七転八倒堂

『だから、私達は苦い現実を、自分の好きなように歩く事しか出来ないの。
　貴方、かなり苦労してるらしいわね。
　でもね、だからって、自分が全てを知ってるような気になっちゃいけないわ。
　笑ってる人間が、心底笑っているなんて、本当は思ってないでしょう？
　貴方みたいに、表情をけして、生きていくことの出来ない人間だっているのよ。
・・・っていやね。今のは忘れて頂戴。
　私だって何もわかっちゃいないわ。知ってることしか知らないの。
　でも・・・。ひとつ分かってるのは、貴方も剣ちゃんも。
　もう泣いて逃げる事は出来ないのね』

『泣く事は、悪いことじゃないと思うわ』

　結局、剣菱は、十二支戦のマウンドで、倒れた。

「・・・バカがっ」
　最終対決の相手を知る為に華武は全員で観戦席にて、その始終を見つめていた。
　強く握った拳からは、小さく血が滲んだ。

「おい、鳥居」
　朝霧の中、誰もいないホームに彼は一人立っていた。
「屑桐。華武優勝おめでとう」
　ゆるく笑うその顔を睨みつける。
「どうして、教えなかった」
「・・・よくここが分かったね～」
「中宮に聞いた。話を逸らすな」
「あー・・・、紅印教えちゃったんだ・・・」
「・・・オレは待っていたぞ」
　彼の、彼等の意思を汲んで。
「へへ・・・びみょ～にごめん」
　鉄柵と、ホームの通る隙間に、今の自分と鳥居との距離を感じた。
　明け方、紅印からの電話で叩き起こされてから、自転車を走らせて、走らせて、ここまで来た。
　滴る汗をそのままに、鉄柵を越えようとするとそこで止められた。
「だめだよ。屑桐。そこにいて」
「・・・・。よくも、騙してくれたな」
「うん。その方が楽だから。」
「・・・・」
「屑桐、もう電車が来るよ」
「・・・・」
「約束だよ　いつの日か　必ずまた会おう」
（貴様は、決勝に行くと約束したじゃないかっ）
　響くベルが終わりを告げ、遮る電車のドアが開く。
　俯いたまま、それを受け止めた。
　滴る汗と共に、水滴がアスファルトに落ちる。
「屑桐、じゃあ、また後で」
　窓を開け、降って来る声に奥歯を噛み締めた。
（また後で、という保証がどこにある！）
　プシュっと閉じられる音に、勢いよく顔をあげ、
　そこには、笑顔で微笑む君がいて。
　駆け出す電車に並ぶように、勢いよく、ペダルを漕ぐ。
「貴様は、抜けてるから、変なヤツについて行くんじゃないぞ！」
「分かってるよ」
「外国は生水に気をつけろ！」
「だいじょうぶだよ」
「必ず、帰って来い！！」
「・・・約束だよ・・・」

　離されて行く電車に、見えるように大きく手を振る。
　頬を伝う暖かい雫をぐいっと拭き取る。
　帰ってくると約束した。
　最後に帰ってきた、震える声を焼きつけて、去り行く電車を見送った。

「また、後でな」

　信じていいだろう。
　君は確かに泣いていたから。

・おまけ・

　空高く、澄み渡ったスカイブルー。厚べったく塗ったソフトクリームのような白の入道雲。
　まるでキャンパスに描かれた絵画作品のような一面の景色を、現実のものとしているのは、濃く匂う緑の匂いであったり、暑っ苦しい熱気であった。
　屑桐はその下を、ゆっくり歩く。
　プロに入団してから、早1年と少し。
　今では実家に帰るのも、身を潜めていないと、大変な騒ぎになったりする。
　それでも、近所の人々は、顔をあわせれば、何事も無かった幼年時代のように、「大きくなったわねえ」と気軽に越えをかけてくれる。
（さて・・・、久し振りに下りてみたが、一向に変わらないな、この街は）
　なんとなく、高校の時の懐かしい風景を感じたくなったりするのは、プロに入ったりしたからだろう。
（帥仙辺りに爺臭いといわれそうだな・・・）
　小さく笑って、コンビニにたむろする若者を見る。
（一・二年で変わるはずも無いな・・・）
　それでも感傷に浸りながら歩く先に、彼はいない。
（連絡一つも寄越さんとは・・・）
　手術の結果を知るのに、中宮や王に連絡をとる事はしなかった。
　生きていると、思いたい。
　それが、幻であれ、期待であれ、そう思っていたかった。
「おい、兄ちゃん、寄付してくんないかな？」
　懐かしの路地で陽の高い内からの恐喝に、屑桐は苦笑を禁じえない。
（全く、この頃の若いヤツと来たら。とんでもないな・・・）
　益々有名になったせいで、人傷沙汰は起こせないが、止めに入るくらいは出来るだろう、とゆっくり近づく。
「・・・うーん。何でこういうのに引っかかるかな～・・・」

続く≫

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