■【Lovers】■ 28

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 英


「イギリス、俺と付き合う気ない?」
言われて。背筋にぞっと怖気が走った。
そういえば昨日からやけにフレンドリーで、先程の買い物の際だって、のべつまくなしに称賛の言葉を贈り続けていた。
それをイタリア人だから挨拶みたいなものなどと簡単に割り切って、仲好くなれたなんて思ってたなんてバカみたいだ。相手はイギリスではなく、女を相手にしていただけだった、なんて、笑える。
何が自分が努力すれば関係は変わるかもしれない、だ。
ドイツに無防備さを指摘されて寝入るまでは、言われた事自体がショックでここまで頭が回らなかったが、目の前にて迫られればその関連性を考えずにはいられない。
(何が『友達』だ)
『だってお前がそんなに怖いヤツじゃ無いって知ってたらもっと早く友達になれたのに』
なんて言葉真に受けて。
それともイギリスは『イギリス』なのに『女』という生物として彼らの近くに近付く事を許して貰えた事に喜ぶべきなのだろうか。
(バカか)
瞬間心に過った冷たくどす黒い感情は能面の下に隠して『イギリスの気持ち、よく分かるんだ! 』などと言い散らかすイタリアを警戒心を含んだ目で見遣れば、仰天すべき台詞を続けられた。
それは昨夜ドイツに言った言葉ではなかろうか。
さっと脳裏にドイツの顔が浮かんで痛憤しかけた所ですぐさまイタリアが仔細を補って、イギリスはドイツを疑った事を反省して昂ぶった気を少しだけ鎮めた。
「…それで?」
警戒は解かないままでそれでも促す口上を口にしたのは、イタリアがどんな言い訳をくっつけるのか見ものだったからというよりは、あんな事になったというのに責めもしなかったドイツを疑った事への呵責からだというべきだった。
昨夜親身になってぎこちない優しさを示してくれたドイツに免じて、その先を聞いてやってもいいとそう思ったのだけれど、続いたイタリアの言葉にイギリスは胸を打たれて、結局イギリスは自分の短慮を恥じることになった。
(なんで、俺は…)
イタリアだって、自分の為に泣いてくれて、優しくしてくれたのに。
その行動の裏の悪い所ばかりを膨らませてしまうのはイギリスの悪い癖だった。
思い起こせばプロイセンの時もそうだったろう。フランスの言葉にプロイセンの行動の表面だけを見て断じてしまった。プロイセンは昔から変わらない。「お前ほんとに役に立つのかよ」なんて不躾な事を言われた事はあったけれど、会えば普通に接してくれる。からかわれる事があっても、他国のようにふっかけるような真似はしなかったし、憎しみをぶつけられたりする事も、バカにされたり、怖がられたり、頭の痛い存在だという風に見られた事も無かった。エイプリルフールの事件の後にしたって変わらずにいてくれたというのに。なのにイギリスは勝手に期待した事に腹を立てて、『帰れ』と言ってしまった。その言葉に対してプロイセンが言及してくれなければ、イギリスは『どうせ俺なんて』とそのまま殻に閉じこもってしまっただろう。
だからあの時イギリスの勝手に怒って帰ってしまわずに、あまつさえ『お前といるの結構楽しいからな!』と言ってくれたプロイセンを前にして少しは自分の軽率さを恥じたつもりだったのに。
またやってしまった。
イタリアの切ない胸の内を聞く内に、地中深く埋まりたいような気分に陥ったが、重ねられる言葉にそんな思いも少しずつ剥がれ落ちていって、次第にただ共感するように心が震えるのを感じた。ともすれば落涙してしまいそうで奥歯を噛みしめて眉間に皺を刻む。結局、語りかけられる言葉に堪えきれずに溢れてしまったのだけれど。

(イタリアは凄い、)

