■【Lovers】■
17
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 英 目を覚ますと、カーテンの向こう側から優しい光が溢れていて、イギリスは朝が来た事を知った。 上半身を起こしてぐぐっと背伸びをする。隣では、イタリアとドイツが仲良く向かいあって寝ている。 (こいつら仲良いなぁ…) イタリアがドイツにくっつくようにして眠っている。二人からはすーすーと規則正しい呼吸音が聞こえてイギリスは眦を柔らかく溶かした。 こんなに図体がでかい男二人を幼少期の天使のような新大陸の幼子達と比べるのはどうかと思うが、脳裏にはあの頃の二人の姿が蘇ってつい笑みが零れてしまう。 (アメリカは寝像が悪いっつーか…大の字になって寝てて…) カナダはくるんと体を小さく丸めてクマ二郎さんに抱きつくようにして眠っていた。 可愛い可愛いイギリスの二人の子供。 直ぐに大きくなってしまって、アメリカは空気読めないし肉も多めについてしまい、カナダに至っては何故だかすぐに見失ったり忘れてしまったりするようになったが、未だ二人とも愛おしいイギリスの弟である。 (ああ…久しぶりにカナダに会いてぇな…) カナダの事はすぐに忘れてしまうが、アメリカと同じで別に愛情がなくなったわけではない。イギリスはおっとりとして控えめなカナダの存在にいつも救われている。 『紅茶にメイプル入れますか?』 なんて聞かれながら熊と遊ぶのはとても楽しい心安らかな一時になるだろう。 (…でも、こんなナリだし…、まあいつも直ぐに忘れちまうんだけど…) 仕事以外の時は大概会いたいと思っても、すぐに忘れてしまう。悪いなぁと思いつつ忘れてしまうものはどうしようも無くて、個人的に会いにいくことは本当に稀である。 イギリスは優しい時間に思いを馳せて頬を緩めるとそれから直ぐに苦笑した。 この二人が『羨ましい』などと羨望するなんてとんだ見当違いの話である。 今まで他者を蹴散らして生きて来た。怯えられて嫌われてもそれは当然の事で、羨ましいなどと思うのは甚だ愚かしい事である。 (カナダと距離をとっちまう事も…) 失うのが怖くて、裏切られるのが怖くて、無意識に距離をとってしまうようになった。最初から近寄らなければ傷つくことも少なくて済む。そんな自分に向き合えないのに一丁前に羨望するのだから、嫌になってしまう。 でも、熱を渇望してしまうのを止められない。 今朝方見た夢の内容を思いだして、イギリスは頬を染めながらも眉間に皺を入れ、重い溜息をついた。拒否しておきながら、誰よりもその熱を望んでいるのだ。 (触れたい、声が聞きたい、傍にいたい、愛されたい――…。) (そして誰よりも愛したい、なんて…、) おこがましいとしか言いようが無い。 でも、欲しい。欲しくて堪らない。一人は、寂しい…。 (だから、愛されたいなんて我儘は言わない。愛されてくれるだけでいい。ずっと、一生、俺が息を止めるまで。ずっと…) そこまで考えてイギリスは乾いた笑いを口の中で転がした。どう考えても、どっちを望んでも、我儘に過ぎる。 (…ただ人形のように愛されろって、虫が良すぎだろ…) イギリスは唇を噛みしめて拳を握りしめると、痛みに耐えるように背中を丸めた。 欲しいものを目の前に差し出されたにも関わらず、その手を払ってしまった。 何度払っても差しのべられた手を、自ら…。 (…でも、) 他者の愛情を受け入れてしまうのが、愛情を貰うことに慣れてしまうのが、何よりも怖いのだ。その愛情が翳ることに、失うことに、失ったその先に待っているものに、どうしようもない恐怖を感じてしまう。イギリスにはそんな自分をどうすることも出来ない。 (だから、これで良かった…良かったんだ…。俺にはプロイセンから貰った幸せを返すことなんて、出来ない…。早く別れて正解だったんだ…。) 