■【この闇に沈む】■ 06


◆ 5話 


今日も夜明けを前にして鎧戸が軋んだ音と共に閉められた。
そろそろ寝ますか、
先日、真夜中のお茶会を経た後そう言って早々に遮光の為に鎧戸を閉めたのは彼だ。
流石ハンター、よくこちらの習性をご存知で。そう皮肉めいた言葉を口にする前に胸の内で消化してから月は苦々しい思いで眉間に皺を刻んだ。
ああ…、と反射的な思考を否定する。確かに彼がハンターで、この体を戒める手首の鎖のように月が知らないような事まで知っているのは事実だが、吸血鬼が光に弱いなどと云う事はそれこそ子供でも知っているようなレベルの話だ。一々つっかかるような事でもない。それなのに、彼がLだというだけで反発したくなるとは…
(流石にうんざりするね)
永遠ともいえる永い月日を過ごしたというのに、どうして?
そんな事を自身に問うてみても、結果が変わるわけではない。幾度となく同じ自問を繰り返してしまうのも、もう仕方ないことと諦めるべきなのかもしれない。
月は緩く息を吐き出すと夜行性でないLの為に灯されている蝋燭の炎をぼんやりと眺めた。
条件反射で対抗してしまう事を今更変えられない。
別に警戒は悪いことではない。この飄々とした態度を崩さない男は相変わらず敵なのだから。
けれど。
(過剰な警戒は頭を鈍らせる)
それは身を以て知っているはずだった。
彼と過ごすようになってから脳裏に何度も過った在りし日の屈辱、その敗因。
『L』にさえ拘らなければ、勝てた試合だった。
勝負なんてするべきではなかった。相手にさえしなければもっと確実な対策が早くに出来たはずだった。綺麗に勝つことなんて考えなくて良かったのだ。
「…まだ抵抗があるんですか?」
「別に、無いよ」
蝋燭を睨みつけるようにして物思いに耽り自分の寝どこに中々入らない事をいぶかしんだのだろう。的外れな指摘をした彼にあえて訂正もせずに返事をしたが、声音には彼が指摘した所の不満が混じってしまった。竜崎が呆れた視線をこちらに寄越す。
常識外れのお前にはそんな目で見られたく無い、と返してやりたい。
棺桶なんて屈辱…吸血鬼になってから初めてだ。
月は蝋燭の炎から黒塗りの箱に視線を移して棺桶を睨みつけた。この感じはまだまだ現役だと思って老人がシルバーシートを譲られたという感覚に近いのかもしれない。
「棺桶に入らないというのであれば、ベッドはここしかありませんが」
Lが自分が潜っているベッドの縁をぱふぱふと叩いて言った。月はそれを一瞥してから棺桶に視線を戻した。
躊躇う理由は、用意されたコレを使用する事で吸血鬼だと思い知らされるような気がするからだ。
吸血鬼になったのが嫌だと云う訳では無い。人間よりも下等だとも思わない。しかし吸血鬼である事を思い知らされるのは、どうしても腹立しかった。前世から人間なんていうものにこだわりなんて感じてなどいなかったのに、だ。
この思いは一体何なのだろうかと苦々しく思いながらも棺桶の蓋に手をかける。Lと同じベッドで寝るよりかはマシだと言い聞かせる。ごとん、と重い音を立てて外した蓋の隙間から身を滑り込ませた。Lがよい夢をと声を掛けて、月はこの視線の高さこそが屈辱の原因なんだろうと結論づけた。
床に放置された棺桶がぞんざいに扱われた気分にさせるのだ。
月は何も言わずに棺桶の蓋を閉める。鎖の端はLの手首から棺桶の中にセットし直されているので閉める事に問題はない。なんでも吸血鬼対策の為に特別に作られた棺桶らしい。
カチリと蓋に鍵をかける音がした。月が逃亡を試みたり、Lを人間の手段で殺害したりしないように、その防御策だ。屈辱感の原因はこの辺りにもあるのだろうと踏んでいる。
『友達』なんてのは所詮表面上、上っ面のものだと理解している。友達に鍵はつけない。
しかし、Lだけを非難するつもりも無い。今は殺すのを諦めたが、隷属させたいという意志はある。Lにこだわるのはやめておけと冷静な声は言うのだが、もうこればかりは仕方ないのだと諦める事にする。…ともかくも、だからお互い様なのだ。
月は小さく嘆息すると、結局お休みの返事は返す事もなく目を瞑った。どうせここには仮面をつけなければならない相手はいない。父も捜査本部の皆も既に塵となって久しい。
いるのはあのにくったらしいLだけである。
気を使うことなんてない相手である。積年の対立者である。
(良い夢なんてみたくもないね)
月は皮肉に唇を歪めると意図的に意識をシャットダウンしたのだった。


