靴が無いので。


【残酷ピエロは三度啼く】


「いいから」
 そう言って、月はLの腕を強く引く。
「でも、店番もしなければ…」
「どうせ客なんていないって言っていたじゃないか。店には休みの札でも出せばいい」
「休んだことが無いのでそんなものはありませんし…」
「じゃあ、紙に書いて貼るだけでいい。…それに仕事は僕が山程持って来た。別に構いはしないだろう」
 強く言って、月はLの手を強く引っ張る。
「それに、汚してしまいます…」
「靴は汚れてなんぼのものだろう。いいから、早く」
「月くん…」
 観念したようにLが溜息をついて、分かりましたと呟いた。
「早くそういえばいいんだよ。」
 月はふん、と顎を上げて傲慢にそう返す。
「本当に貴方は強引ですね…」
「これくらいの事で強引とか言われたくはないね」
 表情を隠す事も無く月がそう告げると、Lは半眼で月を睨んでから一つ溜息をついた。


 Lに一緒に外に出掛けようと持ちかけたのは、一昨昨日の事。
 その返事に『靴が無い』と言われ、月はただただ呆然とするしか無かった。
 確かに、目の見えないLが一人で外を歩けるはずが無い。
 もし、誰かが一緒にいて、少しづつ慣らしていけば、Lは一人で外に出る事も可能だろうが、Lの家族にそんな奇特な者はいないらしかった。
 だから、そもそも靴を買う必要が無かったのだ。
 まあ、Lの場合は必要最低限の衣服を与えられているのかさえ疑問だが。
 いつも薄い長袖のシャツにジーンズ。これ以外の服装を月はこれまで一緒にいる間に見たことがない。
「L、そこは段差があるから、気をつけろ」
 言って、Lの手を軽く引く。
 Lの足は確認するようにじりじりと進み、段差にぶつかって初めて足を上げる。
 男と手を繋ぐ事。
幼稚園児でも無い僕らがそうする事は傍から見ても、月にとっても奇怪な行為だが、Lは目が見えない。
「もう大丈夫だ」
 それはひたすらに当たり前の事で、月は緩く握り締めた手をまた軽く引く。
 ぱこん、ぱこん、とLに与えた新品の靴が音を鳴らした。
「ここはとても長閑(のどか)なところだな」
「そうですね。空気がとても美味しいです」
 それに月は口の端を軽く上げて、「そうだな」と返した。
 Lの鼻がひくひくと動いている。
 きっと動物ならば、耳もぴくぴくと動いているのだろうと思って可笑しくなった。
「月くん、何か甘い匂いがします」
「どっちから?」
「右の方からです」
「ふぅん。民家かな?この辺に店屋は無かったと思うけど」
「色んなパンの匂いもします。きっとお店ですよ」
「変だな、下見をした時には無かった筈だけど」
 ちょっと見てみようか、と月とLは目的の進路からちょっとだけ逸れて、歩く。
 暫くすると、月の嗅覚にも、Lの言う匂いが感じられた。
「パン屋か」
 小さなパン屋がそこにはあって、硝子戸から所狭しと並ぶパンやケーキが見えた。月はこんなところにあったかな、と首を傾げながら通り過ぎようと思ったが、ふとLの表情が視界に入って、思わずぽかんと口を開けそうになった。
「…」
 Lはとても物欲しそうな顔で立っている。口の端から涎が垂れていてもおかしくないくらいに。
「…っぶ!」
 その顔があまりにも間抜けで、月は思わず噴出した。
(コイツは思ったよりも顔に出るんだな。)
「…何だ。お腹が空いたのか?」
「……そういうワケではありませんが」
「その情けない顔で?」
「…ですが、お腹が空いているわけでは」
「じゃあ、ただ単純に食べたいだけか」
 そういえばLは2度目に訪問した時、月が持ってきた菓子をとても美味しそうに食べていた。
「じゃあ、何か買っていくか」
「え!」
 Lが人間以外の動物ならば、きっと耳がぴくりと立っているんだろう。

 ただ、気がついたら、目で追っていた。
 少し知ったら、腹が立って、
 もう少し知ったら、とても可笑しくて。
 もっと知ったら、どんな気持ちになるんだろうか。

 月はそんな事を思いながらLを連れてそのパン屋に足を踏み入れた。


////To be continiued////

……………………
[0]TOP-Mobile-