言い聞かせて目尻に浮かんだ涙を拭った。部屋に戻ろうベッドから足を下ろしてふと違和感に気がついた。 (…ロマーノがいねぇ…) 寝つく時は一緒にいた筈だ。悪いな、いいのかな、などと思いつつ、それでも他人の体温に安心して、床についてしまった昨夜の記憶を手繰り寄せた。 イギリスの記憶が定かなら、寝入る瞬間までベッドを下りてはいない筈だ。 ならば、イギリスが眠ってしまってからここを離れたのだろう。 (トイレじゃねえ事は確実だし…) まあまあの時間考えに没頭していたので、トイレならばとっくに戻ってきていてもいい筈である。…ならばトイレではないだろうとその線を消すと、残るのはイギリスが嫌で出て行ったという事くらいしか思いつかない。悪い事をしたと詫びについて考え、何もしない事こそが詫びであるという結論に達してイギリスはほろ苦く笑った。 (何で俺は普通の事が当たり前に出来ないんだろうな…) 謝罪の意を示す事でさえ、ままならない。 国情があるとはいえ国同士で仲良くなる事が出来ないでは無い。他を見れば皆、ちゃんとそれなりの友人関係を築いているではないか。 しかし、それはイギリスにとってはとても難しい事だ。 性別という見目が変わったせいで、どうもイタリアとドイツのイギリスに対する警戒心は少し薄れているようだが、長く付き合えばきっと元の関係に戻るだろうと思うと、苦いものが胸の底から這い上がる。でも、事実を認識するのは大切な事だ。下手にあれこれして相手を困らせるのはよくない。何も言わずに離れるのが懸命だというものだろう。イギリスは好かれるような性格などしていない。自分の性格は嫌になる程把握している。 (だから、寂しいなんて思うなよ…。イタリアやドイツにだってありがとうなんて…言うべきじゃねぇって…、…でも) 有難な、と言ったイギリスに、満足そうな緩い微笑みを向けてくれたプロイセンの顔が甦った。あの笑顔が忘れられない。 頑張れば、素直になれば、あの表情が見れるかもしれないと思ってしまうから、他人に関わるのをやめようと思った端から望んでしまう。 そんな自分に呆れつつ、イギリスは「でも」という言い訳を繰り返す。 (…でも、自ら行動して頑張った結果が日本という友達だろ…?それに、プロイセンとは恋とか愛とか何かヘンテコな関係になっちまったけど…、それでも他の奴より近付く事が出来たのは、アイツの初めての相手をしたからってだけじゃなくて…、近づこうって努力した結果もある…よな?だったら…、…だったら…、努力次第で嫌われずに済むことだって…あるかもしれねーじゃねーか…) 失敗も沢山したけれど、それはそれで事実である。なら、もう少し頑張って他のやつらに近づく事だって出来るかもしれない。友達は無理だとしても…。 (だから、少し…少し…だけなら…) 我ながら浅ましいと思うが、果てない欲求がイギリスの気持ちを急かす。それに負けてはいけないと思いつつ、手を伸ばしてしまう自分に呆れてイギリスは嘆息した。 (俺のこれは…もう仕方ない…これだけ長く生きて来て…変えられないんだからな…) 何度自分に言い聞かせたって、その心を騙したとて、本当は寂しくて仕方ないのだ。 だから、ちょっと、…例えば顔を合わせれば挨拶するであるとか、仕事の後なら食事に誘うだとか、それくらいは許して貰いたい。 友人未満、それでいい。気安い知り合い、それだけで充分だ。恋とか愛とか柔らかい感情はいらない。うっかり持ってしまわないように気をつけなければならない。傷ついて動けなくなってしまうような感情など欲しくない。 (…優しくされたらすぐに惚れちまいそうだから、気をつけないとな…) 相手の事に関しては気遣う必要はないだろう。プロイセンにしたって擦り込み減少みたいなもので勘違いさせてゲットしたようなものだ。イギリスは自分の事だけ気をつけていればいい。 感情を立て直して、イギリスはベッドを降りる。 