■【らぶラブらぶ】■ 01

俺の名前はアーサー・カークランド。カークランドなんてありふれた名前だけれど、実は巷でも有名なカークランド財閥の御曹司である。
小さな頃から、跡取り、跡取り、跡取り!と英才教育を施され、友達一人作る暇も無かったアーサーは、今、一つのメモを片手にとある家の前に立っている。
『バイルシュミット家』
最近赤丸急上昇の新興企業、その社長の家の前だ。
市場規模でいうとまだまだだといわざるを得ないその会社は、いち地方ではそれなりではあるけど、全国、世界で見ると聞いた事も無いという人間の方が多いだろうと思う。
それでも今の代の社長はやり手で、息子の代にはそれなりの線まで行くだろうと噂されていた。
(まあ、息子二人をウチの学校に入れるくらいだし、やる気ありってとこだよな)
アーサーの通う学園は理事長がカークランド家の者である。アーサーにとっては曽祖父にあたる。
この学園は御曹司を多く在籍させている一方で、普通の学生も多く摂っている。能力さえあれば、誰でもウェルカムと言ったところで、後継者育成と人材発掘の一石二鳥を狙ってる感があった。
(…まー、エーデルシュタイン家の傍流ってのもあるだろーけど)
こちらも伝統ある財閥で、その傍流といえばいくら血が薄かろうが無視し難くはある。
多様化する社会の中でまだまだ血縁関係という構成は根強い。
アーサーはそれなりの住宅街に並ぶそれなりの家のチャイムを鳴らした。
きんこん、と可愛いらしい音が鳴ってしばらく、インターフォンから声がした。
『…ちょっと待て』
落ち着いた声がして、その後開鍵する音が聞こえた。中から現れたのは年のわりに厳つい顔つきの、しかもムキムキの、この家の次男坊だった。
「…アーサーでは無いか。一体どうした?兄貴なら今家にいないんだが…」
「いや別にギルベルトに用は無いけど…、いや、あるのか?」
「…どっちだ。今から客…というか、新しい家政婦が来るのだが、それで少しバタバタする。それで良ければ、上がって待ってくれていてもー…」
「…あ、それ、俺」
「…は?」
ルートヴィッヒの眉間に皺が寄る。アーサーは分かりやすく言い直した。
「今日から住み込みで働く事になったアーサー・カークランドだ。宜しく」
「…………………は?」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。それも無理無いよな、とアーサーは思う。
何しろバイルシュミット家よりも格上の、しかも学園では生徒会長にあたる人物が、家政婦しに来たというのだ。にわかには信じられなくて当然だろう。
「…確かに、お前の実家から引き抜かれて来るとは聞いていた。…、付き添い…なのか?」
ルートヴィッヒが困惑したように言った。無理も無い。これが普通の反応だ。
アーサーはいや、と首を振って口を開いた。言葉が形になる前に背後から笑い声が聞こえて振りかえった。
「…ギルベルト」
「何だよ!マジお前なのかよ!」
ケーッセッセッセッ!と耳障りな笑い声を上げられて、アーサーは眉を釣り上げる。こちらは状況を把握しているようだ。
「兄貴、どういう事なんだ」
それを察知したルートヴィッヒが兄であるギルベルトを睨み付けて言う。
アーサーは特に驚きもせずにギルベルトを眺めた。
フランシスと同じで面白そうな事に目が無い男だ。話を聞いていて留め置いていても不思議ではない。
「…まあ、とりあえず家に上がってケーキでも食いながら話そうぜ」
ひとしきり笑い倒すと、眦に溜まった涙を払いながらギルベルトが言う。
ほらほらと後ろから押されるようにして、リビングへと通された。
「それでは話して貰おうか」
コーヒーを出されてサンキューと礼を言う。ルートヴィッヒは小さく頷いてから、ソファに腰を下ろした。
アーサー頷くと、今日まで何度も反芻した事情をを思い浮かべた。

アーサーはカークランド家の跡取り息子である。
それがついこの間までの世間の、カークランド家の常識であった。
アーサーには母の違う兄が三人いる。いずれも前妻の子供で、アーサーにとっては異母兄になる。
