■【冬の陽だまり・夏の影】■
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【冬の陽だまり・夏の影】 ―16― 数えきれないくらいのキスをした。 それは甘く、暖かく、照の心に染み渡って、私の荒野に種を蒔く。 触れ合いたい、と思うことを我慢することで、とても優しい気持ちになれた。 大切にしたい、と思うことで、幸せになれた。 守りたい、と思った。 ずっと。 ずっとだ。 「大変です!」 「みゅー」 「………」 ピンポンの連打に若干慌ててロックを外すと、ずぶ濡れのえると、同じくずぶ濡れの、えるに抱かれた子猫がいた。 「…何をやっている」 「猫の川下りを阻止しました。この時期の川は増水していて怖いです。本流に流されれば死んでしまいます…」 へっくしゅ!と梅雨の真っ只中、小雨の続く曇り空をバックに、いかにも寒そうないでたちのえるがくしゃみをした。それに「お前は馬鹿か」と照は悪態をつきながら部屋に通す。 「早く風呂に入って来い。風邪を引くぞ」 「はい。そうします。猫も一緒でいいですか?」 「どうでもいいから、早くしろ」 「分かりました。では会長はミルクを用意してくださいね。あ、私のぶんはホットで」 「早く」 更に言い募るえるに剣呑な語調で風呂場へと急きたてる。また小さくくしゃみをしながら浴室に入ったのを見届けて、照は溜息を零しながら玄関の泥水を片付けるとキッチンに向かった。 浴室からどったんばったんという音が聞こえる。子猫が暴れているに違いない。 (アイツはいつも騒動の中心だな…) そして照はそれに振り回されてばかりだ。 (それを退屈しないと思うのは一体どうなのだろうな…) ブゥンと薄暗いキッチンに冷蔵庫の光が灯る。牛乳に手を伸ばし冷蔵庫を閉めた。 カップへと移して暖める用意をしている内に着替えが無いことに気がついて、電子レンジのメニューをスタートさせると、照はえるに着せるための己の服を持ってまだ"どったんばったん"音がする浴室に続く脱衣所の扉を遠慮なく開けた。 「ちょっ、なんでこの子こんなに体力余ってるんですか…!!」 もう水は嫌だとばかりに暴れまわっている子猫に手を焼いたえるの声がスリ硝子の向こう聞こえて、思わず口許を覆った。端から笑いが漏れる。 こんな所でまた笑ってしまっては、後で愚痴を言われるのが目に見えていたので、噛み締めて耐えていると、「もう!」という声と同時に浴室のドアが開いた。 「――――っ!!!!助平!!!!」 暴れる子猫を脱衣所に逃がしたえるが、足元にある照の足に気付いて顔を上げ、声にならない悲鳴をあげてから罵られた。照は思わずその裸身を食い入るように見てしまったので叫ばれるのは当然のことかもしれない。 バタン!と勢いよく扉が閉まる。 「その猫拭いてください…っ!!!」 「…分かった」 子猫はぷるぷると自身に纏わりついた水分を身体を震わせることで乾かしているようだ。飛び散る水滴を眺めながら照はタオルを手にとって子猫を掴み取りゴシゴシと手を動かした。 みゅー!と子猫が嫌がって手足をばたつかせるのを観察しながら、照は先ほど言われたえるの言葉を反芻する。 (『助平』?私が??) まさかそんな風に罵られる日が来るとは思わなかった。自分はただ、着替えを置きに来ただけなのに。…思わず注視してしまったとしても、『助平』は心外だ。 けれど、先ほどえるの裸身から目が離せなかったのも欲情してしまったのも事実で、照は頭を悩ませる。 別段、女性の裸に興味があるわけでも、女性自体に興味があるわけでもない。だが、えるには興味があって、えるの裸にも断然興味がある。それではやはり助平といわれても仕方がないことなのだろうか。 えるとは…約束通りに一度も交わってはいない、数ヶ月に募った欲が自身を苛んだ。元々無いのではないかと思案した欲望は、えるといる時だけはうなぎ昇りに急成長する。 (そうか、私は助平だったのか…) 納得して心の中で頷いた辺りで手の中の子猫がみゅー!みゅー!と、抗議を更に強くしているのに気がついた。それを見るとはなしに見つめながらゴシゴシ拭き、今度はテントを張ってしまった自身をどうするべきが頭を悩ませると扉がそろりと開いた。 「もうちょっと優しく拭いてあげてください…。それと、バスタオルを…」 開いたドアの隙間から顔が覗いて、照はあらかた水分をふき取った子猫を解放する。いわれたままバスタオルに手を伸ばして振り返ると、えるが目を逸らしたままガラス戸の隙間からにゅっと手を伸ばしてタオルだけを受け取ろうとしている。擦りガラスにぼんやりと浮かぶ身体の線が魅力的で、照はそのまま戸を押し開けた。 「ちょっ…!?」 「お前も拭いてやろう」 「えええ、遠慮しま…っ」 驚いて後退しようとするえるの体を引き止めて背中にバスタオルをかける。そのまま引き寄せて唇を寄せた。 「ん…っ…、ん、ん、…ふぁ…」 押し当てた唇の隙間から、舌を差し込むと従順にえるのそれが絡んだ。お互い探るようにして口付けを交わしてゆっくり離すと、電子レンジのピーピーという音が耳に響いた。そういえば先ほどから鳴っている。 「…嘘吐き」 はぁ、と上がった体温を押し付けるようにえるが照の肩口に額を擦りつける。 じっとりと、水滴が照の服を濡らす。 「嘘吐き?私がか」 「…っ…、その手はどう説明する気、ですか。拭くっていったのに」 抱きしめる腕は腰のラインを滑って、下肢へと忍びこんでいる。 「どうもこうも…、恋人の、こんな姿を見せられては私だって堪らない。拭くのは後でだ」 「〜〜〜〜〜〜見せたくてみせたんじゃありません…っ」 先ほどから短の短い電子レンジが音をたてているが、それももうそろそろ途切れる頃だろう。 「最後まではしない」 言い切って、ぬるりとした蜜が指先に絡むのを確認してから一度からだを離した。 子猫を脱衣所から摘みだして、バスタオルを背中にかけたまま、その端を合わせてこちらを睨むえるに近寄る。 睨んでいたって、拒否されていないことは分かる。どうした、というように眉尻をあげて見せれば、むぅっとえるがむくれてから、自ら近寄って照の腕の中に納まった。 ≪back SerialNovel new≫ TOP |