意識は飛ぶ、
 ぬるま湯に浸かって目を閉じた時の感覚に似ていると思った。
 ともすれば、自分という個を保てない安らぎがそこにはある。

しかし、深く深く誓った心を思いだす。
 もう、これしか、手段は無いのだ。
  ならば、何に換えても、心に沿うのは当たり前のことだろう?

 ふわりふわりと、浮かぶ己の耳を澄ます。
 声の一つも聞き漏らさないように、集中する。
 ひとつ、声が聞こえた。
 ふたつ、声が聞こえた。
 みっつ、よっつとそれは少しづつ増えていく。
 それを哀れに思い、同時に憤った。
 まったくなんて奴だ、と悪態をつく。
 それから、それにさえも苦笑して、強い強い声に従って流れていった。


『たったひとつのためだけに』



「手を伸ばせ!」


 心臓がドクンとひとつ不思議な音を立て、
 私の体は、私という主の制御を失い地へと落ちる。
 誰かの腕に抱きとめられる。
「…」
 聞く筈の無い声を聞いた。
 届くはずの無い手を掴んだ。
 もう二度と、出逢う事の無い、
 一生逢える筈の無い、
 優しい表情が出迎える。
「待たせたと、思う」
 見知った事の無い、声。
 見知った事の無い、表情。
 見知ることなんて一生ない。
「メロ…?」
 私を抱きとめる、腕は既に大人のもの。
 柔らかく笑う顔は、今は出逢える事のない、知らない表情。
 一年前に別れた、彼ではない。
 そもそもこんなところにいる筈もない。
 いたとしても。
「…メロ」
 瞠目して、少し伸びたように思う、金色の髪の筋から窺える、右頬の傷口に手を宛てる。
 メロは優しい瞳を、更に深く、慈愛というべき、深い色を湛(タタ)えて、メロの頬に触れる私の手に自分の手を添えた。
 少しだけ乾いた私の指先が、彼の傷の痕をなぞる。
 醜い筈のその引き攣れが、私にはこれ以上無い優しさに思えてならなかった。
「何故?…どうして…、私の――、私のせいですね―」
 傷に触れ、何も言わないメロの、柔らかな表情だけで、私は総てを悟ってしまった。
「痛かったですね、悲しかった、ですよね。悲しいなんてものじゃ無かったはずですね。…私は今、こんなにも辛い。メロの傷を、メロのこれからの時間を考えただけでこんなにも辛い。ならば、メロはッ」
「確かに、辛かった。痛くもあった。死にそうな程寂しかったし、発狂しそうな程、悲しかった。…でも。なんとも無い。とても、幸せだ」
 私の手を握った、メロの指はそっと慈しむように、包む。
「どこが!?一体貴方の人生の、どこが『とても幸せ』だというのです!私なんかのせいで、私なんかを好きになったせいで!辛苦を味あわせて、しまったというのにっ!」
 途端にぼろぼろと涙が零れた。
 この子の愛情は、私の心の底を優しく撫でて、壊してゆく。
「メロ…メロ…!私はどうやって償えばいいんです!もう…そんな時間など無いのに!!!」
 頬を伝う涙が、熱いのだという事を思いだした。
 堰を溢れる嗚咽が、こんなにも苦しくて、幸せなんだという事に、初めて気づいた。
 それもこれも、傍にいて、受け止めてくれる人がいるからだ。
 メロがいて、くれるから。
「…オレは」
 それでもメロは声を荒げる事も無く、静かに告げる。
「オレは幸せだよ、L。こんな風に抱きとめたいと思ってた。
 こんな風に、泣いて欲しいと思ってた。
 こんな風に、嘘なんてつかないで、
 安心して欲しいと思ってた」

 声は告げる。
 想いの丈を。

「傷が出来て痛いとか、無為に続く終わりの見えない未来とか、キラを捕まえるために奔走した時間とか。そんなものはオレにとって辛いなんて言葉一つも当てはまらないんだ。
 オレが本当に痛いとか、辛いとか、悲しいとかは。
 L、お前が、痛くて、辛くて、悲しくて、独りで。
 独りで寂しいって、傍にいて欲しいって、
 そう思ってて、そんな事なんにも言わなくて、
 平気な振りして、笑ってる。
 そういう事が、オレには辛い。
 痛くて、悲しくて、堪らない。
 だから、安心して、目を閉じていい。
 ずっと傍にいるから。
 ずっと、傍から離れないから。
 寂しいのが我慢出来ないなら、傍にいるから。
 それに、オレも傍にいられたら、幸せ。

 だから、安心して、体を預けて構わないんだ。
 もう、こんなにオレの手は大きくなった。
 Lを抱きしめても余るくらい。
 今は誰からも、Lを守れる。
 それが嬉しい。
 だから、寂しいの、隠さなくていい。」

「わたし、わたしは――」

「ずっと『独り』だってLは言ってた。
 独りだから、皆寂しいんだって。
 だから、泣くのを我慢しなくてもいいって、オレに」

「わたし、わたしは――」

「もう、独りじゃ無いって分かっただろ?」

「私は――ずっと、前から。もう、満たされてました―」

「貴方が私の風船をとってくれて、私を好きだと言ってくれて、私を大事にしてくれて。それで、もう、寂しくなんてなかったのに―、だから、どんな痛いのでも我慢出来たのに――、もう、望みは叶えられてたのに――」

 メロの胸に縋って泣く。
 もう、寂しくないのに、独りじゃないのに、
 あれほどどんな痛みよりも、悲しみよりも、独りだけは嫌だと思っていた願いを叶えて貰ったのに、
 この胸は張り裂けそうなくらい、痛い。

 メロは「ははっ」と彼特有の明るい笑みで私の言葉を吹き飛ばした。

「痛いのも、辛いのも、寂しいのも。全部我慢できる筈、無いじゃないか」

「我慢しなくて、いいんだ、L」



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2006.01.20up
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