■【Lovers】■ 16

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 南伊


『今日から俺がお前の親分 スペインやで!』
『親分の言うことはよく聞くように!』
慣れた声が懐かしいセリフを刻んで、ロマーノは漂う夢の中で苦笑した。
(ああ、これ、夢だな…)
眼前にあるのは、バリャドリッドにいた頃に住んでいたスペインの邸宅だった。
僅か数年で住処を変えたのでその姿は大変朧気であるが、それでもなんとなく形造られている。所々マドリッドに住んでいた時の邸の様相も混じっているのでどこまでがきちんとした記憶でどこまでがロマーノの想像なのかは分からないが、結構覚えているものなのだな、とロマーノは周囲を見回してそう思った。
(イギリスの話を聞いて触発されたのか…)
イギリスと交代するようにロマーノがスペインの所にやって来たのだと言う事は、一緒に住んでいたベルギーとオランダから聞いたことがあった筈だ。思い起こせば、スペイン自身が何の穿ちもなく『イギリス』の名前を呼んでいた事もあったように思う。流石に仔細は忘れてしまったが。
(…そうか…、あの頃か…。)
スペインの保護下に入ったばかりの頃。ロマーノ自身が自分の事でいっぱいいっぱいだったから当時の事はあまり覚えていない。
だが、穏やかにイギリスの名を口にするスペイン、という記憶は、掘り起こしてみれば、僅かながら残っていたようだ。ふとスペインの声音と当時の風景が蘇った。
スペインの自室。ごちゃっとした室内に今よりも若いスペインが声を上げた。
『何でお前いつもこーなん?ちょっとは仕事覚えぇー!!』
ロマーノにそんな事を言った後、『片すの俺やんか…』と肩を落としながら床に散乱した物を手に取ると、夢の中のスペインは溜息をついて『あー、これイギリスはどこに直しとったかなー…』と呟き辺りを見回した。
ツキン、小さく心が引き攣れた感触がした。痛みがあったから辛うじて残っていたらしい。
(俺はいつも劣ってたからな…)
弟と比べられることがコンプレックスだったロマーノにとって、その何気ない一言がどれだけ心に突き刺さったことか。
自分の前にスペインの手元にいたイギリスという存在。きっと自分より有能だったのだろうと、どうせ俺なんてと思うと、自然気分が翳ったものだった。
だが他人と比べて落ち込む事は、何もイギリスだけではない。ベルギーやオランダに対してもあったから多くの中の一つとして埋もれてしまっていたらしい。特にイギリスに関しては、スペインが悪態をつく事の方が多くなったから余計に拍車がかかったらしかった。
(だけど、そんなこともあったな)
どこまで正確かは分からないが、確かにそんな事もあった。一つ思いだせば類似した記憶がころころとロマーノの中に転がった。
(…忘れてた)
スペインがイギリスについて悪態をつくようになってから、実際怪我をして帰って来る頃にはロマーノもすっかりスペインの手元にいる事に慣れていたので、スペインが傷つく事に随分と気を揉んだものだった。
だからロマーノのイギリス個人に対するイメージはロマーノ自身が敵対する前からあまりよくは無い。
敵対してからは尚更だ。
けれど。
(優しいイギリス…か…)
正直想像がつかないが、一緒に暮らしていた頃はそんな面を見せることもあったのかもしれない。だからこそスペインが過剰に反応するのだろうか。騙された、とスペインは言っていた。
(それもアリ、か)
