■【タイム・リープ〜月の選択〜】■ 11

【タイム・リープ】
〜月の選択〜#11


月が壁の外にいる竜崎に目を剥いて呆然と眺めていると、竜崎は顔色一つ変えずに口を開いた。
「やはり無理なようです。頼みましたよ、月くん。月くんなら大丈夫です」
私はここで足掻いてみようと思います、と続けて、竜崎が初めてニコリと笑った。それから体を翻す。
「ちょ、待てよ!!待って、竜崎!!!」
光のトンネルの入り口が急速に黒に蝕まれていく。だがその恐怖よりも竜崎が視界から消えたほうが堪えた。
外には確実に近い死が待っている。けれども月は黒に蝕まれていく、たった今入ったばかりの光の入り口に飛び込んだ。もう一度潜りなおしたのだ。
途端に視界が暗転して、トンネルの姿が月の視界から消えた。変わりに凍りついていく風景と、意味不明の言葉を叫びながら銃口を向ける男の姿が目に入った。
先日受けた衝撃が脳裏を過ぎる。次の瞬間、全身に衝撃が轟いだ。
「早く、中に入って!!死にたいんですか!!」
鋭い叱咤に促されて状況を把握する。どうやら今のは狙撃されたわけではなく、竜崎が月を守るために抱えこむようにしてベランダに落下した衝撃のようだった。素早く下敷きにしていた竜崎の上から飛びのくと体勢を整え、月は室内に転がりこんだ。
竜崎と月しか知らない次の階へ上がるための防火用のシャッターの開閉パネルを開き、手動の暗証番号をあわせる。カチリと音がして、動かせるようになったやはり手動のハンドルを竜崎が回してシャッターが数十センチ開いた。
今度は月がその中を潜る。竜崎を半ば引き摺るようにして潜るのを手伝った。連携プレイでタイムロスを最小限にしながら、生き残るために尽力していると、転ぶようにベランダに入りこんで来た男に気がついて、月はつと視線を流した。
迷う。
男を助けるべきかどうか、迷った。
「死にたくない!」と男が叫んだ。
だが、男の周囲が既に凍り始めた。
「月くん!!」
既に次の階と駆け上がって、閉ざされたシャッターを開口した竜崎の声に、月は息を呑んだまま身を翻した。
滑るようにして次のシャッターの隙間を潜り抜けて、更にその次の開口に取り込んでいる竜崎に代わって、パチパチと凍りついていく潜ったばかりのシャッターを閉じる。
空気を遮断してしまえば、この建物が凍りつくのを遅らせることができる。
その為か、絶命したのか、もう姿が見えない男の声がピタリと途絶えた。男の命を奪ったであろう冷気が忍びより床を次々に凍らせていく。
「開きました!」
月が潜り終わったシャッターを閉じ終わったのと同時に竜崎が叫ぶ。階の移動を阻むシャッターは元々出入り口としている階から数階分までしか閉じていない。防寒用にも防犯用にもそれ以上は必要なかった。後はもう開きっぱなしにしてある非常用階段を冷気を遮断するために閉じることに専念して上階へ目指して駆け上がった。
「竜崎は先に部屋へ!火を熾して!!」
はい、という歯切れのよい返事と共に竜崎が先に階段を駆け上がっていく。
一階ずつシ確実にャッターを下ろすことに専念する頭に、先ほど脳裏に刻まれた男の恐怖の雄叫びがこだまする。次いで死の恐怖がまざまざと月の心に忍び寄って、ぶるりと震えた。
『嫌だ…!!』
と男は叫んだ。
『死にたくない!!』
とも叫んだ。
『誰か!』
『誰か!!』『誰か!』『誰か!!』『助けてくれ!!』
死ぬのか!?僕は死ぬのか!!…い、いやだ!死にたくない!やめろ!嫌だ!いやだ!!なんとかしろ!!手はあるんだろ!リューク!!
男の最期が自分の死とダブる。
「い…逝きたくない…」
あの時は、もっとドス暗かった。埃っぽいYB倉庫で、理解されぬ憤怒と突きつけられた恐怖に身を震わせたのだった。
今回は足元から白い死が近づいるのが分かる。
心臓が競りあがるような感覚に襲われた。
「しにたく…ない…」
胸がバクバクと心拍数をあげ、息苦しさに喉が詰まる。
心臓麻痺を起こした瞬間を思いだした。

どうして、こんな事になったのだろう。

あの時、ノートを拾ってさえいなければ?
ノートを拾っても、使わなければ?
すぐに所有権を放棄していれば?
ノートさえ奪われなければ?
魅上が策を失敗しなければ?

心臓が引き攣った瞬間を思い出して、月は胸を押さえた。

どこがターニングポイントだったのだろう。
誰にとっても最良の未来はどこにあったのだろう。
ただ、少なくとも…。

月が、竜崎にさえ、出会わなければ。
ノートを棄てることさえ出来ていれば、

………心臓麻痺なんて、こんなに痛い思いなんて、させることはなかった。

痛かっただろうと思う。
さぞ苦しかっただろう。
怖くはなかったか、恨みはしなかったか。

僕は、恨んだ。

なのに、どうして、お前はそれでも傍にいてくれるんだ。
なんでもない顔をして。それがさも当然のように。
大丈夫です、なんて。
頼みます、なんて。
償いはするつもりだ、という月の言葉なんて信じて、一人で。

チクショウ、と声が出た。
チクショウ、チクショウ、こんなところで終わってたまるか!と唇を噛んだ。
(お前一人を残していけるか…!!!)
(二度も一人になってたまるか…!!!)
(背負うのも、背負わせるのもご免だ…!!!)

ギリっと月は前だけを向いて走った。
もう走り続けることに不安はなく、足に力が漲った。

目の前に二つに分かれた道がある。
一つは倒れた竜崎をこの腕に抱きとめて嗤っている、道。
一つはその手を取って一緒に走る、道。
竜崎ならば最後まで、月と一緒に走ってくれるだろう。

ここに来る直前、月は竜崎さえ道を誤らなければ、と思った。
だが、月自身にも選択権はあったのだ。当たり前のように。
竜崎の傍にいて。
竜崎自身の事を知って、理解して。
そうしていれば、良かったのだ。
だから今度は、月が以前選ばなかった道に足を向けた。
走って、走って、我武者羅に走りぬく程に暖かい空気が月を迎えいれる。

「月くん!」

竜崎が月の足音を聞きとめて、扉を開けた。
月はその手を取り、尚も走る。
幾つもの運命のドアを閉ざし、退路を断った。

ぜえはあと息があがる。
二人で過ごした部屋の、更に小さな世界に飛び込んで、最後の扉を閉めた。
炎の燃え盛る部屋の隅に飛び込むようにして逃れ、背後をみやると、間一髪で閉めたばかりの最期の扉が凍っていくところだった。竜崎の体を抱きしめ祈るように凝視する。やがてソレは速度を止めると、ゆっくりと炎に溶かされたように少し後退した。
助かったのだ。
凍結を免れた二人はそのまま縺れるようにしてお互いの無事を確認した。

「月くん…」
「……な、に?」
ずっと走り通しだったために息があがっていた月が切れ切れに返す。
そこにひたすらに静かな声が響いた。
「帰らなくて良かったんですか?」
「………」
月は大きく呼吸を整えてから口を開いた。

「お前まで僕を一人にするつもりかよ。」

そして微笑む。




「お前がいないなら、帰れなくていいよ。」

「帰らなくて、いい」


≪back SerialNovel 後書き≫

TOP