止め処なく溢れて来る暖かい滴りをぱたぱたと握られた手の上に零してしまいながら、イギリスは嗚咽を飲みこんだ。
大なり小なり大切なものを失う経験をしていない国の化身などいないだろう。
けれどもそれを乗り越えた上で、こんな風に言ってくれる奴なんてそうはいまい。
茜色の西日が後光のようにイタリアを照らして、暗い陰影のついた天使のような微笑みを前に、イギリスは握られた掌をぎゅっと握り返した。
頭が飽和してしまって難しいことは考えられなかったけれど、ただ許された気持ちで奥歯を噛みしめながら声も無く泣いた。
(ほんとに、てんしみたいだ)
イタリアが天使みたいだと言われていたのは知っていた。
イギリスとてイタリアの国や風土や芸術は好きだ。イタリア自身も嫌いではなかったけれど、それでも国の化身に向かって『天使』などと表現するのは莫迦げた事だと思っていた。
だってそうだろう。
国土の気質やその土地に住まう人々の集合体な自分達は、どうしても他者を傷つけずにはいられないでいる。先頭にたって敵を屠る事が常だった争いの時代を生きてきて、そんな天使なんて綺麗な化身が存在する筈が無い。その気質自体まで否定する気はなかったが、それでも『天使』だなんて大袈裟な。
そう、思っていたのだけれど。
彼らの言葉はあながち間違いではなかったのだろう。
(イタリアは すごい。)
こんな風に在る奴がいるとは露ほども思わなかった。
そしてその言葉をイギリスが全て受け止められるとも思わなかった。
(もし、もしも)
沢山汚れて、全身がハリネズミのように刺で覆われていたっていい、と言うのならば。
こんなイギリスが嫌いでないと言ってくれるのなら。
いつかリセット出来ない過去の傷が自分の一部として消えないのならば、それをそうと諦めるのではなく、どうかこんな風に他者を受け入れる為の準備としてあればいい。
…そう、初めてイギリスは自分の心に願いをかけた。
今、イギリスが救われているみたいに。いつか来るその時に。その時の為の傷と痛みであるのならば、耐えられる。
すぐには無理でも、きっと少しは変えられる。
この手は、誰かを傷つける為の刺ではなく、今握ってくれているイタリアの掌のように誰かを優しく包む手でありたい。
アメリカの時にはどうにも沢山間違えてしまったけれど。
とめどなく零れる涙をそっと片手を外したイタリアが時々払ってくれた。汗で湿った髪を梳いてくれて髪に柔らかいキスが降りた。
「あのね、イギリス」
返事も出来ないイギリスに「返事はいつでもいいからね」とイタリアが微笑んだ。
「でもね、なるべく休暇中にしてくれた方が安全なんじゃないかなって思うんだ〜」
「あっ…安、全…って?」
『付き合わないか』と言われた事を忘れて一体何の話だろうとしゃっくり混じりに問い返すと、イタリアは笑みを深くして「フランス兄ちゃん」と口にした。
「フラっ、ンス?」
「うん。今朝のあれってフランス兄ちゃんでしょ?」
「な、んで?」
イタリアは少しだけ困ったような顔をして「うーん」と唸ってから先を続けた。
「兄ちゃんが…、…会議の時にフランス兄ちゃん割って入って来たのが態となんじゃないかって言ってたし。プロイセンもなんかイギリスの事幸せに出来る適任者が他にいるって酷い顔して言ってたから、そしたら消去法でフランス兄ちゃんしかいないかなってゆーか」
イタリアの言葉に虚を突かれて、イギリスは瞠目した後ぱちぱちと瞼を瞬かせた。
別にイタリアがフランスの事を言い当てた事に驚いたわけではない。動揺はその台詞の中に思いもよらない名前が挙がったことと、その内容に違いなかった。
「プロイセン…?」
「ん?あー…。んとね。うん。プロイセンが諦めるって言ったから」
「!」
衝撃が胸をついて言葉を失った。
無理だと言って遠ざけたのは他でもないイギリス自身であるのに、その言葉に酷く自分が傷ついたのが分かって、さっと俯く。
自分で望んだ癖に現実として突き付けられると酷く苦しくて、痛い。
「…イギリス、辛い?」
イタリアの言葉には混乱したままふるふると首を横に振った。するとイタリアの駄目だよ、という言葉が降って来た。
「イギリス、俺には嘘をつかないで。弱くてもいいから。嫌いになったりしないから」
「…………」
「誰を好きでも、好きになっても構わないんだ。それこそプロイセンが本気なら応援してもいいかなって思ってた。フランス兄ちゃんの事は嫌いじゃないけど、イギリス泣かせそうだし、っていうか泣かせてたし、俺、誰か泣くの嫌なんだよ。だからイギリスにも泣いて欲しくなくて、泣かせない他の誰かの方がいいなーって思って。だからイギリスがプロイセンの事好きなんだったら、それが一番いいんだけど、でもイギリスはそういうのは無理なんでしょ?で、プロイセンは諦めるって言うから、だったら俺にしときなよって思ったんだ。だから『付き合わない?』って」
