「入部おめでとう、える」
「はぁ、どうも」


【ひぐらしの鳴く朝】


結局、月がえるにテニスの指導が出来たのは最初の1日だけで、月としては入部は無理かもしれないと思っていたのだが、予想を裏切って、えるは初心者を装いながら勝つ…という見事な技を披露してくれた。
「…で?こっそり練習したの?」
「…練習というか、ビデオを見て理解しました」
「…ビデオ?」
「はい。ウィンブルドンの試合ビデオは手に入りやすいですから」
「へ…へぇ」
「ですから、ちょっと今日はプレイし辛かったですね」
球に思ったよりも力が無くて…なんて言ってみせるえるに、月は頬を軽く痙攣させた。
(あれは演技じゃ無かったのか…っていうか人間技じゃ無いな…)
まあ、えるに出来るのなら月にだって出来るのだろうけど。そんな事を思いながら夕陽に照らされたえるの横顔を見る。
白い頬が赤く染まっていて、昔の面影が去来する。それが、微かに月の胸を揺すった。
田舎に行っては、月と対等に付き合えるのは、えるしかいない、と何度となく確信して、楽しく過ごした山間から覗く赤い夕陽を見た。
えるの頬を照らすその夕陽の色だけは変わら無いのに、二人の関係は随分と変わってしまった。
隣にいるのは、もう月の親友にして最大のライバルでは無い。
(ああ…昔よりもやっぱり頬がふっくらしてるな)
今もまだ昔のように骨っぽいイメージの方が大きいが、女と認識した手前、やはり以前のようにはいかない。
えるが女で良かったと思う反面、どうしても対等な立場の友人を失ったという喪失感は拭えない。
お互い利用しがいがある。
長い目で見れば、それだけの価値があると思える。
確かにその体に欲情もしたし、その欲求が一過性のものでも無いと分かっているとはいえ…、
「…何ですか、先程からジロジロと」
「…え?ああ、可愛いなってね」
するりと口から滑る言葉に、えるの眉尻がピクリと上がった。
「月くんは女性と見ると、心にも無い言葉をそんなにスラスラと喋れるのですね。…いえ、訂正します。一般的に月くんはそういう態度をよくとられますよね」
明らかに棘を含んだ言葉に、月はカチンと来て、えるを見下ろす。
「…処世術だろ。お前みたいに何でもぶつかってばかりいられないだけさ」
えるは必要が無い場合、殆どの場合思った事はスッパリと口に出す。言葉遣いが良い為に、口に出された真実はえるを冷たい人間に見せた。
転入そうそう月と付き合っているという話もあった為、未だえるに女友達はいないと言って良い。
「…私はそういうのはあまり好きでは無いので。それがどうしても必要なら仕方ないと思いますけど、表面上の関係なんて真っ平ごめんですよ」
見下ろす月の冷めた目を、深淵の瞳が力強く掬い射た。
「…だけど全てを晒せばいいってものじゃ無い。もっと人の事を慮んばかってー…」
「月くんのそれは思いやりじゃ無いです。もし、それに言葉を当てはめるのなら欺瞞」
「…おい」
「まぁ、私が月くんの性格をどうこうしようとは思いませんけどね。ただ不愉快なので」
「…喧嘩を売ってるのか?」
少しずつ剣呑さを増す空気が重さを含む。
「別に、ただ正直に私の気持ちを申し上げただけですが」
「…可愛く無いね」
「それで結構」
(ああ言えばこう言う…)
「………、そんなに不愉快ならもう近づかないけど?」
歪んだ笑みを貼り付けて、声音だけは柔らかく月は歩みを止めて言った。
同じく立ち止まったえるが月の数歩先で振り返って口を開いた。
「…ーそうですね」
感情を窺わせない能面のような顔で平坦にえるがそう返した。
「それでは」
「ああ、そう。…じゃあね」
くるりと背を向けたえるに、月も苦虫を噛み締めたような顔を見られないように、背を向ける。
「…あ、妊娠してませんでしたよ。良かったですね」
「そう、良かった」
えるの素っ気ない声掛けに、ギリギリと歯を食いしばって、月も素っ気なく返事をした。

続く!


…………………

急転直下。
何故か一気に真反対の方向へ…。
あれ?おかしいな…もう少し先の予定だったんだけどな…
dataup2006.11.15


……………………
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