■【Lovers】■
05
時間はその日の昼に戻って…。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 英 諍いの発端は、一本の電話にあった。 昼食時にかかって来たそれを、秘書の運んで来たサンドイッチに口に含みながら一瞥する。おもむろに鳴り響く着信音。イギリスを呼び出しているのはフランスだ。 「…げ。」 面倒な相手からの電話にイギリスは眉をしかめてから「あー、あー」と発声の確認をした。フランスとは望んじゃいないが長い付き合いだ。こんな事になってから少し高めになった声を意識的に抑えるようにはしているが、気を抜けば直ぐに気づかれてしまうだろう。微調整に務めて通話ボタンを押した。無視しても良かったが、仕事の話である可能性もある。それを無視するのは流石にまずい。 「なんだ」 『アロー坊ちゃん。つーかお前挨拶くらいしなさいよね』 「お前以外にはしてる」 『あーそーですか。まったく可愛げの欠片もないったら』 「お前に可愛いとか思われたら俺のお先は真っ暗だろ。で、要件は?」 『…お前ってほんと会話のセンスないよねぇ。…ところで、声どした?』 「………」 速攻でバレた。自分でも気づかない程度だと思ったのだが、自分自身と他人では受け取り方が違うらしい。 「別にどうもしちゃいねぇが。遂に耳まで腐ったか?」 『口の悪い紳士様だこと。自分じゃ気付いて無いだけで酒灼けしてるんでしょ?どーせプロイセンと酒盛りでもして飲み過ぎたんじゃねーの』 「…………」 そういうワケでは無いがそういう事にしておいた方が無難だろうか。 『で、プロイセンそっちにいんだろ』 頭の中で無難な逃れ方を考えていると、フランスが確認するようにその名前を出して来て、イギリスは動揺しないように勤めて平静に口を開いた。 「あいつに用なら向こうに掛けろよ。生憎俺は仕事場だ」 『だろうね。坊ちゃん融通利かないから』 「あ”?」 皮肉を言われてドスを利かせたが、フランスは長い付き合いだけあって、イギリスの機嫌なんて歯牙にもかけず続きを口にした。 『なあ、その辺の融通めいっぱい利かせてお前ら明日にでもドイツに来いよ。なんかイタリアも来ちゃってるし、会議の前哨戦も兼ねてって事で。今回は会議踊らせてる暇ないし、先によく話あってた方がよくない?』 まったくフランスらしい自己中心的な考え方である。 イギリスはこめかみに青筋を立てながら即座に否定した。 「いいわけねーだろ、バカ。こっちはもう最初のスケジュールで予定組んでんだ。中途半端に参加した方が纏まんなくなる」 いきなり自分勝手な事をと、眉間に皺を追加させながら不機嫌に返すと、フランスは「まあまあ」と華やかな声で笑った。 「この不景気にそんなじめじめした所にいたって仕事はかどんないって。お前の事だから実はほぼ詰めてんだろ?だからさ、プロイセンをお前の料理でひっくり返す前にこっちにおいでよ。お兄さんとイタリアが旨いもん食わせやるからさ。お前の辛気臭い顔見てるよりイタリアの間抜けな笑顔見てた方が気分も明るくなるって。せめて気持ちなりとも明るく…』 「くたばれ髭」 そこまで言わせて忍耐袋の緒が切れた。 通訳終了のボタンを押して舌打ちする。あの髭は自分を呪う為だけに存在しているんじゃないかと本気で思う。ささくれた気持ちで目の前の仕事の山を見詰めた。 (…アポイント取らない方が悪いんじゃねーか…) 融通が利かないのでは無い。先に連絡をくれれば都合をつけられるものを、人の都合を無視して来る方が悪いのだ。何が『ほぼ詰めてんだろ?』だ。ほぼ終わってるのは、予定通りに物事を進めたからだ。そして少しくらいは譲歩してやろうと朝から仕事を詰めているからだ。 (…バカバカしい) 少なくとも1日くらいは休みをとってもてなしてやろうだなんて、バカな考えだった。 確かにプロイセンはイタリアの空港がストライキを起こしたと言っていた。話し合いがまとまらないからと追い出されたとも。ここに来たのは消去法で残っただけだ。それだけだ。でなければ、ウチなどには来なかっただろう。辛気臭いのは自覚している。 そう再認識すると一気にやる気が失せた。 無理をしてまで都合を合わせて時間を取ったって、どうせ相手はイギリスに会いたくて来たんでも無い。行く所がなくて、寄っただけだ。 それなのに無理をして予定を合わせても、そんな事望まれていないのは明白だ。