■【Lovers】■ 30

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 英


瞼に柔らかい光を感じて、イギリスはとろとろとした微睡に寄り添うように思考を揺蕩わせた。
(…あさ?…)
朝の光は日中に比べてどこか優しい。
町もまだ起きだしてはおらず、小鳥の囀りが耳に心地よい中で、時々家の中から物音が聞こえた。
(…フェアリー?)
自分以外の気配にイギリスはゆっくりと瞬きをしながら思考を巡らした。
蜂蜜でも強請りに来たのだろうか?
それともイギリスの為に、ブラウニーが朝食の用意でもしてくれているのだろうか?
それかー…
「イギリス」
「!!!!うわっ!!!」
扉の外から聞こえた声に驚いて飛び上がって、うっかりベットから落下してしまったイギリスは、「痛ってぇ…」と小さく呟きながら立ち上がって、大きな物音に驚いたらしい扉の外のドイツに「大丈夫だ」と声をかけた。
「おはよう、ドイツ」
「ああ、おはよう。それより…」
急いで扉を開けて顔を覗かせれば心配そうな顔をされたので、イギリスは曖昧に笑って釈明をすることにした。
「悪い。ちょっと寝ぼけて…落ちただけだ。受け身とったから、気にするな」
「…そうか?ならばいいが…」
「ああ。悪いな。わざわざ起こしに来て貰って…。すぐに支度をするから」
「分かった。イタリアには伝えておく」
必要最低限の会話を済ませて去っていく背中を見送って、イギリスはため息をついてその場にしゃがみ込んだ。はあ、と大きなため息をついて頭を抱える。
(…バカ。アイツな筈が無ぇだろ…)
ドイツ語訛りの『イギリス』の呼び声に、一瞬プロイセンだと勘違いしてしまって落っこちたなんて、恥ずかしくて言えるわけがない。
(…っとに!)
小さく歯噛みをして頭を掻きまわす。
たかが一週間しかいなかった癖に、この惑わされようは一体何だ。
『イギリス』
お泊りの最後の朝、イギリスは甘ったるいプロイセンの声で目を覚ました。
ミルクティの香りに鼻先を。少しかさついた指先に頬を。蕩けるような声音に耳元を擽られながら目覚めた瞬間、とても幸せな気持ちになった。
キシッと淵に座るプロイセンの体重にベッドが鳴き、『長く使って来たからそろそろメンテナンスする時期かな…』なんてことを考えながら、そんな些細な日常が酷く擽ったかった。
つい一昨日の出来事が胸に甘い。
たった一週間。
たった一夜のことなのに。
これからも、忘れられる気がしない。
(何やってんだよ…)
折角プロイセンが諦めてくれると聞いたのに。
なのに、それを望んだ本人は、うっかりプロイセンの夢を見たりしてロマーノに迷惑をかけたり、ドイツの声をプロイセンのものだと錯覚したり、とんだ体たらくである。
(あんなのは一夜の夢だろ、バカ…)
そうだと自分にいい聞かせて、頭に浮かぶ顔を強引に振り払った。
きっと忘れられる。
忘れなければならない。
(イタリアも協力してくれるって言ってるんだ…)
『ちゅー』どうこうは冗談にしても、あの胸の内が嘘だとは思えない。
イタリアの気持ちが変わらなければ、プロイセンの事は上手に諦められて、イタリアとは恋人でなくとも心穏やかに過ごせるかもしれない。
いつだって、羨ましく思っていた。
日本が、イタリアやドイツと穏やかに笑い合っているのが、とても羨ましかったのだ。
この輪の中に入れれば、寂しさだって紛れるだろう。
今度こそ、きっと、上手くいく。
イギリスは小さく吐息を吐きだすと軽く頬を叩いて、着替える為に立ち上がった。
媚びるつもりは無いけれど、せっかく色々選んでくれたのだ。
イタリアの選んでくれた服を着てみせるのが、今のイギリスに出来る最善の事だと買い物袋に手をかけた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 独

