■【らぶラブらぶ】■
05
… side ルートヴィッヒ … 食事を終えて家に戻ると、勧められるままに浴室に足を向けて、ルートヴィッヒは息を飲んだ。 元々ルートヴィッヒも家事は好きで、似合わないと言われるだろうがクーヘンなどを作るのが趣味である。掃除も好きでいつも綺麗にしているのだが、なんだかいつもよりピカピカしていた。恐らくアーサーが磨いたのだろう。 舌の方は先程のファミリーレストランで「何だこれ、旨いな。一流シェフが作ったのか?」などと可哀想な事を言っていた事からも、大分可哀想なことになっているのだなと推察されたが、その他は及第点は軽くクリアしていると言っていいだろう。 …家には本物の一流シェフがいるだろうに、何故舌だけあんなに残念なことになったのかは今のところ不明であるが…。 (でないと、アレを他人に食わせようなどとは思いつかないだろう…) ルートヴィッヒは軽く頭を振っておぞましい記憶の残像を振り払うと、ふかふかのタオル類が置いてあるのを確認してそっと息を吐いた。兄弟以外の懐かしい他人の気配に、ほんの少し前に旅立った故人の事を思いだす。祖母のような存在の家政婦は大分高齢であったので、ここ数年は殆どの事を自分達の手でやって来た。であるからして、こんな風な小さな気配りは幼い頃以来である。 勿論、兄とて掃除だってしてくれるし、頼めば風呂に湯を張ることくらいはする。しかし普段はお互いシャワーで済ませてしまうし、着替えは兎も角、バスタオル類が用意してあるのは本当に久方ぶりで、それは懐かしく暖かい記憶をくすぐった。 ルートヴィッヒには母の思い出が無い。自分を産んでしばらくして亡くなってしまったのだ。 父は社長という役柄にある為、あまり家には帰って来れず、ルートヴィッヒと兄を育てたのは実質件の家政婦であった。その思い出をしみじみと思いだしながら湯に当たると、何だかくすぐったい思いに駆られてしまった。 料理は壊滅的だが、ちょっとした細かい事でも気にかけてくれる存在がいるというのは嬉しいことであるとルートヴィッヒは思う。 それがあの鬼会長で、その上あの財閥の息子だというのはきっと些細なことだ。 そもそも家政婦を自身の祖母のように扱ったりと、人間関係においては規格外の事は慣れている。 (フェリシアーノや菊もそうだしな…) フェリシアーノも菊も長い間続く屈指の名家で出である。それなのに、フェリシアーノといえばいつも能天気に笑って、何かというとルートヴィッヒを頼りにしてくるし、菊も年齢が二つも上であるが、普通に友達だ。今更アーサーがどのような身の上でもあまり気にならないし、するべきでも無いのだろう。目の前にいる相手と自分の関係性だけが、そこにあるものだ。 ルートヴィッヒはめまぐるしかった一日をそう結論づけて、風呂から上がった。 服を着て頭を乾かし、リビングに戻るとアーサーがいない。部屋に下がったのかと思ったら、キッチンで音がしたので覗いてみると、いてはならない所に、いた。 「…キッチンは俺か兄貴がいる時のみと言った筈だが?」 顔を上げたアーサーが驚いたように目を瞬かせた。じっと凝視されて居心地が悪く眉間に皺を寄せる。しかしアーサーはルートヴィッヒの渋い顔などものともせずにフッと笑った。 「なんだ。お前もそうしてりゃ歳相応じゃねーか」 「?」 意味が分からなくて首を傾げると「前髪」と言われて思わず頬を熱くさせた。 家にいるので油断した。中学に入った時から舐められないように髪を後ろに撫でつけるようにしていたというのに…。…それに、この髪型が自分の体格とあっていない事は鏡を見れば一目瞭然で、ルートヴィッヒはアーサーの視線から逃れるように顔を逸らした。 「こっちのが可愛げがあるのにな」 「俺に可愛げがあっても気持ち悪いだけだろう」 バカにされたような気がしてムッとして言うとアーサーは「そんなことねーよ」と笑う。 「可愛いってだけで大目に見て貰えることもあるんだぜ?」 