だって、イギリスに会いたくて会いに来たのではないのだから。 なのに、バカな事をした。自分だって忙しくて疲れるだけだ。 何を勝手に舞い上がっていたのだろうか。イギリスは皮肉に口を歪めて目の前に積んである書類の山を眺めた。バカらしくて笑えてくる。 こんなものは成り行きだ。成り行きに過ぎないが、少し予想外の行動をされて自分の立ち位置を見誤ってしまった。少し優しくされたくらい、何だ。最初から会議までの間の話でしかない。 会議が終わるまで、居心地をよくする為の、ただそれだけの行為に何を期待していたのだろう。 イギリスは深く息を吐き出すと自分の愚かさを押し潰すように目を瞑った。 瞳に感じた水気は気づかないフリをした。 それからは散々だった。イライラしているからミスは増えるし、ミスをするから余計にイライラする。悪循環だ。 こんな思いをしなければならないのなら、さっさと帰ってもらった方がマシだ。今回の会議を乗り切る手法としてプロイセンは必要だったが、我に返ってみればまだ手立ては残っているように思えた。 例えば、自分に魔法がかけられないのなら出席者全員に幻術をかければいい。その分イギリスが負うリスクは高くなるかもしれないが、それでも構わなかった。身体的な苦痛よりも精神的な苦痛の方がキツい。 そう結論付けて帰路につく。まずは庭にいる妖精さんに確認を取った。彼女達は浮かない顔をしていたがイギリスの頑なな様子に結局口を噤んだ。 そして、家に戻り、後はご承知の通りだ。 『お前といるの結構楽しいからな!俺様が直々に来てやってもいいぜ!』 プロイセンの言葉がぐるぐると頭の中を回る。それと一緒に胸がドキドキと高鳴った。一緒にいて楽しい、と言ってくれたのはプロイセンが初めてだ。幼い頃のアメリカや、日本にも似たような事を言われた事はあったが、こう面と向かって『楽しい』などと言って貰った事は無かった。直接的な好意を告げられて、胸が逸るのを止められない。 咄嗟に可愛くない台詞を吐いてしまったが、イギリスはとても浮かれている。この男は滅多に社交辞令を言わない。また来るというのなら、また来るのだろう。 イギリスは考え事に没頭しないように気をつけながらもそもそと夕食を咀嚼する。 本当はすごく嬉しかったのだ。今さらさっきの言葉の返事はしなおせないが、できれば少しなりとも与えられた好意に応えたい。 今のタイミングなら作ってくれた食事のお礼が妥当だろう。 素直に『有難う』だとか百歩譲って『旨い』が言えればいいのだろうが、それさえどうにも難しい。 嫌われるのは慣れているし、今更他人に好かれたいなどとは思っていない。それでも他意の無い好意を寄せられるのは嬉しかった。 過剰な期待はするべきでは無いが、今の関係を損なわない為の努力はするべきだろう。 その一歩として素直な感情を表したいとイギリスは思っている。 幼いアメリカに手料理を食べさせてから作る喜びというものを知った。 美味しいと言われた時の嬉しさは、今でも鮮明に思い出す事が出来る。それが余りにも嬉しくて、自分の性格というものを少々見直してみてもいいかなと思ったくらいだ。 ただ、実践しようとしてオーストリアに哀れまれた事は苦い思い出だが…。 (あれで粗食とかねぇだろ…) 自嘲気味に思ってプロイセンを見やる。「俺様マジ天才」とか自身で言っているくらいだからこれ以上おだてる必要は無いようにも思えるが、やはり自分で肯定することと他人に認められる事は別物だろう。 そう思ってイギリスはぐっと顔を上げた。なんと言っても自分は紳士の国だ。皮肉は大好きだが、礼を尽くせないという事は無い。 (さあ、言え!アメリカにだって『お前といると落ち着くよ』とか言えただろ!言える!出来る!やってやれない事は無い!!) そう自分を鼓舞して、恐る恐る口を開く。 「えーと、これ…の事だが…」 「ん?」 テレビの方を向いていた顔がこちらを向いて、イギリスは思わず胸元を押さえた。 (ヤバい、心臓がせり上がって来た気がする) ロシアは心臓を落っことしたりするが、一般的に心臓が体外に出てくる事はない。ただの錯覚だと言い聞かせて動悸を鎮める努力をする。 (大丈夫だ!もう声は掛けた!後は『結構旨いよな!』とかでOKなはずだ!そしたら向こうが勝手に喋るに違いない!) そう言い聞かせて、イギリスはやっとの思いで声を押す事に成功した。 