気付かなかった。


【残酷ピエロは三度啼く】


「Lっ!!」
 一本だけ違う道だというのに、月は中々辿りつけない事に苛立ちながら足を動かす。
 まるで水の中を歩いているみたいだ、と思う。
 それは多分、店を出た途端に見舞われた霧のせいもあると思うが、それ以上に他の事を考えられない状態にあるこの心にあるのだと思う。
(何をバカバカしく焦っているんだ)
 そう、頭の一部はそう宥めるのに、全身は酸素を求めるかのように、彼がいないという言葉ばかりを反芻する。
 流石に足がもつれるような事は無かったが、息を上げて辿り着いた竜崎時計修理店の扉を勢い良く開けて、怒鳴るように名前を呼ぶ。
「…はい?」
「…………っ」
 いるじゃないか!
 視界に飛び込んで来たLの姿を確認して、月はごくりと唾を飲みこんだ。
 あのジジイめ、何適当な事を言ってるんだ!と心の中で盛大に詰る。
 もしかして、月の言葉の矛盾に気がついて、「さては喧嘩したのだな?だったらこの老いぼれが人肌脱ぎましょう」との事だったのだろうか。だとしたら人騒がせな老人だ。小さな親切大きなお世話だ。
「夜神さん…?じゃないですか」
 はぁ、と大きく息をついて、月は開けたままの扉の柱部分に手をついて、預けた頭をちらりと驚いたようなLに向けた。
「…お前、最近どこかに行ってたりしてたか?」
「は?…いえ。ずっとここにいましたけど…」
「じゃあ、これからどこかに行く予定は?」
「無い…ですけど、どうしたのですか、突然」
 戸惑ったような声に、では爺の小さな親切だったのだろうと目星をつけて、近寄って来たLの顔を覗きこむ。
「お前、ワイミーに何か話したか?」
「…え?帰ってらっしゃるのですか?」
 これで、Lがワイミーに何かを話したという線は消えた。まあ、子供じゃないんだからそんな一々報告するようなものでも無いと思うけど。
(じゃあ、やっぱりLの話を持ち出したからだろうな…)
 ワイミーの時計を直して貰ったという功績があるのに、わざわざ修理店でも無いワイミーに頼みに行くなんてどう考えても可笑しすぎる。月はLとも年が近そうだし、まあ、そんな所だろう。
「…夜神さん?」
 怪訝な響きを存分に含んだLの声が聞こえる。
 月は「何でもないよ」と言おうとして、Lがやはり裸足なのに気がついた。
 霧は足元から偲び寄っている。
「…実子じゃないというのは本当か」
「はい、そうですが」
「そうか」
 月は体を預けた柱から離れて、扉を閉める。
 憮然とした面持ちで、Lの脇をすり抜ける。
 カウンター前の椅子に勝手に座って、未だ扉前にいるLに向けて手を突き出した。
「直せるか」
「…月くんは時計を幾つお持ちなんですか…」
 言って、Lがぺたぺたと月に近寄って来た。非常に緩慢な動作で月の手から時計を受け取った。
「…これはまた年代ものの…」
「僕のじゃない」
「あ、そうですか」
 Lはそれを丁寧に触診した後で、「そうですね」と呟く。
「直せません」
「…義父には、だろう」
「はい」
「じゃあ、お前が直せ」
「………」
 Lが時計を手に取ったまま、月の顔にひたと視線を合わせてくる。
(…ああ、畜生…!)
「…秘密にしておいてやる。暖炉に火もいらないから、お前が直せ」
 吐き捨てるように言う。歪んだ表情を隠す事なく、月はLを見据えたまま強要した。
「わかりました」
 Lはそれを苦笑しただけで引き受け、やはりぺたぺたと足音を立てながらカウンターの内側に戻った。
 そのまま、迷う事の無い動作で道具を取り出すと、丁寧に時計を分解していく。
 月はその手をちらりと眺め、目を伏せる。
(…気付かなかった)
 あまりにもLが普通に動くから。
 不躾に月の顔を覗きこむその目が一度も合った事が無いのを、疑問にも思わなかった。
 何故、ルーペがいらないのか。
 何故、動きが緩慢なのか。
 何故、彼に時計の修理が任せられないのか。
 何故、彼は月が完璧に隠した表情を見抜いたのか。
 表情なんか隠しても、無駄だったのだ。

 彼には、見えていないのだから。


 カチャカチャと時計を弄る音だけが室内に人がいる気配を醸し出す。
 月は強く、目を瞑った。


////To be continiued////

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