■【冬の陽だまり・夏の影】■ 18

【冬の陽だまり・夏の影】
―17―


「ひっ…、やっ、もっ……イくっ…!」
 宣言通りに仰け反った身体の内側が収縮して、搾り取るように照の指を締め付け、はっ、はっ、と絶頂に達した余韻の吐息で耳を楽しませる。ぐったりと洗濯機の上で弛緩する体から指を抜いてぞんざいに拭うと、照はその体を抱き上げた。
「…どこ、に?」
 されるがまま、体重を預けるえるに簡潔に「寝室だ」と告げる。「そうですか…」という複雑そうな返事が返ってきた。
「みゅー!」
 浴室を出ると、即座に子猫が足に纏わりついてくる。毛並みが白いので、よくは分からないが、口許にミルクがついている。キッチンの床をみやれば容器の中身は既に空だった。あれだけみゅーみゅーと鳴き声をあげていれば喉が渇くのも当然だろう。
 えるが子猫の視線から逃れるように横抱きにしている照の肩に顔を埋めた。子猫の存在がどうやら羞恥心を煽っているようだ。拾ってきた癖にろくに構ってないという事実もえるを責めたてるらしい。
「お前はまだキッチンでミルクでも飲んでいろ」
 えるを寝台に横たえると、足元をまとわりついてくる子猫を再び摘みあげてキッチンへと連れていく。ミルクを皿に足してやると、嬉しそうにペロペロやり始めたので、子猫を置いて寝室へと戻った。
「…なにもこんな時に…」
 ベッドの上で猫のようにくるりとまるまったえるが怒っていいのか、嘆いたほうがいいのか、よく分からない色で呟くのを、照は苦笑して聞くしかない。
 照よりも良心が咎めているらしいが、その躰に触れ合うのをえるの為に並々ならぬ努力で我慢しているのを知っているから強くでられないらしい。
「まあ、確かにそうなのだが…」
 頬を撫ぜて髪を梳くとえるが目を細める。照は比べようもないくらいに、この気まぐれで負けず嫌いな猫をかまいたくて仕方が無い。
 だから、上半身のシャツだけ脱ぎ捨ててえるに覆いかぶさった。



