「…内緒ですよ?」


【残酷ピエロは三度啼く】


 どうやら、彼はここの嫡子らしいが、まだ技術者として認定されてはいないらしい。
 父の手に負えないものが直せる時点で、彼は父を上回っている筈なのに、なんとも不効率なことだと思いながら、彼の淹れてくれたスパイスティーを一口飲む。
 喉を通る熱い液体が、月の体を底の方から温かくしてくれるのを感じた。
「…おいしい」
「それは良かった」
 修理を秘密で頼む代わりに、今している腕時計のメンテナンスを頼む事になった。こちらも大学の時から使っているので、少しばかり狂いが生じている所。お代はこっちのみでいいと言う。
 そして彼は秘密裏に修理してくれるとカウンターの上、キルシュ・ワイミー作の時計を器用に解体して行く。
「…ああ、これくらいならすぐに直りそうです」
「…どれどれ…!」
 まあ、わざわざここまで来たのだから、という事もあって彼に頼む事にしたのだが、その細工を覗き込んで息を飲んだ。
「凄いでしょう?ワイミーさんは少数限定で、しかも気に入った人にしか売らないこともあって、どれほど良い時計かを知る人も殆どいませんが、これは本当に貴重なものなのですよ。…本来、壊れ無いようにと設計されている時計なので、持ち主ですら、この時計に価値に気付く事は無いのですがー…」
言って彼は慎重な手つきで時計を耳にあてた。
「どういうワケか軸がズレてますね…」
 彼がコツコツと軽く指先で時計を叩くのを見て、目で確認する以外の方法でも計ることが出来るのか、と少し感心する。
「とにかく、直します」
 言って彼がピタリと止まった。
 多分、集中しているのだろう。業師などが制作に取り組んでいるのを見たりするに、そのような雰囲気を醸し出すものだが、彼の空気はなんとなくそれからはみ出しているような感じがして、月は彼を凝視する。
 それはこの異国の地にてあっさり日本語を操る東洋人に遭遇した事や、深い隈や猫背のスタイルが妙にそぐわないからという事もあるのだろうけど。
 彼の手がゆっくりと動き出した。
(オイオイ、まさかルーペもかけずに作業するつもりか?)
どう見ても0.1ミリ以下の構造を操るには何からの補助機が必要だと思われるのに、彼の手は静かに。だが淀みなく動き続ける。
(特別目がいいって事か?)
 それとも鍛錬の賜物か。
 伏し目がちの彼の顔を不躾で無い程度に眺める。
 最早興味の対象はこの複雑な時計から『彼』に変わっていた。
(『なんだか変』な顔なんだけど…)
 蛙っぽいというか、何というか。一見・到底、『普通』の枠に入りきらないように見えるのだけれど、何故か不思議な魅力を感じてしまう。
 特に伏し目がちのこの顔は嫌いじゃ無い。
 頬にかかる鋼色の髪を指先で梳いたらどんな感じがするのだろう。
 薄い瞼を親指でなぞってみたら、表情はどう変わるのだろうか。
 そんな事をつらつらと思い描いていたら、彼の唇が緩やかに動いた。
「…さん…夜神さん?出来ましたよ」
 一呼吸遅れて、その声が脳に届いた。
「…あ、ぁあ。有難う」
 はっ、と瞬きをして背を伸ばした。
 どれだけ彼ばかりを眺めていたのだろう。あんなに複雑怪奇に構成された部品は全て元に戻っていて、かなりの時間が経ったのだと月は思い知った。
 そしてどうやら、そっと差し出された手の平に載せてある時計は確かに鼓動を刻んでいる。
「確かに(今の)僕では無理そうだったよ。頼んで良かった」
 月が苦笑混じりに言うと、彼は薄く笑みを刷く。
「…そうですか?」
「しかし、本当にいいのかー…って冷たいぞ?」
「…大丈夫ですよ、私は。これくらいが適温なんです。…でも、夜神さんには申し訳なかったですね。寒くはありませんでしたか?」
 氷のような手、と表現するのが一番なのか、彼の手はモノのように冷たい。
「…いや、このお茶で温まったから大丈夫だけど、…よくこの手で作業が出来たな。普通かじかんで動かないんじゃ無いか…?」
「ですからー…Σ!?」
 両手で包み込んだ指先が、驚いたように跳ねた。
「…あ、あの…夜神さん…?」
 その手をきちんと捕まえて、今度は、はぁっと息を吹きかけ、体温を分けてやる。
 何度かそれを繰り返して、ふと顔を上げると、彼は体を仰け反らせて、目を大きく見開いていた。
「…」
「……」
「…………ふ。そんなに驚く事無いじゃないか」
 なんだか、その驚いた顔が面白くて、勝った気分でその顔を見る。
「…驚きますよ。いきなりこんな…。…早く時計を取って下さい…」
 カウンター越しにむっとした顔でこちらを睨む彼に、喉を鳴らして笑う。
「…ああ」
「………なんですか…一体…。」
 クツクツと笑うのが、相当頭に来たのか、眉間に縦皺が数本刻まれている。
 その手から、古めかしい時計を受け取り、腕に嵌めた。
「…それで、金額の事なんだけど」
「秘密なので、今のままで」
「…そう。じゃあ、何か好きなものは?」
「ありませんので、特別何もなさらなくて結構ですよ。…私も勉強になりましたし」
「……そう。それじゃ、また来るよ。」
「ええ、明日以降ならいつでも」
 それを聞いて、僕はカタンと椅子を引いて荷物を取った。そのままドアまで歩いて、振り返る。
「名前、何ていうんだ?」
「…私…の、ですか」
 ゆっくり瞬き二回。僕の方をぼんやりと見遣る彼に苦笑を返す。
「お前以外に誰がいるんだよ」
 彼は逡巡した後、ぽつりと言葉を舌に載せた。


「L…です」


////To be continiued/////

2006.05.05


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