いつの間にかローブのようにして被っていた毛布が剥がれていたので、再び被りなおしてイギリスは部屋を出たのだった。 「坊ちゃん?」 「…げ」 一度あてがわれた自室に戻り、皺にならないように掛けていた服を用意すると、イギリスはシャワーブースに向かった。 使ってもいいと言われていたので遠慮なく使用することにしたのだが、途中でフランスに遭遇してしまいイギリスは渋面を作った。朝っぱらから不快なものと遭遇するだなんてついてない。 「『げ』は無いでしょうよ。所で今からシャワー?」 「…そうだけど」 「俺、今からコーヒー淹れに行くけどお前も飲む?」 聞かれて逡巡する。紅茶が飲みたい所だが、ここは自国では無い。 「…つーかお前勝手に…」 「ここ一週間泊まりっ放しだったからね」 もうフリーよ、と言われてイギリスは皮肉に口端を持ちあげた。 何が違うのかわからないが、彼らはこうやってすぐに他者のテリトリーに入る事が出来る。イギリスには難しいことをこうやって気軽にやってのけた。 「…ふーん」 羨望を隠すように素っ気なく答えて、イギリスは胸の内のもやもやを必死で押さえた。羨ましがってる事を表に出すのは矜持が許さない。 「………「しかしまあ」」 いらない、と答えようとしたのを寸での差で遮られる。視線を向けるとフランスがニヨニヨと笑っているでは無いか。イギリスはそのにやけ面に対して渋面を作った。 「…何締まりの無い面してやがる」 「いやぁ、だって坊ちゃん、凄く刺激的な格好してるからさぁ」 「はぁ?」 「…ズボンくらい履いて移動しなさいよ?」 指摘されてそれもそうかと納得する。すぐ脱ぐのだから面倒くさいと思ったのだが、確かに他人の家でこれはまずかった。ここには露出に何の躊躇いも無いヤツが多いから上着が尻の辺りまであれば構わないかと思ったのだが、確かに紳士としてマナーに欠ける行為である。 「まあ、お前みたいな変態もいる事だしな」 それで渋々頷くとフランスは納得がいかないというように「えー」と唇を尖らせた。 「あ、ところで坊ちゃんコーヒーは?」 「いらね」 言い捨ててシャワーブースに向かうイギリスの背にウィ、というムカつく言語がついて来たので、イギリスはその存在を即座に脳内から抹消したのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 仏 昨晩は不覚にも気絶してしまったフランスは、朝廊下でイギリスに鉢合わせした後、この一週間慣れ親しんだキッチンに降りてコーヒーを淹れながら先程のイギリスを思い浮かべて軽く溜息をついた。 (…あいつは性別変わったって自覚あんのかね?) どうもその辺の認識が粗雑であるように感じられて、フランスは痛むこめかみをほぐして再び嘆息した。 昨晩もイタリア達と一緒に寝ていたようだし、警戒心がなさすぎる。 (…まぁあいつらじゃ警戒心なくて当然か) フランスやスペインが一緒に寝ようというのとはワケが違う。 けれど皆、男である。 (あいつもその辺はよく分かるだろうにねぇ…) こうなる以前、女役も多かったようだが、普通に女が好きで目の保養は確実に女だった。気が合えば一夜のお付き合いをしていた事もフランスは知っている。 気持ちよくなれる事に貪欲で、いかがわしい雑誌だってしょっちゅう見ていた癖に、自分はシャツ一枚といういかがわしい格好でうろうろする事については何の躊躇も危機感も無いらしい。プライベートではてんで役に立たない防衛本能である。 (もー、ほんと無自覚なのもいい加減にして欲しいよね。アメリカとか本当はイギリス大好きだとか、まぁーったく気付かないし…。まあ、邪魔してるのは俺だけど…) 経緯が経緯なのもあっていつも口さがない事を言っているが、あれは恋する若造である。 (カナダもなぁ…) 見事に誑かされていることを、フランスだけが知っている。 