■【裁きの剣】■ 33

暗い穴蔵。
肉体にも精神にも自由は無い。
忌み嫌われた黒髪。


【裁きの剣】


「…魅上?魅上!」
「…………っはい!」
魅上は深い記憶の森から抜け出すと、慌てて申し訳ありません、と己の神に向かって謝罪した。
「どうした?具合でも悪いのか?」
魅上が気を抜くなど、ましてや月の言葉を上の空で聞く事など今までになかったから月が体調を伺って来る。魅上は勢いよく首を左右に振って否やを告げた。
「いえ、大変申し訳ありませんでした、不調はございません」
本当につい見たくもない白昼夢にうなされただけだ。
今はもう亡き王国の山地。
採掘された鉱石によって財を築いていたその国は目の前の青年によって救われた。
「……神は本当に慈悲深くていらっしゃる」
その青年…当時はまだ少年だった人物の名前は、夜神月。魅上の神。
魅上はまとわりつく不穏な残滓を振り払いながら無意識に手首をさすった。
かの王国で巡り合った時に戒められていた、その両の手首。
無骨な金属の重みは今でも忘れられない。
「そんなことはないさ」
敬愛をたっぷり噛み含められた言葉に月が小さく笑う。それに魅上は驚いて少しばかり目を見張った。
叱責を食らっておかしくない場合でも月は事情の忖度でもって慈悲深く扱う。それは出会った頃から変わらないけれど、なんだか赴きが違うようで魅上は少し戸惑った。
「まだ、忘れられないか」
そしてまた、いつもとは違った質問に魅上は戸惑いながら「はい」と答えた。
(…一体どうなされたのであろう)
思いながら無意識に手首をさする。
鉄で出来た重い枷、暗い黒から解放してくれた、神。その様子が最近可笑しい。
「…あの、神」
「ん?」
以前はもっとピリピリと張り詰めた何かがあった。昔なら、報告の最中にこんな態度を見せればその怠慢を咎められたか、そうでなかったとしてもこんな無駄な時間は費やさなかったろう。
「…何か心配事か?」
穏やかな聞き返しが少しだけ緊張を取り戻してくれた事に安堵しかけた時、「月くん」という声とノック音が重なって言い淀む。
「L」
「入っても?」
「勿論」
その言葉に魅上は月の顔を目を見開いて見やった。
今まで一度でも月と魅上の間で行われた秘密裏の打ち合わせに他人を同席させたことなど無かった。
信用されているのは、私だけ。
そう、思っていたからショックを受けた。
「…月くんが顔を出せというので来てみたら、肝心の月くんがいないので帰ろうかと思ったのですが」
「ごめん。でも探してくれて嬉しいよ。よくここだと分かったね」
「なんとなくです」
まるで花が咲いたかのような月の笑顔に魅上は眉間の皺を深くする。
苛々が胸の底に溜まって目が眩みそうだ。
「それ、何?」
月の言葉に、魅上もLが引っさげている包みに目を遣った。
「松田さんに途中でかりんとうをいただきました。食べますか?」
「いや、いいよ」
「食べますか?」
「…結構だ」
次に向けられた言葉が自分へのものだと知って、腹から押し出すように言い切った。
「魅上?」
その物言いに驚いたような月の声を聞いて、魅上はつと瞼を伏せる。
「…か…月さま。報告の方はー…」
また後程、と言って早く席を立とうと思った魅上に向かって、月は「続けて」と先を促した。
その言葉に更なる衝撃が身の内を襲って目を見張り、月を眺める。
月の言葉の意味が理解出来ず問うように顔色を伺うと、月は「いいんだ」と少しばかり口元を緩ませて頷いた。
(…………)
自身の神とも思っていた人間。その姿を息を殺して食い入るように見つめる。
(………何を、)
その神として崇めるのに相応な端正な面持ちに、人間臭さを感じて魅上は思わず一歩退きそうになった。
「…魅上?」
そんな魅上を怪訝とした様子で見上げて来る月に何事か告げようとした所で、存在を忘れかけていたLが口を開いた。
「どうやら招かざる客のようなので退散します」
「えっ…L!」
「お屋敷の方で待ってますよ。どうせ、私の事を話してなかったんでしょう?戸惑われるのも分かります。月くんは意外にそそっかしい、とりあえず出直して来ます」
では、と告げた男の目がひたと魅上を見据えて、ぞくりとした何かが体の中を走り抜けて行くのが分かった。
黒、
黒、
その闇の中の深淵。
あまりの不吉さに、魅上は震えた。
髪の色、瞳の色、その色一つで迫害を産んだとしても仕方ないと思える程の圧倒的な闇色。
(…この闇が滅ぼすのは、何だ)
…神よ、光を…
色を失った薄い唇を震わせるように故国に浸透した祈りを呟いた途端、その呪縛から解かれて、魅上はその場に崩れそうになるのを全力で留めた。


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