「あの、さ。片づけは俺にさせてくれないか?」
朝食も終わり、食後のコーヒーを啜っている最中にイギリスが気まずげにぼそりと告げるのが、ドイツには少し意外に思えてパチリと瞬き一つイギリスに視線を向けた。
「お客さんだしいいよ〜って言いたい所だけど、そうだな〜」
「べっ、別に食器を壊したりなんてしないんだからなっ!!」
イタリアがこてんと首を傾げながら考えているのに、何を思ったかイギリスは顔を赤くして反論している。あまりの勢いにびくっとなったイタリアを視界に入れながら、まったくこちらを向いていないイギリスの横顔を観察して、ドイツは『ふむ』と考え込んだ。
これは恐らく、暗黒物質だの食物兵器だのと言われている自身の料理スキルの評価に対する牽制なのだろう。
(なんというか…不器用な奴だな…)
イタリアはまだ何も結論を言ってはいないのに、わざわざネガティブキャンペーンをしなくともいいのではないだろうか、とドイツは思う。
よしんば先回りしてのアピールにしても、そんな剣幕であるのはイタリアにとっては逆効果なのではないだろうかと推察しながら見守っていると、
「そっか…、それじゃあ、頼もっかな?」
ここ二日間のアレコレが効いたのか、イタリアの順応率が上回ったのか、イタリアは反射でびくりと震えたようだったが、すぐににぱっと笑って快く頷いた。
(そういえば、コイツは俺相手の時もこうだったな…)
会った途端、泣き叫んで親戚がどうこうなどと言っていたが、すぐに慣れてドイツが監視しているというのに歌っていたり寝ていたりしていた奴だ。何か一歩でもイタリアの恐怖の境界線を越えることが出来たのならば、打ち解けるのが異様に早い。それがイタリアなのだ。
だから、これはもしかすると、イギリスとそこそこ相性がいいのではないだろうか。
(ふむ…)
昨日の会話や行動を見る限りでは、その可能性は十分あるだろう。
問題はイギリスであるが…。
「まっ、任せとけよ!あっでも別にお前の為じゃなくて俺が借りを作るのが嫌だからってだけだから勘違いすんなよ!」
まだ顔を赤くしたままイギリスが叫ぶようにして言って、言い終わった後でしょんぼりと顔を俯けるのを見ながらドイツは苦笑する。
問題はイギリスなのであるが、なんというか、行動と思考のパターンが分かってしまえば、イギリスはなんというか、随分と解りやすい奴らしい。
今まで突っかかるような言い方をしていたのも、ただ素直に言えなかっただけなのだろうと思えば、不器用な奴だなと苦笑するばかりだ。
それはイタリアも一緒だろう。
現に今も目の前で「ありがと〜」と笑っている。
そしてイギリスはといえば、口をパクパクさせて何か言いたげに顔を上げたり俯けたりと忙しそうだ。
「洗ってくる!!」
「では俺も手伝おう」
「べっ、別に俺一人で…!」
「いや、俺も今朝は何もしていないからな…」
結局自身の感情をうまく言葉に出来なかったのであろうイギリスが、勢いよく席を立つのを追って立ち上がる。
「手伝わせてはくれないか」
「そ…そういうことなら…仕方ねぇな…」
手伝うのに『仕方ない』などと言われるとは思わなかったが、「では片づけるか」とツッコミもせずに促すと小さく頷かれる。
隣に立って役割分担を話あいながらドイツは少しだけ目を細めてイギリスを見やった。
今までドイツが気づかなかっただけで、友達付き合いをするだけなら、イギリスはさして扱い辛い人物ではなかったようだ。
二人きりで会う時はいつも国の用事だったから、会議の時のようなやかましさが無くともこんな姿を見せたことはなかったし、その後プライベートで特別飲みに出かけようという事もなかったから知らなかったが、こうやっていつも自分の失言にしょんぼりしたりしていたのかと思えば、今までの強気な態度もなんだか愛らしいような気がしてくるから不思議なものである。
(なんというか、知れば知るほどほっとけない気分にさせる奴だな…)
