶菓子とかは普通に作れるんだぞ?アルフレッドは最近じゃ兵器だのなんだの言ってくるけど、昔は美味しいって沢山食べてくれてたし…」
それは判断に悩む評価だな、とルートヴィッヒは考えた。
昔は美味しいといっていた事が本当ならばどんなにいいだろうと思うのだが、目の前の惨状を見ると、『兵器』という表現があまりにもしっくり来る。
希望的には、美味しくあって欲しいと思うのだが、本能が激しくアラートを鳴らしていて、どうしたものかともごもごと言い訳を口にするアーサーを無言で見下ろした。
「だから茶菓子くらいしか作ることが出来ないんだけど、レシピ通りに作ってりゃそんな変な事にはならないと思って…」
しゅんと俯いた後頭部があまりにも寂しそうで思わず頭を撫でてしまった。見上げたアーサーの目が驚きにまんまるになっていて苦笑する。これではまともに怒れない。
(しかしレシピ通りに作っておいてどうしてこうなったんだ…)
塩と砂糖を間違えたというレベルの話しではない。
結局二人で床に散乱したものを片づけると、破片が落ちていなのを確認して、立ち上がった。
アーサーが「他の料理は大丈夫と思うんだが…」と言って来たが、恐怖の『肉じゃが』だと宣言された物体を目にした後では口にする勇気はでない。さりとて傷だらけの指を見た後では即座に断るのも悪い気がしてとりあえず味噌汁の蓋をあけてみた。
「………」
どういうことか、あり得ない匂いがする。一応見かけは普通のみそ汁だ。その色味も匂いに合わせて緑色だとかそういう事はない。
だが、確実に食してはならないという異臭がした。
アーサーは「出汁を取るとき沸騰させちまったけど…」とか言っているがどう考えてもその程度でこんな出来になる筈がない。
ルートヴィッヒは小さく唸ると鍋から視線を逸らせた。傍に置いてある空の消毒液は一体なんでこんな所にあるのだろうか。恐ろしくて考えたくはない。とりあえず見なかった事にして今度はジャーの蓋を開けてみた。ちゃんとまぜ返してあるが、全体的に艶がなく、なんかべっちょりしていた。これは生煮えのようだ。しかも僅かに洗剤の匂いがする。
「…アーサー…、仄かに洗剤の匂いがするんだが…」
「えっ?本当か?ちゃんとすすいだんだけどな…」
その時点でルートヴィッヒはパタンと蓋を閉めた。強い調子でアーサーの名前を呼んで向かい合う。
「アーサー、米は洗剤で洗ってはいけない」
「えっ!?」
「という事でこの米はもう食べられない。味噌汁の方も残念ながら食べられる匂いがしない。レシピ通りにやったと言っていたが、本当に本を見たのか?」
告げると「当たり前だろ!」と涙目で本を差し出して来た。多少古さを感じる本だ。どうやら図書館で借りて来たらしい。古いからなのか、初心者向きと題されてはいるが、あまり親切な部類とはいえなかった。しかし『美味しい米の炊き方』の項のどこにも洗剤を入れろなどという奇天烈な事は書いてはいない。
ページを捲ってみて、味噌汁の項にはちゃんと昆布は沸騰させてはいけないと書いてあった。確かに読んではいるようだが、どうして洗剤などをいれようと思ったのか疑問に思って聞いてみる。
「だって、手早く洗えって書いてあっただろ?洗うって洗剤をつけるんじゃねーのか?」
この様子では野菜も洗剤をつけて洗っていそうだ。ルートヴィッヒは一つ頷くと「食材は洗剤で洗ってはいけない」という至極もっともな事を真面目な顔で解説した。
「しかも米や昆布などは乾燥しているものだ。水に浸ければ当然吸収をしてしまう。野菜もそれほどではないが水分を吸収してしまうからな。当然洗剤を使ってはいけない」