それはアルフレッドの事を言っているのだろうか。確かに中学に入ったばかりのあいつはもっと可愛い顔立ちをしていた。 だがそれと一緒くたにして貰っては困る。世の中には混ぜてはいけないものもあるのだ。 ルートヴィッヒは幾分不貞腐れながら揶揄るように口を開いた。 「それを言うならお前自身がそうすればいいではないか」 「は?俺?」 「可愛い顔立ちをしているぞ。体つきも華奢だし、にっこり笑って愛想を振りまいた方が得るものは多いのではないか?」 「…何で俺が他人に媚びなきゃなんねーんだよ。気持ち悪い事いうな」 アーサーがげんなりと言って「最初に言ったのはお前だ」と反論するとおざなりに「あー俺が悪かったよ」と軽く流された。 そのまま追い立てられるようにされてリンビングへと赴き、ソファに身を預ける。アーサーがポットからお湯を注いで紅茶を淹れた。 ふわりといい香りがして、ルートヴィッヒは鼻をひくつかせた。刺激臭はしないし、目の前で淹れていた手順を見る限り何の問題もなさそうな紅茶だった。 ほらよ、とカップを目の前に置かれて凝視する。アーサーは苦笑して「俺の紅茶は凄く旨いんだからな」と自分のカップを手に取ると口をつけた。 ファミレスの食事を一流シェフ云々と言ってしまう舌である。その『旨い』がどの程度のものかは想像に難くないが、確かにとても良い香りがした。先程まで漂っていた異臭とは全く別のものである。 ルートヴィッヒは恐る恐る紅茶を口に含んだ。その瞬間広がった薫りに驚いて目を瞠った。 「どうだ、旨いだろ?」 ふふんと得意げに笑われてルートヴィッヒは素直に頷いた。 「ああ、旨い」 「………」 急に静かになったので紅茶から目を離してアーサーを見遣ると視線を逸らしているアーサーの目許が僅かに赤い。あれだけ自信満々に言っておいて、何故照れているのだろうか。よく分からない奴である。 「俺は紅茶はあまり飲まないが、これはいいな。ほっとする味だ」 カップを傾けてから「疲れが取れるようだ」と言うと慌てたようにアーサーが声をあげた。 「べっ、別にお前の為じゃないんだからな!」 「は?」 「お前が疲れているから淹れたっていうわけじゃなくてだな!め…迷惑かけた詫びも出来ない奴だと思われるのが嫌だから詫びの印として淹れただけで、お前の為じゃないんだからな!自分の為なんだからな!」 「…そ、そうか」 圧倒されて思わず頷いたが、そんなに意気込んで言うような事だろうかと頭を悩ます。 紅茶が詫びの印というのは分かるのだが、だとしても『さっきは済まなかった』でいいだろう。何もわざわざ『お前の為じゃない』などといわずとも済む話である。 (よく分からん奴だ…) 首を傾げつつ飲み干して一息つく。ふと茶器が見た事のないものである事に気がついた。 「こんなカップがうちにあったか?」 キッチンは全て把握しているつもりであるが、こんなティーセットは見た事がなかった。 「ああ、それ家から持って来た。俺の愛用だ」 「…あのトランクの中に入っていたのか?」 問うと、簡潔に「ああ」と答えが帰ってきた。アーサーはトランク一つでこの家にやって来たのだ。まあまあの大きさのトランクではあったものの、学生服や私服などを入れればすぐにいっぱいになってしまう代物でもある。数日しか滞在しないのなら大きすぎると言えたが、これから一年近く暮らそうというのに、場の取る茶器などを入れてどうするつもりなのだろうか。 (…まあ、当面はトランク一つで事足りるだろうが…) もしかしたらまた持ってくるつもりなのかもしれないし、買いたすつもりなのかもしれない。 「茶器はやっぱり気に入りのものじゃねーとな。使い慣れてるし、愛着もある」 言われて頷く。確かに道具が変わってしまうと勝手も変わってしまうものである。なるべくなら使い慣れた最上級の気に入りのものを使いたいというのは人情であろう。 アーサーはルートヴィッヒに向けて小さく口角を上げて見せるとティーカップを回収した。 