イギリスと共にキッチンに並びながらそんなことを思う。
イタリアがそんな気持ちにさせる代表のような存在であるが、まさかイギリスに対してまでこんな風に思う日が来るとは、人生わからないものである。
シンクの高さの関係でイギリスが洗った皿を拭きながらドイツは微かに苦笑する。
まあ今までだって、思いもよらないことばっかりだったのだから、これくらいならば許容範囲だろう。
男が突然女性化してしまうという事は、未だもってドイツの理解できるところではないが。
(とりあえず、一月はお互いゆっくりと休暇を楽しむべきだろうな)
イギリスもドイツ同様仕事には真面目に取り組むタイプなので、恋愛云々は置いておいて、骨休めする必要がある。
そしてドイツにいる兄には、ドイツなりの配慮をしておいた。お互い充実した日々になればいいと、ドイツは思う。
「イギリス」
「…なんだ?」
「イタリアはいい所だぞ」
ゆったりとした気持ちで言えば、イギリスが驚いたように目を瞬かせ、イタリアは嬉しそうに「ヴぇ〜」と鳴いたので、ドイツは少しだけ笑ってみせた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 仏

「ちょっと〜、暫く動け無いってどういう事なのプロイセン〜」
そんな連絡を受けたので、ドイツまで足を運べば、その家の主の片割れが嫌そうな顔で無駄にゴツイ扉を開けてフランスの前に現れた。
「だから仕事だっつってるだろーが!邪魔すんなっつーの!」
「だってプーちゃん今まで仕事なんてほとんどしてなかったじゃない!」
「んな事言ったって、会議の報告書出しに行ったら、とっ捕まって山ほど仕事押し付けられたんだから仕方ねぇだろ!」
はぁ〜、と盛大な溜め息を吐いてプロイセンは面倒臭そうに頭を掻き回すと、顎でしゃくってフランスを室内に入るように促した。
「お邪魔しま〜す」
一応礼儀として声を掛けて、「あ、これ手土産ね」とケーキの入った箱を渡すと、プロイセンは短く「ダンケ」と呟いてコーヒーを淹れにキッチンへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、フランスは適当にリビングのソファに腰を下ろして小さく溜め息を吐く。
「なんだぁ?どうしたよ」
一応声はかかったものの、かなりどうでも良さそうに後姿を向けているプロイセンの背中を見ながら、フランスは口元に笑みを佩いてそれに答えた。
「ん〜?世の中上手く行かないなぁ…って思ってねー。神様はちょっと突き指とかし過ぎなんじゃないかなー」
「泣き言とは珍しいじゃねーか」
サイフォンを仕掛けてカップを用意し始めたプロイセンがケセセと笑うのに、フランスは「そうねぇ…」と曖昧に相槌を打つ。
「…で?なんだよ用件は?」
芳ばしいコーヒー豆の匂いが立ち込める中、いっそ清々しいほど単刀直入に切り込まれて、フランスはその野暮ったさに苦笑して肩を竦めてみせながら、プロイセンに向かって苦情を向けた。
「…お前その『仕事で動けない』ってどういう事なのよー。ドイツに妨害でもされちゃったのー?」
「ばっか、お前俺様の超可愛いヴェストがんな事するワケねーだろ!…まぁ、手回しが無かったとは言わねーけどよぉ…」
「何そのブラコン眼鏡。手回しって普通イコールで妨害って言わない?」
皮肉に口元を歪めて言うと、プロイセンは『はぁ、』と盛大な溜め息を吐いてキッチンカウンターに立ったまま、若干憐れみの籠もった目でフランスに視線を投げた。
「…お前なぁ、どんだけ余裕が無いんだよ。何時もの狐っぷりはどこいった。そんなにイギリスに振られたのが痛かったのかよ」
「…なにー。自分だって振られてるのは同じでしょー。なのに随分余裕綽々じゃなぁい?イギリスはあれで天然のタラシだから、そんな余裕ぶっこいてたらあっさりかっさらわれちゃうよ♪」