その兄を差し置いてアーサーが跡継ぎとして育てられたのは、母親がカークランド家当主の一人娘だったからだ。
母親がカークランド家当主の娘、父親は母の従姉の元夫。兄達は父親の連れ子にあたる。
そんなワケで跡取り息子として厳しく育てられて来たアーサーだったが、母が過労で亡くなって少し、突如として跡取り息子としての地位を失った。
当然である。アーサーは息子では無いのだから。
なんと母親は、父親をもたばかって、アーサーを男として育てたのである。
まあ、それもその筈。政略結婚で父親と馬が合わなかった母は、アーサーの次を産むつもりなど無かったようである。父親と馬が合わないという理由の他にも、子供を身ごもっている間に仕事やカークランド家を取り仕切る穴が出来る事も嫌がっていたからだ。
母も女だてらカークランド家を取り仕切っていたのだから、アーサーが女でもまずい事は無い。…が、家には純然たるカークランド家の血筋の兄達がいる。いつかはバレるにしてもアーサーが比類なき当主として認められるまでは、男として育てた方が都合が良い。
そんなワケで生まれてからこの方、幼稚園から小・中・高と母親の権力にものを言わせて全てを騙くらかしていたワケだが、それも母の死でさらりと白紙に戻ったわけだ。
身体検査などをパスするには、どうしても家族の力添えが必要である。アーサーだけの力ではどうする事も出来なくて、事情を話さざるを得なかった。その時の曽祖父と父親の顔といったらなかった。絶句とか、そんなものではない。人間を見ているような顔をしていなかったな、とアーサーはちょっと笑った。
そんな関係だったから、後は推して知るべしというところだろう。
元々母を嫌っていた父親と、曽祖父にとって頭の痛いスキャンダル。しかも曽祖父にとってはどちらも孫娘の子供である。当然のように兄達に軍配が上がり、アーサーは家の異分子となった。
(まあ、元々居心地のいい家でも無かったけどな)
それでも以前の方がましであった。今やメイドや執事達も腫れ物を扱うようにアーサーに触れる。
しかし、家を抜け出そうにもつい先日まで次代当主として養育を受けていたアーサーだ。それなりのしがらみがあり、容易く解放しても貰え無い。
恐らく高校を卒業したと同時に留学というていのいい名目と共に僻地に監禁され、ほとぼりが冷めた頃、強制的に手駒として結婚させられて隠蔽終了…と言ったところだろうか。
(…そんな人生くそくらえだ)
恋愛沙汰に興味は無いが、母親と同じなのか経営には興味がある。
他人に敷かれたレールとはいえ、家を継ぐ事には何の抵抗も無かったが、どこぞの馬の骨ともしれない男と結婚させられて、家に閉じ込められるなんて冗談では無かった。
(…しかも一生なんて身の毛がよだつぜ)
家事は嫌いでは無い。むしろ好きだと言えた。
嘘がどこからバレるか分からないと母が使用人を近付けさせなかったから、アーサーは身の周りの事が総て自分で出来る。
下着などを使用人に洗って貰うわけにもいかないし、掃除をさせるワケにもいかない。採寸させるなんてもってのほかだ。必然的に掃除洗濯裁縫が得意になった。
流石に食事だけは一族で取る事が多かったので料理の腕までは身につけていなかったが、料理も嫌いでは無い。お茶を淹れるのは大好きだし、可愛い従兄弟のアルフレッドやマシューの為に茶菓子くらいは焼けるようになった。
…今でこそアルフレッドには「これは何かの兵器かい?」などと小生意気な事を言われるようになったが、以前は「美味しいよ!また作ってね!」と言ってくれていたものだ。
そんなワケでアーサーは家事全般が得意である。
だから、フランシスからバイルシュミット家が家政婦を探してると漏らしたのを耳に留めた時、これだ、と閃いたのだ。
どうせ、少ない選択肢しか残っていない。ならば自分で選ぶべきだ。
アーサーは速攻目の前にいる二人の父親に手紙をしたためた。
『紹介したい家政婦がいる』と。
実際、家に仕えるものの素性は大切だ。仕事をプライベートに持ち込まないにしても、どこから情報が漏れるかなんて分からない。
