開幕。


【残酷ピエロは三度啼く】



 僕は今、イギリスに出張で渡航している。
 警察が無能なお陰で、随分早く、キラは世界の神となれた。
 第二のキラも上手く丸め込んで、僕も警察庁に無事就職した今、最早万全。
 結構簡単に出来上がったものだな、と僕は思い、それからやはり少し退屈な日常を思って視線を遠くに投げた。

「ええと…」
 イギリスのヒースロー空港に到着すると入国審査を受けて、荷物を受け取った。
 その足で地下鉄とバスとを乗り継いで少しばかり古めかしい並びの石畳を歩く。朝が早い…というほどでもないのに、どんどんと霧は濃くなっていった。
「…ここ、かな」
 覚えていた住所を確認して霧のせいで読み辛い看板を凝視する。
 くくく、と傍にいる死神の笑い声が聞こえて月は肩越しに振り返った。
「どうした」
『これ、面白だな…こんなの初めてだ』
「海が近いからね、霧が発生しやすいんだよ」
 濃霧の中、リュークに返事をしながら看板を確認して、僕は扉を開けた。
 チリン、とドアベルが鳴なる。
「Excuse me…」
「いらっしゃいませ?」
 小さなカウンターから、妙にしっかりした声が聞こえた。
 黒髪に黒目。象牙色の肌。おそらく日系と思われる彼はこちらを向いて小さく笑みの形を作った。
「…時計の修理頼めるかな」
 なんだかそれがここイギリスにおいてとても不思議で、うっかり相手が日本語で話している事に遅れて気付いて、思わず舌打ちしたくなった。
 死神は月の様子がおかしかったのか、相変わらず笑っている。
「ええ。大方、修理できますから。品物を見せていただけますか?」
「…ああ。」
 月は真っ直ぐこちらを向く彼を見つつ懐を探る。
 父が警察庁への入社に際して譲ってくれた時計。父と母の出逢いを導いた時計は、息子と娘にそれぞれ譲ろうという約束をしていたそうだ。両親の間では。
 その年代物のネジ巻き式の腕時計は、月の手に渡って暫くしてネジを巻いても動かなくなった。自身の器用さを自負して、分解して直しても良かったのだけど、丁度製作者がいるイギリス行きと重なったものだから、今現在ここにいる。
「これだ」
 品の良いそれを差し出すと、彼はそれをゆっくりと受け取った。
「………」
 静かな動作で時計の淵をそっとなぞる。
 それを見ながら、この部屋の温度が外気とさして変わらない事に気付いて月は眉を顰める。
(…おい。客商売なんだから暖房くらいいれろよ…)
イギリスの秋、朝方と夜はかなり寒い。シン…とした静かな部屋は一層寒々しく思えて、月はぐるりと店内を検分した。
「…これは。ワイミーさんの作品ですね?」
「え?ああ…そうだけど…『の』?…ここは」
「竜崎時計修理店です。ワイミーさんのお店とは道が一本違います」
「え。でも看板が…」
 月は己が間違える筈が無いと、先程見た看板の文字を思い出す。
「外は濃い霧が覆っていますから」
 彼の言葉が聞こえて、顔を見る。別段不愉快とも愉快ともつかない表情に月は視線を逸らした。
「それは、悪かったね。」
「いいえ。一昨日からワイミーさんは体を壊して余所に行ってらっしゃるので…間違って良かったのかもしれません」
「…そうか。それは霧に感謝しないといけないかな?」
『…無駄足だったな、月』
 ククっと笑うリュークの言葉にも多少カチンと来て、月がシニカルに笑うと、彼はただ「そうですね」とだけ答えた。
「ワイミーさんの時計は複雑なつくりになっていますから、うっかり他の場所でばらすと元に戻りません。貴方は運が良かった」
「…はは。そのようだ。で?ここなら直してくれるのか?」
 だったらやはり自分で直せば良かったと、気分を損ねて彼に聞く。
 どうせ、他の店に客をとられない為の方便だと思ったのだ。
 だから当然YESと返ってくると思った答えは、意外な事にNOだった。
「いいえ。うちでも、無理でしょう」
「時計修理店なのに、か?」
 驚いて、彼を見る。少しばかりスパイスを入れた言葉に彼は怒るわけでもなく、苦く笑うだけだった。
「その通りです。ワイミーさんが帰って来る頃に再び訪問する事をお勧めします」
 彼が平坦に語るのを待って、月は頷いた。
「分かったよ。有難う」
 どちらにせよ無駄足だった事に多少機嫌を悪くしながら、しかしそれを顔に出さずに笑顔で手を差し出す。
「………」
「…………?」
 黒髪の彼は手を差し出しているにも拘わらず、動く気配を見せない。
「……」
 深淵の瞳が月を見つめてきて、眉を寄せた。
「…ご自分で直すつもりなら止めた方がいいですよ」
 ぴたり、と彼が真っ直ぐに見て、言う。
 月は思わず背筋をぞくりと震わせた。
(…!何なんだ!こいつは)
 少しも揺れる事の無い瞳に気圧されたなんて冗談じゃ無い。
 ひたりと少しも揺れることもなく、どこを見ているかも分からないような彼の瞳に一瞬恐怖を抱いたなんて、冗談では、無い。
 これはこの部屋の寒さのせいだと言い聞かせて、ジっと彼をの顔を見返した。
「ははっ。何でそんな風に思うんだ?心配しなくても匠が作ったものを僕が直せるとは思わないよ」
 完璧に腹の内を隠しきった筈なのに、彼はさらりとこう言った。
「そうでしょうか?」
「!」
『どうした、月。押されてるぞ』
(うるさい!リューク!)
「…もう少し、時間はありますか?」
「何」
「その様子ですと…長期滞在予定では無いでしょう?飛行場から直接寄って来た…という印象ですが」
「…」
 思わず押し黙った。アタリだ。基本的には長期滞在の予定では無い。それが伝わったのだろう、彼が僅かにくすっと笑って、思わず顔に朱が昇りそうになった。
「今・外は視界も悪いでしょう。危ないですから…もう少しここにいた方がいいですよ。その間に…私がこれを見ましょう。」
「は?」
 ぽかり、と口を開ける。すぐに気付いてぐっと唇を引き締めた。
「…ここでは無理じゃなかったのか?」
 剣呑な視線で睨むと、彼は堪えた様子も無くしらっとこう言った。
「…えぇ。父では無理でしょうけど。私なら大丈夫です」


 月はコイツは嫌いだ、
 そう思った。


////To be continiued/////

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