「あー…、その、まだ残ってるか?」 (って違うだろバカーッ!!!) 「おお。まだ余ってるぜ。好きに食えよ」 「…サンキュー…」 イギリスは無理やり笑って台所へと避難して、がくりと肩を落とした。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 普 気難しい顔をしたイギリスと口論になった時はどうしてそうなったと驚いたが、まあ結果オーライといった所だろう。 プロイセンはテレビを見るふりをしながら僅かに口元を緩めた。 「アポ無しで来たら叩き返すからな」と怒ったように言って、それからへにゃりと笑った顔は有り体に言うと思わずギュッとしたくなる可愛さで、思いだすと相好が崩れてしまう。 (…手のかかるヤツ程可愛いってヤツか?) そう言われてみればイタリアもどちらかと言えば手のかかるタイプである。…何故だか手をかけさせてもらった事は無いのだが…。 (イタリアちゃんは直ぐにヴェストの方に行っちまうからなぁ…) 弟もなんだかんだ言ってイタリアちゃんの面倒を見るのは嫌いではなさそうだし、その点を鑑みると、兄弟揃って面倒なタイプの方が好きなのかもしれなかった。 (そういえばお坊ちゃんもあれで手のかかるタイプだよな) 迷子になったオーストリアを何度迎えに行ってやった事か。その度にちょっかいをかけてはハンガリーにフライパンで殴打されているのは最早、日常的な風景だと言っていい。 しかし、それが好みのタイプなどとは考えた事が無くて、プロイセンは挙動不審な様子で夕食を咀嚼しているイギリスをチラリと盗み見た。 (…恋愛とかについて考えた事なかったからなぁ…) フランスが右の蝶よ左の蝶よと言っているのはよく聞いていたものの、はっきりいってあんま興味ねぇなぁというのがプロイセンの本音であった。男として有体にエロ雑誌は好きだし、ソロプレイだってお手のものだが、ナンパしてまでやりたいという程のものでも無かった。 今回だってこんな異常事態でもなければ童貞を更新し続けていたであろう事は想像に難くない。 (もしかして俺様がこうだからヴェストもああなのか?) 最愛の弟は未だ清く正しい体の筈だ。性的な趣向はともかく。 (まぁでも特に困る事でもねぇしなぁ…) そんな事を考えながら食事を取る。無意識に「流石、俺様!マジ旨いぜ〜」と勝手に口が動いていたが特に合いの手は入らなかった。いつも入らないので気にはならない。 イギリスの家でも増えて来たドイツ式ウィンナーを口に運び「ヴルスト最高!」と高らかに笑いながらテレビを見るフリをしていたらイギリスがやっと口を開いた。 「ん?」 顔を向けると何かそわそわしながらイギリスが唇を開けたり閉じたりしている。 下手に促すと「何でも無い」と言ってしまいそうなので大人しく待つ。俺って大人だよなと心の中で自画自賛しておいた。 「あー…その………」 一体何がそんなに言い辛い事なんだろうかと思っていると、「これ、まだあるか?」と来たものだ。 正直吹き出さなかったのは奇跡に近い。 面持ちを保ったまま返事が出来たのもまさに奇跡だ。 人の機微についてだなんてそんなに鋭くは無いが、イギリスが言いかったのがおかわりの無心では無い事くらい、プロイセンにも分かる。 悄然とキッチンへと向かったイギリスを視界に収めてから喉を鳴らした。 「なんだありゃ」 恐らく言いたかった事は作ってくれて有難うだとか、旨い、だとかそんな所だろう。それが分かっていて水を向けなかったのはその間に笑ってしまいそうだったからだ。プロイセンはくつくつと忍び笑って目許に浮いた涙を拭った。 こういう態度を一度でも取ってしまえば、イギリスが殻に閉じこもってしまうのは目に見えている。子供とは得てしてそういうものだし、大人だとて傷つくのは平気では無い。 せっかくイギリスが勇気を持って口にしようとした事を笑いで以て潰してしまうのは忍びない。 (忍びねぇっつーか、勿体無いっつーか?) 恐らく今日告げた言葉で態度が軟化したのだろう。きっとイギリスはイギリスの思い通りに言えたとしたら、言い合いの最後見せたようなぐっと来る笑顔を見せてくれるに違いない。 彼(女)は老獪で食わせ者だが、個人としての性格は非常に可愛いらしいものも内包しているらしい。 それをもっと見てみたくて、プロイセンは空になった皿を取り上げるとイギリスの後を追った。