最近は野菜を洗う洗剤などもあるようだが、基本的には水で洗うで事足りる。
「洗剤は口にいれてはいけないものだからな」
告げるとアーサーが顔を赤くして俯いてしまった。なんだか虐めているようで気分が悪いが失敗は的確に指摘しないと意味がない。
ルートヴィッヒは「誰にでも失敗はある」と告げてイギリスの頭を軽く撫でた。小動物やイタリアを連想させる何かがあって、自然に手が出てしまった。アーサーは年上だが、今くらいは目を瞑ってもいいだろう。それくらい項垂れていた。
「気持ちは嬉しい。今度作る時は、俺か兄貴か隣に立てる時にしてくれればいい」
告げると「ごめん」とアーサーが言う。鬼の生徒会長などと言われているし、実際そのような場面を見かけた事もあるが、個人としてはかなり素直な人間のようだ。そういえば、友達である本田がくすくすと笑いながら「あの人は不器用ですから」と言っていたのを思いだす。
「さて、それでは…何か食べに行くか」
ルートヴィッヒが簡単に作ってもいいが、それではアーサーの目の前で残飯を捨てる事になってしまう。食べられなくはなってしまったが、本人の目の前で処理するのはあまりにも可哀想だ。
アーサーは何か言いたげに顔を上げたが、すぐにこくんと頷いた。それを確認してから上着を取って外へと出かける。
とぼとぼと後ろをついてくるアーサーの体つきがとても華奢に見えてしまって視線を逸らす。ルートヴィッヒに比べれば皆華奢の部類に入ってしまうが、胸を張ってきちんと立っていないアーサーは特に小さく見えてしまった。どちらかというと尊大に振る舞っている事の方が多いので、あからさまに気落ちされるとどうにも落ち着かない。慰めてやりたいが、口下手なルートヴィッヒは何を言っていいのか分からない。
閑静な住宅街を抜けると多少賑やかなメインストリートへ到着した。下ばかり見ていて危なっかしいアーサーの手を取る。男同士で変な事だとは承知しているが、昔ルートヴィッヒが泣いてしまってどうしようもない時に、兄が無言で手を引いてくれていたのを思いだしたのだ。恥ずかしいが、言葉で表すことが出来ないならばせめて態度で表すしかない。驚いて顔を上げたアーサーに苦笑してみせる。ゆっくり手を引いて歩くように促すとアーサーの顔が赤く染まった。しかし振り払われる素振りはみせない。
ルートヴィッヒはアーサーの傷だらけになった手を引きながら思ったよりも小さな手に驚いていた。
全体的に華奢だが、手の方もほっそりとしていて繊細な作りのようであった。
(なんというか、男の手では無いというか…)
わざわざ観察したことは無いが、腕相撲などで手を併せる事はある。その時にもこんなに小さな手は見た事がないように思った。
(フェリシアーノや本田でさえここまででは無いと思うが…)
小学生の頃病気で2年遅れてしまったのだと言う年上の本田の手は、全体的に小柄なせいもあってほっそりとしてまるで女のような手だと思ったことがある。しかし、アーサーの手はそれを上回っているように思えた。
しかし、こんな所で『まるで女のような手だな』などと言ってはならないだろう。それが男にとって侮辱にしかならない事をルートヴィッヒは知っている。
そこで無言で手を引いて、ファミリーレストランの入り口で手を離した。
扉を引いてアーサーを先に通してからはたと思いつく。
ルートヴィッヒはほぼ庶民に近いのでこういう所にも抵抗はないが、アーサーは生粋の上流階級である。それをファミリーレストランなどに連れてきても良かったのだろうかと慌てて聞くと、首を傾げて「何でだ?」と不思議そうに聞かれたのでそのまま中に入ってしまった。
(店員も来ていたとはいえ早まったか?)