争いというのなら、何もイギリスに限ったことではない。それこそフランスとだって何度も衝突していたが、だからと言って個人的に正面切ってつっかかる事などない。悪友だのなんだのと言って一緒に酒を飲んだりもする。
国とは複雑なものである。国益さえ結びつけば国の化身が相手国の化身に対してどのような感情を持っていようと手を結ぶ事は普通にあるし、表面上だけは取り繕うことも一応ある。
けれど、同盟期間中であってさえ、プライベートも仲よくなるかというと、それはまた別の話であった。
そしてスペインにとってイギリスとは、一対一で酒を飲むような仲ではなかったはずだ。
(なのにアイツは一体何を考えてんだか…)
今日打ち上げ会場でイギリスにひっついていやがった事は記憶に新しい。
その時は一体何をとち狂ったのかと案じたものだが、イギリスが言う、共同統治時代という背景があっての事だと思えば、納得いかないではない…。
騙した、というし、実際三枚舌なのだろうけれど、そんなの騙される方だって悪い。相手が善良な一般市民ならともかく相手は国である。
天然KYよろしく、何も考えて無さそうな笑顔でぽやぽやしている事の方が多いスペインだが、あいつだって国で、それなりに腹黒である事を今のロマーノは知っている。
ロマーノには極力その姿を見せないようにしていたようだが、長く一緒にいれば多少なりとも分かるってものだ。善良なだけの国なんてとっとと滅ぶしかない。
あの弟でさえ、それなりに強かだ。
イギリスを構成する欧州の辺境の島国。あの小さな体で肥沃な大地も持っていないにも関わらず一度は頂点に昇りつめたあの存在が怖くて当たり前なのだ。強かで極悪で、でないと生き残ってはいけないかっただろう。
だから、怖いという認識自体は間違ってはいない筈である。ロマーノが怖がって警戒することも国としての本能であるといえる。何も引け目に思うことはない。
(…でも)
イギリス個人の気持ちなんて考えもしなかった。
もしかしたら今日ドイツに話していたのも嘘かもしれない。泣いていたのも演技かもしれない。
(……でも)
心にさっと翳りが出来て、ロマーノは浅く息をついた。
国としての、イギリス。
国としての、スペイン。
国としての、自分。
どれも化身として存在してはいるが、感情を持った個人として相反しながらも両立して存在していることをロマーノはきちんと理解している。
(スペインは考えた事もないだろうけど…俺はちゃんと知ってるってそう思ってたんだけどな…)
だが、そうでも無かったらしい。
怒鳴られたのも、捕まえられたのも、糞不味い飯を喰わせられたのも事実で、ロマーノがイギリスを恐怖の対象とするのは当然の成り行きといえるだろう。
けれども、弟の言うとおり、『優しくない?』…ことも無いことを、ロマーノは今日初めて体感した。
よく考えれば、戦いが終わって、時が経って、曲がりなりにも平和と言える時代が来て、…一応対等な先進国として同じ土俵に立つようになってもきちんとイギリス個人と向き合うことをしなかった。
イギリスとは関わりあいが薄い。その必要がなかったとも言えるが、会議で顔を合わせる度、不意に近寄られる毎に怯え、スペインの背後に隠れた記憶を蘇らせれば、ロマーノの心臓がチクリと痛む。
その時にイギリスが何を考えていたのか、想像する事しか出来ないが、もしもその度に傷ついていたというのなら…。
(『自業自得』とか俺は言えねぇ…)
たった一日だ。ほんの少し優しくされただけだ。ほんのちょっとだけ垣間見ただけだ。
だけど、胸がキリリと痛む。
イギリスの事を信頼に値すると思っているわけではない。
積極的に歩み寄りたいとも、思えない。
でも、胸がキリリと痛んだ。

