■【裁きの剣】■
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見るのも嫌になるぐらいの甘味を全て腹に収めるのを見て、魅上はLと分かりあえる日は永遠に来ないだろうという確信を深めたのだった。 【裁きの剣】 女性ばかりの店に入るのは気が引ける…などど軟弱な事は言ってはおられず、使命感に突き動かされて入店した魅上の周囲の席はLの席周り同様、奇妙な空席を生んでいたが、幸か不幸か魅上はそれに気付く事はなかった。 (…しかし聞こえん) 目立たぬように隅の席を選んだはいいが遠すぎるのか、彼らの会話は一言さえも魅上の耳に触れはしない。 ただ唯一、滅びの兆しについて分かった事といえば、彼が相当な甘党という事くらいだろうか。 (いや、それもカモフラージュかもしれないではないか) 例え、以前かりんとうを勧められた事があったとしても、彼を尾行中に何度も甘味を買い食いしている姿を目撃していたとしても、秘密を隠す為の布石で無いとは断定できないだろう。 気を引き締めてかからなければと、渋い顔でブラックコーヒーを啜っていると、漸く彼らが席を立つのが見えた。 やっとここを出られると思うと、嘆息を漏れた。一瞬崇高な任務に当たっているのに不謹慎だと自分を戒めたがそれとこれとは別な気もして再び緩く息を吐く。 甘いものが苦手なのだ、仕方ないだろうと思った。神を守る為とはいえ、胸焼けがしそうな、脳が溶けそうな甘ったるい匂いが嫌いだという事実が変わるわけではない。魅上にとっては拷問のような時間だった。 そんな思いを呼吸に乗せ、肺の奥にまで染みわたった甘さを吐きだしながら手早く会計を済ませる。その際甘味屋に入っておきながら、ブラックコーヒーしか頼まなかった客に渋い顔をしている定員の表情には気付かなかった。 そんなに時間を空ける事なく店を出る。注意しながら店を後にすると、目の前で別れる滅びの兆しを見つけた。一瞬どちらについて行こうかと迷う。 (ここに部下がいればな…) 思いはすれど、今日は休日。最近は忙しくてろくな休みも無かったが、戦争の準備も八割方終えた今日は部下にとっては本当に貴重な休日だという事は理解していた。 (何しろ神のお達しもあった事だしな) 明日の為に今日はゆっくり体を休めろ、と言われてしまえば、余程の急場で無い限り、魅上は自分の部下を引っ張り出せない。しかも尾行するのが神の友人なら尚更だ。 そんなワケで滅びの兆しが老人と合流してから、決めていた通りに彼自身の尾行を続行した。密会の相手に附いて行って、フェイクでしたでは意味がないし、国から出られても厄介だ。密会相手の素姓ならば後日人を使って調べさせれば良い。 (…しかし怪しい) 今まではこの国では見かけない民族衣装なるものを着続けていた相手がある日を境にして自国のものへと切り替えてくる、というのは、どう考えてもこうした尾行を撒こうとする行動にしか思えない。 もしかしたら、大臣の権限で動かす事の出来る隠密部隊にでも目をつけられていて、それの対策だとすれば合点がいく。 (なにせ女王に切っ先をむけた相手だからな…) 魅上とは別に今も見張りがついていてもおかしくはない。 (いたとすれば、その情報を流して貰いたいものだが…) いると決まったものでもなく、いたとしても魅上には預かり知らぬ所だ。切迫した状態で神に聞けばあるいは教えて貰えるのかもしれないが、現段階でトップシークレットを簡単に口にするような神でも無い。 つまりは、自分で尾行するしか無いのである。 (…) しかし所詮は素人。人を動かして情報を得るのは得意でも、自分で動くのはあまり性にあってはいないし、慣れてもいない。 つまり見失ってしまったワケである。 (…神よ…不甲斐ない私をお許し下さい…) 今すぐ失態に涙して跪いて許しを請いたい気分であるが、そんな悠長な事をしている時間は無い。すぐに探しださなければ。 賑やかな通りをにくまなく視線をやる。見落としたり追い抜いたりしないように、また脇道にも目をやりながら足早に人の波を縫っていく。 乾燥した空気が目に痛い。それでも目を凝らして進んでいく。 (しかしいくら何時も尾けている時よりも人が多いと言ったって、今日まで地道に尾行のスキルをあげていたのだ。今まで見失った事も無い。…と、いう事実から導き出される答えは、つまり滅びの兆しが撒く意志をもって撒いたという事の証明ではないだろうか?) しかし、敵が意思をもって撒いたとすれば、見失ってしまった事実は非常に痛恨な失態である。魅上はぎゅっと唇を噛んで苛立ちに耐えた。 (一刻も早く探しださなければ…) これは、血道をあげて捜索するしか無いだろうと決意したと同時に肩を叩かれて振り返る。 「…迷子になって貰っては困ります」 そこに滅びの兆しがいて、魅上は思わず飛び上がった。 「…な、な、何故お前が…」 「気がついたらいなくなっていたので、探しましたよ」 「な、な、な、なん…だと?」 「尾行、向いてないんじゃないですか?」 急に現れた敵に、思わずどもる。しかも尾行を指摘されて一気にパニックに陥った。 「勝手に迷子になった挙げ句、これ以上覗き見をされても困ります」 「は、いや…、……、…何!やはり、尾行されては困る事があるのだな?ああ、神よ!私は間違ってはいなかった!」 滅びの兆しの言葉に不穏な単語を嗅ぎつけて頭を働かせると、墓穴を掘ったであろう敵が非常に嫌そうな、しかしどこか呆れた顔をしてこちらを見つめて来たが、言質をとった魅上は頓着しなかった。 「その格好も私から身を隠す為…!言質をとった私の勝ちだ!」 「…貴方、自分の信じたいものしか信じない性質でしょう…」 なんだかとても残念そうな顔で溜め息をつかれた。しかしそれで誤魔化される魅上では無い。 「言え。誰と会っていた。何を企んでいる」 「…今まで会っていたのは私の育ての親です。因みに月くんにもちゃんと告げてますよ。…あと、普通は自分のプライベートをこそこそ嗅ぎ回られて愉快になる人間などいでしょう。その迷子になった尾行者をわざわざ探しに来る容疑者もいないとは思いませんか」 「だが、油断させる罠かもしれないではないか。しかもお前は『困る』と確かに発言した。確かに自分のプライベートを探られて愉快な人間はいないだろうが、『困る』と答えたことに違和感を感じる。するっと本音が出たのではないか?そこは『不愉快』と答えるのが正しいのではないか?」 きっぱりと毅然とした態度で告げると、敵は闇に引きずりこもうとするかのような黒曜の瞳でこちらの様子を窺って来た。まるで死に誘うかのようなとろりとした甘さを湛えた黒に引き摺り込まれないように、魅上は気を引き締めて睨みつける。 「仕方ないですね。論より証拠です」 滅びの兆しはそう告げるといきなり背を向けて歩きだした。魅上は一瞬慌てたが、急いで後を追う。間もなく誰もいない路地に連れこまれて眉を潜める。もしかしたら暗殺されるのかもしれない。腕は以前、宮殿で見たことがある。腕が立つのは知っているが…。 しかし、魅上とて簡単にやられる程弱くは無い。生き残る事くらいは出来るだろう。そしてそれを伝えれば神もお考えを撤回して下さる筈だ。 相手は卑怯な輩だが、それが魅上にとって利であれば、飛び込むしかない。それもこれも神の為なのだ。 魅上が腰に穿いた剣の柄に手をやると、滅びの兆しは「こんな趣味はないんですけどね」と往生際悪く口にした後、何故か剣にでは無く服の裾に手をかけた。 (暗器か?!) しかし、敵はベロリと服を捲ったまま動かない。魅上が意を図りかねて注視すると、「分かりましたか?」と言って服を元に戻した。 「…何がだ。」 「…暗いので見えませんでしたか?仕方ないですね」 また敵が肌を露出してみせた。罠の可能性が無いではないが、適度に距離もおいてある事だし、先ほどより更に目をこらす。よく見ると、赤い斑点が体中に散らばっていた。 「…虫刺されがどうした?…はっ!それとも未知の病気で以て神を不治の病に罹患させようという魂胆か…!」 「…童貞でしたか。それはすみません」 「……」 言いあてられて思わず押し黙ると、すみません、と言いつつ悪びれもしない態度で「キスマークですよ。ご存知ありませんか」と問われた。 「聞いたことは、あるが…。肌に吸いつく事で圧迫された毛細血管が壊れて出来る鬱血の事だと理解しているが」 「…まあ、そうですね。それで導き出される答えは、さて何でしょうか?」 「…」 「貴方がご存知の通り、私は月くんとしか二人きりになっていません。そしてこの痕は一週間くらいで消えるものです」 「…」 「流石に情事を覗かれるのを良しとする感性は持っていません」 「…しかし」 「罠だと思うなら、それも結構。知った上で覗くというなら止めもしません。しかしあんな顔をしておいて、月くんは結構野獣ですから、事が始まるのが月くんの寝室だけとは限りませんので、その辺はとりあえず、覚えておいて下さいね」 そう告げると、敵は魅上を残して去って行く事はなく、真っ赤になった魅上の顔を無遠慮に眺め続けていたのであった。 ≪back SerialNovel 後書き≫ TOP |