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 英 「…なんでたった一言が言えねぇんだよ…」 キッチンに避難し、鍋の前でしゃがみこむ。大きく溜め息を零してやって来るのは自己嫌悪だ。 有難うとか、嬉しいだとか、ハードルの高い言葉を選んだつもりはない。 たった一言、料理の感想だけである。それだけでこの体たらくでは目もあてられない。 「…はぁ…」 よく考えてみれば、長年の個人的栄誉ある孤立のせいでスキンシップとは縁遠い世界で生きてきた。 フランスと大きくなったアメリカはからかってくるか、貶すだけである。大抵言い争いになるので素直な賛辞とは無縁の所にいる。シーランドについても似たようなものだ。 日本とは幾らか素直に接する事が出来ているはずだが、これは向こうのスキルに甘えているに過ぎない。「悪くねぇな」と言って「有難うございます」と笑ってくれる奴は滅多にいない。そういう風に受け入れてくれるのは後はカナダくらいだろうか。 そう考えるといい縁も持っているのだと気づかされるが、ちょっと極端である。だから今回はいい機会だと思って、早く立ち直って再チャレンジを図るべきである。 日本やカナダにだって素直に気持ちを表現出来たらきっと喜んでくれるだろう。 「…よしっ!」 気合いを入れて立ち上がった所で「俺様も二杯目突入だぜー!」という呑気な声がして慌てて皿によそう。お代わりを注ぎに来て皿が空では言い訳が出来ない。 (…うっ、注ぎすぎた…) しかし、今から減らす時間もない。逡巡した間に予想通りプロイセンが背後に表れた。 「おっ、気に入ったか?」 「お、おお…」 プロイセンがイギリスの持っている皿を目にしてそう言ったので、どもりはしたが否定せずに頷く事が出来た。 「どうだよ旨いだろ?」 「…ああ、そ、そうだな」 「だよな。また作ってやるから期待してろよ!」 「…楽しみに、してる」 そこまで答えて、自身に喝采を送りたくなった。何か言わされたような気がしないでもないが、やれば出来るじゃないか! 先ほどのは、少々躓いたに過ぎない。何事も最初はそんなものだ。 ほっとして頬を緩めていると、いつの間にかあり得ない格好になっていてイギリスは慌てた。 さっさと鍋の前から退かなかったのが悪かったのだろう。プロイセンが背後から手を伸ばして鍋を温めているではないか。 両腕に挟まれて、抱きしめられるような格好になっている。心拍数がどっと上がった。 (なんなんだよ!この格好は!) 思わず悲鳴を上げたいほどである。 しかしプロイセンは呑気に鼻歌なんぞを歌っていて、とても直ぐには解放されない雰囲気だ。イギリスは硬直したまま解放されるのをただ待つしか無い。 まるで心臓が耳の隣に移動したかのように、ドクドクと鳴る心音が五月蝿い。背中に感じる体温で火傷しそうな気さえする。 (何やってんだよ馬鹿ぁ!) しかし相手は火を扱っている。暴れる事も出来ずに目をギュッと瞑って耐えた。 「…イギリス」 「…なんだよ」 暫くして声がかけられて、かすれた声で返事をする。緩く瞼を持ち上げると、目の前に緋色の対があって息を飲んだ。次の瞬間、数秒、唇が重なった。 たかが数秒。 思わず後退りしようとしたが、プロイセンの腕の中だ。逃げ場は無い。そのまま足から力が抜けてずるりと床にへたり込んだ。 その後をプロイセンが追って来る。 顎を攫われて、今度は深く口付けられた。激しくはない。長くもない。 けれど心臓が止まるかと思った。 ゆっくりと離れた唇が耳元でダンケと囁いて、イギリスは奥歯を噛み締めて睨み付けつけた。ぶるりと体が震える。電気を付けていなかったキッチンは薄暗くて、それでも相手の光彩は捉える事が出来る。深紅の光彩がまともにイギリスを覗きこんでいる。炎の色にイギリスは飲みこまれそうになる。 この赤は危険だ、と本能が告げる。近付けば、火傷をしてしまう。 息を詰めて目を逸らすことも適わずに視線を交わしていると、 プロイセンは特に何も言わず、それ以上触れる事も無く、先に立ち去った。 イギリスは途端に息を吹き返して「はっ」と酸素を吸い込んだ。 鍋は何時の間にか火が消えている。 何時の間に。何時からプロイセンに見られていたのだろうか。 胸がどうしようも無く騒ぐ。先程の比ではない。 イギリスは「畜生」と声に出して涙の浮いた目尻を拭った。 ≪back SerialNovel new≫ TOP |