それが故に、アーサーの母親は徹底して使用人を遠ざけた。そして少なくともそれは間違いではなかったと言えるだろう。例え父親に不信がられて溝が深まったとしても、やりのけるぐらいに、必要なものなのだ。もしも漏らすならばそれなにり信用がおける者でなければならない。
けれども、優秀な家政婦が巷にゴロゴロ転がっているはずがない。ベテランは既にどこかの家に配属されている。簡単に引きぬけるようなら、逆に採用に値しない。自分の家でも同じ事をされないとは限らないのだから。
そこそこでいいのなら掃いて捨てるほどいるだろうが、身分もそこそこになってくるとそれでは困ることになる。特にバイルシュミット家のような老婆一人でことたりるような、しかし信用出来る人物がただ一名いればいいというような家では尚更だ。
この場合、つきあいのある他家から紹介して貰うのが妥当だろう。
だから恐らくギルベルトがフランシスに話をもちかけたのだ。そして、カークランド家のような格上で企業としても畑が違うような長年続いている歴史のある家の紹介状はうってつけの話と言えるだろう。
そこに目をつけての行動だった。アーサーの目論見通りすぐに返事があった。
『紹介したいのは私です』
手紙だと目につくので、返信はアーサーの携帯のメールで返信して貰うように促した。そして、驚いた相手に直接話し合う機会も設けさせた。
アーサー彼らの父親に会うと一切合財を打ち明けることにした。
取引を上手く運ぶためには手札は最後までとっておくこと、秘密にしたい事があるのならば誰にも話さないことが肝要である。『秘密にしてください』なんてのは所詮戯言でしかない。本当に秘密にしたいのなら誰にも話さないのが一番である。例え相手が信用にたる人物であったとしても、どこに聞き耳をたてている人物がいるのかなんて分かったものではないのだから。
けれども話さなければならない時もまた、ある。相手の信用を得たい時、どこかに隠しごとがあれば、それがバレた時に不利になる。
アーサーは事情を説明して、利害の一致を図った。失敗したとて失うものなど無い。ならば早いうちに解決策を模索するだけである。
そしてアーサーの目論見は上手くいった。
彼らの父親の協力を得て、自身の父親をまるめ込む事も上手くいった。バイルシュミットの家ではアーサーの実家に太刀打ちできない。しかし、その分野の技術を手に出来るならしたい。そこに娘を送り込むだけで、可能性が上がるなら野心高き父のこと、否というはずがなかった。
これが、たとえばフランシスのボヌフォア家などでは到底無理だったろうと思う。
アーサーがどれだけ頑張ろうと、父の障害にならない。その程度の家柄でないと出来ない事である。
「…と、まあそういうワケで、これから宜しく頼む」
回想しながら、しかし説明したのはほんの一端である。母が亡くなって、後継者争いに負けた事、その為家に居づらい事、さりとて一人暮らしなど出来ないこと、今後の独り立ちの為に父親が気にしなくてもいいぐらいの企業に就職するための足がかりをつかむこと、などである。勿論自身が女などということは言わなくてもいいことである。
「…それで、兄さんは…」
「親父から聞いてたけど、お前の反応が面白そうだから黙ってた」
ケセッと笑うギルベルトにルートヴィッヒは頭を抱えてからジロリと睨みつけている。それから大仰に溜息をついた。
「…親父が決めた事ならばどうしようも無いが…」
「下宿生を置いたと思って貰うのが一番なんじゃねーかな。実際学校にはこれまで通り通うし、生徒会の役割も担わなきゃなんねぇ。家事は引きうけるが完璧には遂行できないだろーからな」
「それは構わないが…」
「まあ、今までもかなり手伝いはしてたからなー。婆ちゃんは結構年だったし。つーか、元々家政婦なんざ必要なかったんだよ。俺らほとんど自活できっし」
「いる、という事実が必要だったという感じだろうな。さりとて下手な者はおけない。…なんだか奇妙な形になってしまったが、まあ、歓迎するぞ、アーサー」
それを聞いてアーサーは口端を持ち上げて、言った。

「こちらこそ、よろしくな」



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