イタリアは説明を終えるとその頬をちょっと掻いてから、はっとたように顔を明るくさせて「でもね!」と笑った。
「ドイツでも俺の兄ちゃんでもいいんだよ?どっちともちゃんとイギリスを幸せにしてくれると思うんだ!」
「…は?」
「ドイツ凄いいい奴なんだ!厳ついし、ムキムキだし、怒ると怖いドSだけど、絶対幸せになれるって保証するよ!あ、あと兄ちゃんはね、素直じゃ無いし、すぐ怒るし、物凄く照れ屋で不器用だけど、本当は凄く優しいんだよ!俺の自慢の兄ちゃんなんだ!」
力説されて、イギリスは複雑な心境のままふっと笑みを零した。胸は未だ痛いままなのに、イタリアを目の前にするとそれが溶けてしまうようだ。何というか、イタリアは不思議な奴過ぎてどうしても心のテンポが崩れてしまう。例えば今目の前で起きたことのように、付き合おうと交際を申し込んだ相手がその口で他人を勧めるとは普通思わないだろう。でもこれ天然なんだろうなぁ、と思うと苦笑せざる得ないというか、仕方ないヤツだなぁと笑わざる得ないというか。そんな不思議な気持ちにさせられた。
「ははっ、何だよそれ。普通告白相手に他人を勧めるか?」
「ヴェ〜vVイギリスが笑った〜。やっぱり笑ってる方が可愛いよ〜!」
「なっ…かわっ…世辞を言ったって何も出ないんだからなっ?!」
イタリアのテンポに釣られてすっかり何時もの口調に戻りつつも涙目のまま睨めば、イタリアは不服そうに「えー」と唇を尖らせる。イギリスは頬を赤くしたままそっぽを向いて憎まれ口を叩くしかなかった。
「何だよ、出ないものは出ないんだからな」
しかし、イタリアである。
「そーじゃなくってー、イギリス可愛いなって思うのも、ムラって来るのもそれはそれで本当なんだけどー…」
「はぁっ?!だってお前…」
イタリア男だからイタリアなのである。どうしようもない台詞に焦ってイタリアを振り返ると、先程までぱっちりと開眼していた目をいつもの通りの間抜け面に戻して、
「イギリスが幸せになれるのが一番だし、燃え上がるような恋!っていうワケじゃないけど俺だって男の子なんだよー」
隣に可愛い子がいたら反応しちゃうよー、と言い放ってイタリアが情けない顔をするので、イギリスは反応に困った。イタリアの胸の内を聞いた後では先程のように無碍に『信じられねぇ!』と突っぱねることも出来ない。
(いやでも…えええ????)
だがどうしても、ムラっと来られて襲われる自分というものが一切想像できない。だって自分だ。イギリスだ。イギリスという事をうっかり忘れて外見だけに惑わされたというのなら話は分からないでもないが、イギリスだ。いくら『嫌いじゃない』と言ってくれたとて、それから派生する『付き合おう』を容認出来たとて、好意を持たれた上でそういう衝動の対象に成り得るとはこれっぽっちも想像出来ない。あからさまに誘ったというなら兎も角。肉欲以外の何か色々は理解の範疇外だが、イタリアの今の意味合いは肉欲以外の何かを含んでいるようにも聞こえて、戸惑う。
「何だったら試してみるー?すぐに本当だって分かるからさー」
「なっ!ちょっ!おまっ…!」
ずずいっと迫って来られて思わず仰け反った。
「えっ、ちょっ…」
「とりあえずちゅーだけにしとく?」
「いや、ちゅーだけに…って…」
「口にしてもいい?」
「あ、ちょっ…」
顔が近づいて唇が触れるかもしれないと思った刹那、
「イタリア貴様ああああ!」
「テメー!ベネチアーノイギリス様に何やってんだー!」
ドイツとロマーノが乱入して来て呆然とするイギリスを余所にイタリアはイギリスから距離を取ると、ぷんぷんと怒ったように頬を膨らませた。
「あっ、やっぱり聞いてたんだー!」
「へ?」
「さっき物音がしたから怪しいと思ったんだよね!いつからいたの!」
「え…あ…」
つまり、今のは二人を釣る芝居だったと…。
(何だよ驚かすなよ…)
うっかりどぎまぎしてしまったでは無いかと胸を撫で下ろした所で二人に文句を言っていたイタリアが振り返った。
「じゃ、イギリス!色好い返事待ってるね!」
それは何だ。キスをする事にか、付き合うことにか…。
先程のイタリアの押しを前にして、イギリスは迂闊に『どっちの?』と聞く事は出来ずに小さく頷くに留めることにした。


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