イギリスが鈍ちんなだけで、一度イギリスのテリトリーの内側に入ったものは、イギリスを嫌う事があまり無い。あいつがああなので相手も表面上ツンツンする事はあるようだが、だからといって心から嫌われることはまずないと言っていい。 理由の一端にツンデレちゃんは、実に隙が多い事が挙げられるだろう。 いつもはツンツンしている癖に、機会があれば思いっきりデレてくる。その上エロ大使のなせる技か酒が入ると色を振りまく。そんなこんなで、落とした男女の数はそれなりに多い。それをイギリスだけが理解していない。向けられる好意に気付かないか、ただの性欲くらいにしか思っていないのだろう。 無意識に煽るような事ばかりするので、フランスの心労は増えるばかりである。 何度邪魔しに行ったか、フランス自身も覚えていない。 (まあ…唯一の救いは、優しいヤツからは無意識に距離を取るから容易に近付けない事かな?イギリスが自分に向けられてる好意に永遠に気づかないってのもあるか…) その所為で自分も近付けないのだが、簡単に立ち位置を変えられるような関係性でもないから、フランスにとってイギリスの捩じ曲がった性格は有り難いと言えなくもない。 (…っていうか、アイツのあの性格を助長させたのは、俺だし?) そのお陰で今回も助かったのだから恩の字としか言いようがない。 だから、その他諸々の弊害は目を瞑るしかない。先程のような格好でうろつかれる事に関しても、冗談交じりに指摘するくらいしか出来ないが、その辺はもう諦めるよりないだろう。 (うん…、まあ、イギリスが無頓着に周りを誘惑することについては、おにーさん仕方ないから黙認するけどさ…) 香り高いコーヒーの匂いをキッチンに漂わせ始めたサイフォンを目の前にしてフランスは口元だけを緩く上げた。滴る黒い液体をどこか褪めた目で眺めつつ、サイフォンに指を這わせる。 (でも、プロイセンの事は、このままにはしてはおけないじゃない?) 会議の最中はイギリスを丸めこんだものの、プロイセンがこれからどう出るか分からない。 万一イギリスが絆されしまう可能性だって有り得なくもない。 怒涛の歴史を長年生き抜いて来ただけあってプロイセンは強かだ。それに悪運も強い。俺様な性格は玉に瑕だが、物事をハッキリと言う割に空気は読めなくはない。 この一週間がどうだったかは知らないが、プロイセンに本気を出されると不味いという事は、嫌というほど理解している。 イギリスは度が過ぎた怖がりだが、それと同じくらいに絆されやすいのだ。 だから、イギリスが全力で逃げたとてプロイセンに同じ速度で追われたら、近いうちに完璧に落とされるだろうことは目に見えている。 (そんじょそこらのぽっと出に掻っ攫われるなんて…許せるわけないでしょ…) 恐ろしいほど長い間、屈折した想いを抱え続けている。 イギリスに恋をしたのがいつかなんて覚えていない。ちんちくりんのアイツをからかいながら傍にいて、それが結構楽しくて、笑ったり照れたり、素直になれなくてそわそわしてたりと様々な顔を間近で見ている内にいつの間にか好きになっていた。 そんな大昔から抱えていた気持ちだ。このまま指を咥えて見ているだけなんて出来る筈がない。 (苦いねぇ) サイフォンに溜まったコーヒーをカップに移して口をつけると深い香りと苦さが口の中に広がった。フランスはもう一つカップを用意するとその2つをトレイに乗せて、イギリスの部屋だろう場所に足を進めた。 フランスがイギリスと鉢合わせしたのは偶然では無い。イギリスの足音くらい簡単に聞き分ける事が出来る。フランスは勿論、イギリスを捕まえるタイミングを計っていたのだ。 昨夜の騒ぎで検討をつけて、歩数で割り出した部屋の扉を軽くノックする。いらえが無いのを確認して、フランスはドアノブを捻るとあっさりとイギリスにあてがわれた部屋に身を滑らせた。 ≪back SerialNovel new≫ TOP |