 ごくり、喉が動いて放たれたものを嚥下する音が聞こえた。
「……ミルクを用意してくださいとは言いましたが…」
 まさかこんなものを飲まされるとは…と、えるが唇を拭いながら変な味です、と呟いた。
「お前がすると言ったのだろう…」
「だって、本当にしないっていうから……。私だけ気持ちよくなるのは分にあいません」
 別に気持ちだけでよかったんですよ?と上目遣いに見られて、照はその目を塞ぐ。
「あまりそういう事を言うな…。私はお前を大切にしたいのだから…」
 これ以上は目に毒すぎると、照はえるの体を掛け布団で遮ると、さっさと後始末をして身支度を整えた。
 もう一度えるの服を用意する照に、優しい眼差しが追いかけてくる。それが、照を勇気付けてくれる。
 この優しい眼差しの為ならば、いくらでも我慢しようというものだ。
 服を手渡すと、えるの鞄と冷めてしまったミルクを取りに寝室の扉を開ける。
 再び「みゅー!」という鳴き声を聞いて、存在を思い出した。
 子猫は2・3度照の足元をくるくると回ると、次はえるの元に駆け寄って行ったので、そのまま寝室を出る。キッチンに玄関で拾っておいたえるの鞄と、ぬるくなってしまったが、今はこれくらいでいいだろう、と思われるミルクを手にして戻る。
「………」
 えるが子猫にじゃれつかれて未だ服を身につけていない。その姿を見て、再び襲ってしまいそうだと思うのは、自分が悪いわけではない。…多分。
「早く身支度を整えろ」
 ペロペロとえるの顔を舐めている子猫を多少強引に摘み上げると一旦寝室を引き上げる。今度は自分の為の烏龍茶をグラスに注いで喉に流しながら、足元でじゃれる子猫を見遣った。
 えるはこの猫をどうするつもりだろう。
「もういいか」
「はい」
 了承を得てから喉を潤した照はベットに近づく。きちんと服を着ているはずなのに、その姿はやけにそそる。照のズボンの裾をを幾度も折り返して、肩がはみ出しそうな薄手のTシャツを纏っているのは庇護欲もそそるが肉欲も掻き立てる。
 子猫が再びえるに飛びついて、もしかしてこの猫は雄ではないかと考える。それは由々しき事態かもしれない。
「…どうする、つもりだ?」
「………」
 ベットの脇にある椅子に腰をかけながら横目で問うてみると、えるは押し黙った。
「……勝手な話だとは思いますが…、ダメ、ですか」
「…………」
 今度は照が黙る番だった。
 ここのマンションは別にペットが禁止なわけではない。
「…私は小動物が苦手だ。お前は飼えないと分かっていて、連れて来たのか?」
「……では、他に貰い手を捜します…が…」
「その間だとて保護しておく場所が必要だろう」
「………」
「情が移る前に放して来い」
「………」
 ぎゅっとえるが唇を真一文字に結ぶが、照は手を緩めない。
「責任が持てないなら、仕方がなかろう。助けるな、とは言わないが」
「…分かってます。…分かっています」
 自由気侭な性格をしているが、無責任ではないことを分かっていて、釘を刺す照の言葉に、えるは顔をあげることなく「分かっている」と口にする。その変わらない声音の、涙を見せないのだろう伏せた面を思って照は嘆息する。
「養父は」
「…猫アレルギーなんです」
「……一度だけだぞ」
「え?」
 甘い。甘すぎる。
 顔をあげたえるはやはり泣いてはいなかったが、その瞳の奥に仕舞ってある寂寥をみつけて照は「飼ってやる」と付け足した。
「でも……」
 疲れたのか、いつの間にか子猫はえるの膝の上でうっとりと寝ている。その小さな命の塊の上に手の平を被せてえるが揺らぐように呟く。
 照とて、保護者の手の内で、しかもその保護者は自身の親ではなく、叔父である。叔父の了承なしに、と一度脳内を過ぎったが、あの人は照が何をしようと大して気にも留めない。照の身寄りが他に無く、金に困ってなかったから引き取っただけで、照自身には興味はない。引き取られてこの部屋に連れてこられてより、顔も見たことも無いような相手だ。一年に1度が2度電話で声を聞ければいいほうで、その会話とて、「不便はないか」の一言で終わり。
 だから、照が「飼ってやる」と偉そうにいえる立場では無いのだが、飼えるか飼えないかといえば、飼っても支障はないのだ。叔父は照が猫を飼っていると知ったところで何とも思わないだろう。そういう人間だ。
 だが…問題はそこよりも。
「お前は人を顎で使うくせに、何故もう少し強引に頼まないのだ」
「……だって、迷惑じゃないですか。…それに、釘を刺したのはあなたです」
「それでも、飼えないにしても。解決方法を一緒に考えてくれ、くらい言えばいい」
「………」
「迷惑など、今更だろう。着物のきつけも苦労したし、下血だと言った時も大変だったぞ」
「…それは。…ってゆうか、最初のは…あなたが脱がしたんじゃないですか」
「だから、その程度のことだと言ってるんだ。不安があれば口にする。思ったことがあるのなら、それを伝えておく。今私がしたのも、ただそれだけの事」
「………」
 再び沈黙が落ちる。何かいいあぐねているように親指を口許にあてがった。カリっと爪を噛み、数度瞬きを繰り返して顔をあげた。
「…飼ってもらっても、いいですか?」
「ただし、私は小動物は苦手だから、時間がある時は…」
「勿論です」
 寂寥は緩やかに消えて、最後に残ったのは暖かい笑みだった。


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