2名様ですか、と聞かれて席に通されてしまえば今更やめますなどとは滅多な事では言えない。しかし夕食時、店内にはそれなりに客がいて、それなりにうるさい。住宅街が近くにあるからか、家族連れが多いようであった。子供が歓声を上げて通り過ぎているのを見て、ルートヴィッヒは頭を抱える。客分としてではなく、家政婦としてやって来たアーサーにそんなに気を使う必要もないとは思うが、そうも言っていられない立場というものもある。チラリとアーサーを窺うと、アーサーはメニューではなく子供の方を見ていた。
「…すまない」
「?何がだ?」
謝るとまた首を傾げられた。ルートヴィッヒはしどろもどろになりながら「こういう所は慣れてないだろう」と告げた。
「…確かに慣れてはいねぇけど、だからといって嫌いとかじゃねーから安心しろよ」
「…うるさくはないか?」
「まあ多少はな…。でも」
子供は別に嫌いじゃない、と笑う顔は穏やかでルートヴィッヒは目を瞠る。どちらかというと理屈や理性の通じない子供は嫌いなものだと思っていた。
「意外そうな顔だな?」
それを揶揄るようにアーサーが口端を上げる。
ルートヴィッヒは慌てて首を振ってから、頷いた。
アーサーが「どっちだよ」と笑う。
「正直、子供は苦手だと、思っていた」
告げるとアーサーは「そうか」と頷いて続ける。
「確かに分を弁えないガキは苦手じゃねえこともないけどな。その分素直だろ?そこは嫌いじゃない」
特に赤子とかは見てて癒されるよな、とアーサーが言うのでマジマジと眺めた。
「まあ、母親とかは大変だろうと思うけどな」
「アーサーは赤子と接した事があるのか?」
問うと「まあな」とアーサーは頷く。親戚の子供だそうだが、生後間もない子供を抱いた事もあるそうだ。名をピーターと言うらしい。
「なんでも小さい頃の俺にそっくりなんだそうだが、あんなふにゃふにゃでやわやわな生き物と俺が似てるわけねーよなって思ったぜ。でも皆あれを経験してでかくなるんだから生き物ってのは面白いよな」
とアーサーが此方をじっと見つめて来たのでルートヴィッヒはうろたえた。
「なっ…なんだ…」
「ほんと無駄にでかくなりやがって…。もう少し小さいままでいいのになぁ」
それはルートヴィッヒを通して他の誰かに向けられた言葉のようで、しばし考え込む。
「…アルフレッドか?」
「…マシューもだが、あいつはアルと同じくらい身長もあるのにそうでかくなった気がしねえから不思議だよな」
言われて頷く。確かにマシューは物理的にはアルフレッドと同じだけの身長があるというのにあまり大きなイメージはない。肩幅も同じくらいあるのに、何故か威圧感を感じない。時には見失ってしまう事もあるのだから本当に不思議なやつだ。
話していると店員はメニューはお決まりでしょうか、と聞いて来たので適当に注文を通す。
それっきり会話の接ぎ穂を失って会話もなくただお互いぼんやりとした。
アーサーは子連れの家族をみていて、ルートヴィッヒはそんなアーサーを眺めていた。
短く切られた短髪に、特長的な眉毛。翠の瞳はぱっちりとしていて、よく見ると睫毛は結構長い。眉毛の濃さに比例しているのだろうか。それからすっと伸びた鼻梁。唇は薄いが形が良く、綺麗な桃色をしている。あとは顎のなだらかなラインに続き、細い首筋は喉仏を主張しておらず、頬のまるみなどは残っていてどことなく幼い印象を残した。
ルートヴィッヒはゆっくり瞬たきをすると、視線を順に下ろしていく。
きちんと最後までボタンの留められたシャツ。皺一つなく、これを自分でやっているのだとしたら、料理を除く家事が得意だという一端を垣間見る事が出来るだろう。シャツの上にはカーディガンを羽織っているが、言われなければ手造りなどとは夢にも思えない出来栄えだ。ゆったりとした作りのせいで、体のラインはよく分からないが、全体的にほっそりしているように思えた。