「…ん」
ふと気付くとバリャドリッドの邸宅は消え失せ目の前に顔らしきものが目に入った。『らしきもの』だと思ったのは、あまりにも近すぎて判別出来なかったからだ。
しかし、顔である。
額が相手の頭にくっついている感覚があったし、ロマーノの首筋に相手の吐息がかかっている。これは顔でいいだろう。
そう結論付けた所で、何故目の前に他人の顔があるのか納得がいかなかったが、ふと寝起きであることに気がついた。
(ああ、目が覚めたのか…)
どうにも夢らしくない夢を見たお陰で思考は散漫としていて寝起きという感じがしないが、どう考えても寝起きである。
ロマーノはゆっくり瞬きをしてぼんやりと眼前の顔を眺めた。
ヴェネチアーノか、と思って、しかし微かに違和感を覚える。
脚の間に誰かの脚が絡まっている。ヴェネチアーノはこんな事はしない。
「…ッ!」
一気に覚醒して間合いを取ろうとする。しかし、それはかなわなかった。
「んん…」
(何で俺はイギリスに腕枕なんかしてるんだー!)
弟同様、ロマーノも未だ童貞である。こんな場面に遭遇した事など無いのに、ナチュラルに腕枕なんぞをしている自分に驚いた。
(つーかっ!!)
下手に動いたものだから、イギリスがころんとロマーノ側に転がって来てしまった。その上、意識が浮上したのか、浅く絡まっていた脚をするりと深く絡められる。
(なっ!なっ!なっ!)
何故かは知らないが、絡まりあう脚がお互い素肌なのを知って体温が上がった。
「んー…」
落ち着く位置が無いのか、すりすりと頬を擦り寄せながらロマーノの体にイギリスがくっついて来る。
(う…わ…っ)
柔らかい胸がロマーノに押し当てられる。よくはわからないが、上着は一応着ているらしい。しかし恐らく相当薄い。イギリスの肌に馴染んだ体温と触れた感じからそう推測がついた。
(っていうか、何でイギリスがベッドに…!)
と考えてすぐにそういえば一緒に寝ることになったのだと思いだした。
ヴェネチアーノの奇天烈な提案に折れてしまったのは一重に廊下から聞こえた二つの声の存在の所為である。
そしてイギリスの隣になってしまったのはドイツも一緒に寝ることになったからに相違ない。
3人ならばイギリスを端っこにして、ロマーノは弟の隣という事でも良いが、4人ならばそうはいかない。
イギリスの隣を避けようとすればジャガイモ野郎の隣になってしまう。それは嫌だ。
だから、イギリスが隣で寝ていることは何とか認めよう。知らないうちにくっついてしまったことも容認しよう。
だが、問題はそこではない。
(なんで俺は服を着てないんだ?!)
寝入る時には着ていた筈だった。しかし今はパンツの存在しか感じられない。パンツがあるだけマシと思った方がいいのだろうかと混乱した頭で考えた。
(ど、どうすりゃいいんだよコノヤロー!!)
今のイギリスとロマーノを隔てているのは、ロマーノのパンツを除けば、恐らくイギリスのシャツだけである。
物理的な接触に、どうしても体が熱を持った。
「…っ!」
しかもイギリスの太ももが、ロマーノの脚の付け根を押し上げて、ロマーノは泣きたくなった。むくりと自身が反応してしまっている。
(何考えてんだよ!こいつはイギリスだぞ!!)
今このベッドにはヴェネチアーノとジャガイモ野郎もいるだとか、そういう論理だてた事は頭から吹っ飛んで、ただ、目の前にある体の主がイギリスで、それがロマーノにしなだれかかっている事しか認識が出来ない。
そして、イギリスの脚がロマーノの股関を刺激して来ることだけで頭がいっぱいになってしまった。
(な!な!な!)
他人から与えられる刺激でムクムクと形作っていく事に、興奮と絶望のようなものを感じてぐるぐると混乱していると、耳に微かな笑い声が届いた。
「…なぁにでかくしてんだよ」
くすくすと笑いながらイギリスの指がロマーノのそこに優しくタッチして、ロマーノは目を白黒させた。
「…朝っぱらからは出来ないんだからな…」
これで勘弁しろよ、と言って、イギリスの手がロマーノを追い立てた。ちゅうっと胸板に吸いつかれて、混乱に拍車がかかる。何がなんだかわからない。
ロマーノが快感と混乱で何も考えられなくなっていると、ふとイギリスが離れる感覚がした。
ぎゅっと瞑った瞼を開けると、間近にイギリスの顔が迫っている。
突然の口付け。
「!!!」
唖然としているロマーノに構わず、イギリスはロマーノの手を取ってその膨らみに触れさせた。重ねられた手が服の上から胸を揉ませるように動いている。
「…ちょっとくらいなら、さわらせてやらなくもないんだからな…」
お前触るの好きだよなぁ、と言ってゆるゆるとロマーノに胸を揉ませると、イギリスはロマーノの掌から手を離し、すっかり押し上げてしまっているロマーノの下着のフロントから熱くなったモノを手際良く取り出した。
「…まだ足りなかったのかよ、ばぁか」
唇が甘い罵倒を告げるとロマーノ唇にくっついた。
「!?!?」
咥内にイギリスの舌が割り込んで来て優しく絡みつき、その手はロマーノを自身を追い立てる。
他人の熱を知らないそこは呆気ないほど簡単に追いつめられて、ロマーノは混乱したままイギリスの手の中で熱を爆ぜさせた。
「…後始末は自分でやれよ」
イギリスはそう言うとベッドサイドからティッシュを取って自分の手を拭い、またころんとロマーノの横に転がると大きく欠伸をしてむにゃむにゃとした不明慮な物言いで「おやすみ、プロイセン」と言った。
「…………」
完全に第三者…というかプロイセンと勘違いされていたらしい。
それでイギリスの言動行動に納得がいったが、だからといって『あ、そうですか』で済まされるものでもない。
未だ肩で息をしているロマーノを置き去りにしたまま、すーすー寝息を立てているイギリスに向けて、ロマーノはカッツォ!と心の中で罵った。

これからどうしろと、言うのだろうか。


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