「竜崎会長!お気をつけて!」
「…はい。斎藤さんも気をつけてお帰りなさい」
涼やかに下級生に挨拶をして、エルは校門へと向かう。黄色い悲鳴が追ってくる。
それを苦笑半ばで聞き流して、前を向いて足早に歩く。その中にふと違和感を感じた。
ざわめきの中に、喧嘩をしているような声が聞こえる。それもー…


【悪魔の条件】



嫌な予感がして、エルは足を速める。
校門前のバスの停留所。生徒の注目を浴びているのは。
「警察を呼ぶぞ!財布を忘れたってんならともかくー…知らないで済むワケが無いだろう!」
「知らねーんだから仕方ねーだろうが!」
「メロっ!」
「…エル?」
「あ、竜崎さん」
エルは竜崎家の子息の上、この学校の理事の孫でもある。有名なのも手伝って、運転手とも知り合いだったりした。
「すみません、渡辺さん!この方は記憶喪失で、私の知り合いなんです!お金ならば私が払いますので…っ」
事態を一瞬で理解したエルが、メロの腕を取って謝るのに、運転手は困った顔で両手をあげた。
「…いやっ、そういう事情があったなら、仕方ないですわっ!それより竜崎さんに謝られる方が…。お金もいいですから…」
「いえ。そういうワケにはいきません。こういう事はきちんとしておかないと」
エルが財布を取り出すと、運転手は「いえっ」と首を振る。
「この坊主がどこから乗ったのかも曖昧でして…、整理券も取ってないようですし」
「…そうですか…、ではダイヤも遅れてしまってるみたいなので、後日お礼に参ります。渡辺さん、今日は有り難うございました。行きましょう、メロ」
「…いゃあ、何か変な気分だな…。では…。良かったな、坊主」
そっぽを向いているメロにエルは苦く笑って、その腕を引く。
「…メロ」
メロがそのままエルについて来たので、エルは微かに笑みを漏らした。


「…バスに乗った事無いんですね。それに、もしかしてお金…持って無いんですか?」
先程から黙ったままのメロの横顔を、窺う。
よく見れば見るだけ、端正で綺麗な顔をしていると思う。顔の美醜には特に何も思わないというか、関心の無いエルだが、メロは普通に格好良いのでは無いかと思う。
そういえば、先程の騒動の最中にも、うっとりとして、尚且つ「私が払います!」と言いたげな女の子が沢山いた。
「…………」
「もし、持っていないのなら、少しは工面出来ると思います。…まあ、後で返して貰いますけど」
エルがメロに気を遣わせないようにと、後ろ付けて伝える。自分でも何故これだけメロに気を遣うのかが、少し不思議だ。
「…メロ?」
先程から、一言も喋らないメロの顔を、少し早足でステップを刻んで覗き込む。
エルは女にしては長身の部類だが、メロと比べると大分低くなる。
「…あそこは…」
「…はい?」
「あそこは、ミッション系の学校だな?」
「えぇ、はい。ワイミーズ学院と言います」
「お前はそこの生徒だな?」
「はい。…そうですが、何か?」
エルは体裁が悪くてだんまりを決め込んでいるのでは無さそうな、真剣な表情のメロの横顔を見て、即座に答えてやる。
「…お母様の手掛かりでも?」
夕暮れの住宅街は、思ったより静かで人通りも少ない。時折、学生や、買い物帰りの主婦とすれ違う程度。
「…」
「…えっと、言いたくないのならー…!」
不意に立ち止まったメロの腕が、エルの背中にするりと伸ばされた。
何の脈略も無しに抱き竦められた、メロの腕は強くて暖かい。
頭が真っ白になって、鼓動が倍近くに跳ね上がったのを、体のどこかで知覚した。
「…メ…っ」
メロ、と呼びかけて、早くこの腕を離して欲しいと切実に思った。
しかし、首筋に降りたメロの鼻面がすんっと匂いを嗅ぐのを感じて、言葉が詰まる。
唇が僅かに呼吸するのが、うなじに熱い。
金の絹の糸のような髪が、頬を撫でるのが、どうにも擽ったかった。
「…メロッ」
やっとの思いで、絞りだした声を聴き取ってか、メロが緩慢な動作でゆっくりと離れて行った。
「…気のせいか…?」
離れ際、耳を掠めたメロの独り言をエルはぼんやりと聴き、
そして何事も無かったかのように歩き出すメロの後頭部目掛けて手に持った鞄を叩きつけた。
アスファルトを照らす夕陽のせいで、エルの顔は真っ赤だった。


Next second stage


…………………………
…ひとこと。…
メロは何の悪気も無し。
2006.02.03水野やおき
update2006.07.13




……………………
[0]TOP-Mobile-