「まあ、とりあえず、茶を淹れる時と片付けくらいはキッチンに立たせろよ」 じゃねーとここにいる意味無いしな、と続けられてルートヴィッヒはちょっとだけ考えてから了承の意を告げた。 危険物とはいえ、指を傷だらけにしながら一生懸命作ってくれたものだ。アーサー自身に処分させるのは可哀想だと思っていたが、既に何の痕跡も無いくらいに片付けられていた。この分ならば片っ端から皿を割って行くということも無いだろう。 茶器を盆に載せて立ちあがったアーサーの後を追い、片付けを手伝うと、アーサーが「いいのに」と苦笑した。だが、性分だ。仕方ない。 ルートヴィッヒはティーセットの一式をふきんで拭きあげると、明日の約束をしておやすみを告げた。 … side ギルベルト … 「あー、酷い目にあったぜー」 「わ、悪かったって言ってんだろ!」 病院の外に出て背伸びをしながら言うと、アーサーが怒ったようにそう言った。なんというか、謝っているとは思えない態度である。 「何度も言うなよ、女々しい奴だな…」 「いや、まだ二回目だし」 速やかに訂正すると、アーサーはぐっと詰まった。真実をつきつけられたくない側としては何度も聞きたくないかもしれないが、被害を受けた側としては後3回は言わなければ気がすまない。なのに二回目で女々しいやつなどというのは聞き捨てならない台詞である。 ギルベルトはふん、と鼻息をついて考えた。 死の予感がぷんぷんするブツを強引に食べさせたのはアーサーで、しかもこの態度である。これは何か詫びをして貰わなければ割にあわないだろう。 「つーワケで、今日はお前の奢りな」 「ハアァ?!何がだよ?!」 「兄貴?」 病院からの帰り道。徒歩で駅へと向かう最中に思いついてギルベルトは一つ頷いた。 「どーせ外に出ちまってんだし、今日はこのままぱ〜っと遊びに出ようぜ!ルッツ、お前今日部活休みだろ?」 「午後はフェリシアーノと約束があるのだが…。というか、」 「なんだよ、フェリシアーノちゃんと予定があんのかよー。で、アーサーお前は何も無いよな?」 「…何で俺の予定が無いと決めつけんだよ」 あのまま弟に喋らせると説教が始まりそうな気がしたので、ざくっと遮ってアーサーに話題を振った。 アーサーに不快そうな顔で睨みつけられたが、ギルベルトは特に気にせずに口を開く。 「いや、だってお前友達いねぇじゃん」 「いるっつーの!!本田とか!!」 「本田だけじゃねーか。それにウチに家事にし来てんだから、実家の用もねーだろうし、日曜ぐらい気分転換に遊びに行ったっていいじゃねーか。な、ルッツ」 「…気分転換は構わないが、さっきの…」 「ほらなー!気分転換は必要だって!特に差し迫った事もねーんだから、ちょっと街に遊びに行こうぜー。ついでに足りないもんあったら買うのつきあってやるからよっ。お前荷物少なすぎだぜ!」 「うるせーよ。必要なものは持って来てる。特にいるもんなんてねーし、俺はいかねーぞ。遊びに行きたいならフランシスとかアントーニョ誘えばいいだろ」 「フランシスはデートだし、アントーニョはお兄様と約束があるんだと。一人楽しすぎるぜー!」 いつもの通りにいつもの台詞を高らかに言うと、アーサーが小さく溜息をついた。 「仕方ねーなー…。で、何しに行くんだよ」 券売機の前で街方面の切符を二枚購入するアーサーにギルベルトはケセセッと笑ってみせる。一人楽しすぎるのもいいが、たまには他人と一緒といるのもいい。 「んなコト、電車の中で考えればいいだろ。とにかく街に出て腹ごしらえしよーぜ。っと、もう電車来るじゃねーか、ちょっと走れよ!」 「うわっ!急に引っ張るんじゃねーよ!」 ベルの音が鳴ってアーサーの腕を取って走り出す。背後で「兄貴!」と弟の咎めるような声がしたので、 「ほどほどにしておくって!」 と、ギルベルトは笑って振り返ると、滑り込んで来る電車に間に合うように改札を抜けホームへと向かった。 ≪back SerialNovel new≫ TOP |