■【タイム・リープ〜凍結氷華U〜】■ 10

泣きじゃくる、声がする。
粧裕は小さい頃、しょっちゅう泣いていた。
お休みの約束を反故されたり、運動会や父兄参観に来てくれなかった夜、昼間に押しつぶした寂しさを抱えて、密かに月の寝室に潜り込んでは泣いていたものだ。

【タイム・リープ】
〜凍結氷華U〜#10


「大丈夫ですよ、粧裕さん。心因性の発作ですから、死んだりしません」
「でもっ、でもっ、こんなに真っ青になって…、何でなの?本当にお兄ちゃんは大丈夫なのっ?!」
「ええ、大丈夫です。顔が真っ青なのも、貧血を起こしただけですから、心配ありません。じき目を覚まします。…粧裕さん」
「な、なんですか?」
「粧裕さん、月くんの傍についてくれますか?」
「はい!勿論です!こんなお兄ちゃん放っておけません…!…え、でも、竜崎さんは?お兄ちゃんの傍にいてくれないんですか?」
「…すみません。すぐに大吹雪になりそうで、早く相沢さん達を見つけなければならないんです。」
「…でも…!」
竜崎さんは、お兄ちゃんの恋人なんでしょう?
そんな無言な声が聞こえた気がして、月は眠りの淵をたゆたっていた意識を引き摺りだして、「粧裕」と呟いた。
「お兄ちゃん!」
「月くん。目が覚めましたか」
「ああ…ごめん、竜崎。粧裕も。…粧裕、我侭を言うんじゃないよ。竜崎には、やるべきことが、あるだけだ…」
「そんな」という粧裕に、月は弱々しく微笑むと「心配かけてごめん」と謝罪を口にする。情けないったらありゃしない。
まだ頭がぼんやりとして、出来るだけゆっくり身を起こすと、粧裕がそれを押し留めようとするので制止する。軽く頭を振って瞬きを繰り返した。
(大丈夫、ちゃんと息が出来るー…)
そう思うと、途端に呼吸も楽になった。
「…竜崎、僕はもう大丈夫だから―…、一緒に連れて行ってくれ」
「………」
「何言ってるの?!倒れたばっかりじゃない!!」
蒼白な顔をした粧裕の頭をくしゃりと撫でる。
「心配してくれて有難うな。でも、本当にもう大丈夫だから」
粧裕の大きな瞳に再び涙が浮かぶ。
「ごめんね、粧裕」
ぽんぽんと背中を叩くとゆっくりと立ち上がった。
「僕はいかなくちゃ」
粧裕の揺れる瞳が月を追って来て、月はその場に立ち止まった。
(僕達兄妹はずっと父さんの背中ばかり見ていたな…)
いや、背中さえも見せては貰えなかった。朝早くに出て行くことも多く、帰るのはいつも遅くだった。それがどれだけ寂しかったことか。
でも、粧裕ももう大人だ。分かってくれる。
ふと、廊下の先が賑やかになった。
「…?相沢さん達が戻って来たのかな?」
ワタリが探しているといっても、一人では無理がある。吹雪く前に戻って来てくれて良かったと安堵しながら揃って廊下に出た。粧裕も涙を拭って立ち上がる。
『相沢さん』『松田』『竜崎』『月くん』などという単語が聞こえて、やっぱりか、と足早に廊下を進む。
角を曲がると、広間に集まった人々と相沢の顔が見えた。次いで、黒髪の―…。
その黒髪の、大人しめの、だが意思の強そうな女性の瞳が、まるでスローモーションのうようにゆっくりと見開かれた。
唇が戦慄くのが見える。
「お帰りなさい!ナオミさん!」
その瞳は駆け寄った粧裕を映してはいなかった。ただ、驚愕に満ちた貌で、まっすぐにこちらを見つめ―…。
「…キラッ!」
と、叫んだ。


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