ニコリ、と優雅な笑みを向けると、お茶の準備を終えたプロイセンが薄く笑いながら「分かってるっつぅの」とフランスの前にコーヒーをサーブして真向かいに腰を下ろして言った。
「でも実際仕事あんだから仕方ねぇだろうが。ヴェストも悪気があったワケじゃねぇ…つうか、寧ろ俺様の事を思ってやってくれた事だし、上司にも偶にはヴェスト、しっかり休ませてやれって釘刺されてるし。仕方ねぇだろ」
「お前アレだよね、仕事と家族愛を優先して恋人に振られるタイプだよね。もっと自由に!愛!に生きるべきだと思わない?」
「黙れ、ストライキ大国。…で、テメェはその自由さに措いてどんな抜け駆けを試みたんだよ」
「抜け駆けだなんてお兄さん超心外!ただちょ〜っと、仕事装ってイタリアに電話かけてみただけじゃ無い!」
「抜け駆け乙。…で?どうだったよ」
「『あ、フランス兄ちゃん?今、俺達楽しい休日中であります♪今もね、イギリスと楽しいクッキング中なんだ♪色んな意味で目が離せなくてとぉっても忙しいから、また1ヶ月後に電話ちょうだいね〜チャオ〜♪』…でガチャン。俺の可愛いイタリアはどこに行っちゃったの?!」
「イタリアちゃんが可愛いのは認めるが、お前のじゃねえ。…つか、流石イタリアちゃんだぜ〜」
「何お前感心してんのよ〜」
ケセセと、心底楽しげに笑うプロイセンに呆れながらジト目で見やれば、
「だってよぉ。あのグルメなイタリアちゃんがイギリスと一緒に料理しようってんだから心得てると思わねぇ?お前に有無を言わせずちょっとだけ情報告げて切る所も流石だけどよ」
と、ニヤつかれた。
フランスは愛の使者だからイギリスとは違って滅多な事ではド突いたりはしないが、なんだかちょっとド突きたい。
そんな欲求を小さなため息に逃がして、フランスは頬杖をついた。
「…イタリアって昔からあれで外交上手いんだよねぇ」
「確かにな。…んで?とりつく島もねぇ…ってんで俺様焚き付けようってわざわざウチに来たワケか」
「…お前ってドイツと違って可愛いげがないよね…」
「はっ!伊達に乱世生き抜いちゃいねぇよ。んで、スペインはどうした」
「スペインも仕事〜。流石に議長国だけあってすぐに休暇は無理なんだって」
「さもありなんって所だな。…で、ヤキモキしてると」
「別にお兄さんヤキモキなんてしてないよ〜?ただ、お前が動けないっていうから同盟相手として様子見に来ただけ〜」
「ふぅん。俺様はすっげえヤキモキしてっけどな。アイツ天然だし凄ぇ絆されやすいしよ」
「…狸」
「なんだよ狐」
ふてぶてしくニヤリと笑うプロイセンを前にしてフランスは肩を竦めてカップに手をつける。
フランスはイギリスとも昔年の仲であるけれども、プロイセンとだってかなりのアレコレが降り積もっている。
こうやって面と向かって駆け引きする事は、プロイセンが第一線を退いてから無くなっていたから忘れがちになっていたが、こうして対峙していると現役時代を思い出すくらい、やっぱり彼は『プロイセン』だった。
ドイツも国だけあってそれなりに凄いヤツではあるが、やはりこの目の前の兄にはまだ届いていないという印象が色濃くフランスの胸に立ち上った。
(…イギリスが本気になったのがコイツとか…。本当よく俺の前に立ちはだかってくれるよね)
苦みを飲み下して、カップをソーサーに戻す。
でも、こちらは美と愛のフランス様である。
プロイセンに通じた試は無いが、女も男も虜にする魅惑的な笑顔を意識的に浮かべて口を開く。
「お前が仕事なのは分かったけど、同盟組んでるんだから、作戦くらいは練る時間取ってくれるよね」
「お前がメシ作るなら泊めてやってもいいぜ?」
「じゃあ、とりあえず、今日は泊まっていくわ」
今までイギリス関係ではここまで譲歩したことはないけれど、ここが正念場。
狙うは漁夫の利。
目だけは笑わずに視線を交わして、お互い口元に笑みを浮かべた。



≪back SerialNovel 後書き≫

TOP