観察してみるといかにアーサー・カークランドという人物に興味が無かったかを知った。
鬼の生徒会長というイメージと尊大な態度で誤魔化されていたが、こんな小柄な体躯をしていたのかと思う。
それで思春期真っただ中の男共を締め上げているのだから大したものだ。良家の子息が集まっているとはいえ、みな出来がいいわけではない。カークランドの家名の威光があるとはいえ、纏めあげるのはそれなりに大変だという事をルートヴィッヒは知っている。
(実際アーサーが卒業したあとは中々大変だったからな…)
絶対権力を持ったアーサーが中学を卒業すると、その反動のように荒れたのだった。それを体験しているルートヴィッヒは兄達がしたことのない苦労を目の当たりにしている。
(まあ、アーサーだけの力では無いと思うが…)
アーサーにフランシスは1、2を争う名家であるし、遠縁であるローデリヒは今は勢いがそんなによく無いとはいえ、歴史ある家柄である。そこにエリザベータが続き、没落してはいるがアントーニョの家もまだまだ力を持っている。そこにイヴァンや王などがいれば荒れたくても荒れることができない…という所だったのだろう。それなりに派閥はあり、皆仲がいいというわけではないが、真正面からの衝突はルートヴィッヒが知る限り一つもない。
そんな恐ろしい面子で構成されている兄の学年は通常に比べると遥かに穏やかだ。アーサーだけの力では無いにせよ、学園理事の息子がいるというのはかなりの重石だろう。しかも鬼の会長ときたものだ。
(しかし、アーサーが家で力を無くしたと周りが知ればどうなるのだろうか…)
カークランド当主の息子である事は間違いないのだが、継ぎ目から離れてしまえば、威光は減る。しかも不当というワケではないがかなり力で抑えつけていた面もあって、アーサーが独自に処分する事が出来る会長という役を退けば、不満が一気に噴き出さないとも限らなかった。アーサーは最高学年でそろそろ会長の座を明け渡さなければならない。中学の時は卒業したとてエスカレーターで高校へと上るし、あからさまな事は出来なかっただろうが、今回は色々と事情が変わってくる。
(この小柄な体躯でやっていけるのだろうか…)
アーサーは病弱で体育などはまったく出ていないし、フランシスとは一緒にいる所をよく目撃するとはいえ、不仲なのは学園中の知る所である。そして鬼会長という事と、アーサー自身の性格の為か、友達という存在が本田を除いておらず、その本田は年齢が一緒とはいえ、学年が二つも下である。そして兄はともかく、アントーニョともあまり仲がよろしくないというのは致命的である。どうぞ報復して下さいと言っているようなものだ。
(…少し気を配っておかねばならないだろうか…)
ルートヴィッヒが気を配った所でどうにもならないだろうが、それでも無いよりかはマシだろうと思えて、生真面目に心の中で頷いた。
一対一のケンカならば兎も角、イジメやリンチなどは好きではない。
(しかも、ウチにいる事が知れれば、悪化の一途をたどるだろうな…)
アーサー自身もそうだが、その火の粉はルートヴィッヒや兄にも降りかかることになりかねない。気をつけるに越したことは無いだろう。
(…まあ、兄さんはフランシスやカリエドもいるし、なんだかんだでローデリヒもいることだし大丈夫だとは思うが…)
そして自分には本田やフェリシアーノがいる。しかもヒーローだと言って憚らないアルフレッドの存在もある。そんなに変な事にはならないと思うのだが…。
(兎に角注意だけはしておくべきだな)
アーサーをウチに置くという事は、保護した状態になったという事である。つまり、家族になったようなものである。
ルートヴィッヒは一人納得すると、運ばれて来た食事に手をつけた。


≪back SerialNovel new≫

TOP