「納得いかない」
翌朝キッチンでエプロンをつけた月はくつくつと音を立てる鍋を目の前に木ベラを持ったまま震えていた。
彼を襲った日もそうだったのだが、どうも食材やハンターとして必要なもの等はワタリが昼に調達しているようだった。どうしてこいつが自分で買いに行くなり調達なりしてはいないと結論づけたのかといえば、それは彼自身の証言と、LがLだからである。
出不精なのもいい加減にしろよと言いたい所だが、敵を一人にしておくのも有りえない事なのでその辺は黙っておいてやってもいいと思う。だが、今回の問題はそこではない。
問題は、差し入れられた食材の中に生のイチゴがたんまりあった事だ。
そして何故かコイツの為にイチゴジャムなどを作らされている事だ。
「納得いかない」
大事な事なので二回言った。
「…私はジャムなんて作れませんし、生だとすっぱいじゃないですか」
「そんな事知るか」
「いつもはワタリが作ってくれるんですけど、今回はほら、月くんもいますし長い時間連れ込むのもどうかと思うでしょう?」
「むしろ連れ込むという言葉の方がどうかと思うんだけど?」
そうですか?とすっとぼけて言う男が非情に憎らしい。人間だった頃の関係を揶揄されているようでいけすかない。記憶なんて無い…とは思うのだけど。
「ジャムなんて買ってくればいいじゃないか」
「…買ってくれば…ですか。月くんは随分と長い時間を生きているのですね」
「…どうして?」
「私も詳しくは知りませんが、ジャムを買う…なんていうのは資源に溢れていたとても遠い昔の事ではありませんか?少なくともここ数百年はジャムなどの保存物は流通に乗ったことはないそうですよ。保存瓶が高価で希少価値のものですからね。食器なんていうものも代々受け継がれるものですし、お金持ちでしたら使用人が作るでしょう」
「なるほどね。その通りだよ」
説明が終わると相槌を打つ。はっきりとした答えを返すかどうかは迷ったが、長く生きている吸血鬼に力がある事は明白だ。油断は誘えなくなるが自分を高く売るという点を考慮して頷いてやった。
「そうですか。どのくらい昔から生きているのか聞いても?」
「構わないけどね、そんなもの覚えてないよ。永過ぎてね。…まあ、お前が言うジャムを買わない時代に生きていなかった事だけは確かかな」
「そんな永い時間を生きるという事はちょっと想像つきませんね…」
「そう」
香ばしい匂いが立ち上る鍋の前で月はうっすらと笑う。彼はどうやら数百年という単位を想像しているようだが、そんなのは甘い。月が生まれ変わってから生きて来た時間はもっと悠久の、己の名前以外は忘れてしまうような、自分の名前すら忘れてしまいそうな、そんな時間だ。
「月くん」
「なに?」
「月くんにとっては短すぎる時間かもしれませんが」
「…」
「楽しくやりましょう」
「…」
バカだ。
自分が捕らまえた側だからと図に乗っているのだろうか、それならばまったくバカな事だ。
月はぐっと唇を噛みしめてから務めて平静を装って「そうだね」と口にした。
こんなありきたりな言葉に心がぐらついたなんてあってはならないのだから。


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