えるに友達が出来た。 【ひぐらしの鳴く朝】 先日、えるが上級生相手にスッパリとやってから、クラスメイトのえるへの好感度は上々だ。 最初の数日は目立った動きは無かったが、どうやら先輩達のリンチが無い事を知ると、チラホラとえるに話しかける者が出て来も出てきたりして、今では笑いあいながら話す事も稀では無かったりする。そして一旦笑顔を見せれば、また自然に人が集まった。 これは、いい事だ。 …だが、月は面白く無かった。 えるのお陰(と言うのは癪だが)で、月に声をかける女生徒が減ったのは助かったが、それを機にクラスメイトの月に対する心証が若干悪くなったのも事実だったからだ。 月も正直、迷惑になっているのは分かっていた。だが、注意すれば、怒りの矛先がクラスメイトに向くかもしれず、かと言って皆の迷惑にならないように教室を出ようと思う程お人良しにはなれなかった。 教室を出れば、月の受難は増えるばかりだろう。 そして、それをクラスメイトも分かっていた筈で、だから先日までは迷惑がられていても、可哀想な夜神くんで通っていたのだ。 それをえるにひっくり返された。 それで、こんなに苛立っているのだ。 そのはず。 (って思いたい所だけど…違う、だろうな…) 本当の原因は、自分に対する心証が下がったという事ではなく、えるが何事も無かったかのように笑っているのが気に食わないからなのだ。 (僕の事を不愉快だと言った癖に、お前はそこで笑うんだ…) 誰でも感情の裏表がある。それはえるとて皆無では無い。 誰もが本音と建て前を分けて生きている。 それなのに、えるは月に不愉快だと断じた口で、他の者に笑いかけるのだ。 「夜神、竜崎」 「「はい」」 「職員室まで来てくれ」 「分かりました。…ごめん、ちょっと行って来るよ」 戸口から先生に名指しされ、友人に断りを入れて席を立つ。 同じように席を立つえるを横目で見てからクラスを出た。 「失礼しました」 一様に職員室の前で礼をして退出する。 「…では」 「…何」 いきなり教室とは反対方向へ向かうえるに、近付かないと言ったとはいえ、何の真似だと問い詰めるように声を出す。 「…次の社会の準備です。私は今日日直ですので…」 「ああ…今日はスライド出すんじゃ無かったか?」 「出します」 「じゃあ手伝うよ」 「いいですよ、別に」 「どうせ相手の日直は忘れてるだろ。僕はそれを知ってて女一人で運ばせる趣味は持って無いんだ」 正義感の強い父のお陰で、月もフェミニストになってしまった。 それが仲違いしている相手でも同じに働いてしまうのが、自分でも厄介だと思ったがどうしようも無い。 「…何?」 勝手に歩き始めて、後を追って来たえるが小さく笑ったのを聞き止めて、むっすりと咎める。 (不愉快な相手に笑みなんか向けていいのか?) 口には出さずに内心で皮肉る月に、えるは大きな瞳を上げて月を見上げた。 「いえ、…そのフェミニストぶりは昔から変わらないと思いまして」 「…お前は変わったよね」 「そうですか?」 「そうだよ」 吐き捨てるように言うと、またもえるが笑う声がして、それから一拍措いて静かな声音で話しだす。 「確かに変わったかも知れません。人間、何も変化なしにはいられない生き物ですから。…でも、夜神くんが『私が変わった』と仰るのは、私が変わったからでは無く、夜神くんが変わったからだと思います」 「…違うよ、お前が変わったんだ」 「まだ分かりませんか?」 社会準備室に入り、えるがひっそりと呟いて、月はカッと頭に血が昇るのを感じた。 閉鎖された空間の中、えるの大きな黒い瞳がじっと月を見つめて、月も静かにえるを睨みつけた。 重い重い沈黙の中、先に口を開いたのはえるの方だった。 「今、何を考えてます?」 「何を、だって?決まってるだろ、何て分からず屋だと思ってるよ。分からず屋なのは昔からだけど、少なくとも昔は僕の気持ちが分からないお前じゃ無かった。僕が誰にどんな態度を取ろうと、何も言わなかったじゃないか」 「そうですね。夜神くんが誰にどんな態度をとろうと、私には全く関係の無い事です。そしてそれは夜神くんがどうでもいいから…という分けでは無く、それが夜神くんだったから…そうでしょう?」 「そうだった筈だ…だが」 「私が変わったのではありません、私が女だから、月くんが変わったのです」 「…何だって…?」 「不愉快だと言ったのはそういう事です。再会してから、月くんは始終私が女であるから、私を私以外の者として接して来ました…。私が女である事は変わりません。ですから私も月くんの気持ちの整理がつくまでと思っていました」 えるにしては珍しく、苦々しそうに吐き出した。 「なのに貴方は私を抱いたりして…、応じた私も私ですが、その挙げ句貴方は私を他人扱いした」 「とても不愉快です」と、えるが月を掬うように見上げた。 月の錯覚であろうが、その瞳が濡れているように見えて、胸が騒ぐ。 「いつも本音というわけにはいかないでしょう。ですが、あんな風な態度を取られれば頭に来たって当然と思いませんか?」 「……」 胸をざわつかせたまま、えるの本音を聞く。 凪いだ海のように思考が上手く働かなかった。 「…だから…。私を女だと、都合のいい人形だと認識させないように離れようと思ったんです。あの時の貴方は、いくら私が何を言っても、何度負かしたとしても何とも思わなかったでしょうから」 強い意志で撓めた黒い瞳が月を射抜く。 そこには先程感じた、えるが泣いているのでは無いかとか、そんな幻影など欠片さえも残っておらず、ただただ昔のような真っ直ぐで強固な意志があるのみ。 「……」 「私を侮っていると、その内痛い目にあいますからね」 キッパリと言い放ち、それから月の反応などお構いなしに背を向けて、機材の準備を始める。 奔放に跳ねた意外と柔らかい黒髪に、白い項が垣間見え、セーラー服の裾からしなやかに伸びる手足は、最早子供特有の幼さの証しというより、華奢で守るべき対象のように思えた。 これから差は格段に広がってくると思える、その後ろ姿。 だが、えるの意志が変わる事は無いのだろうと、認識せざるを得ない。 月がずっとライバルで親友だと思っていた頃のえると、その心は同じまま。 「………」 えるは昔の関係に戻りたがっている。 月も同じだ。 あの時の方が楽しかった。一切の利害を考えずにいられたあの頃に戻りたいと思っている。 (だけど僕は現実主義者だ) えるはやると言ったらやる奴だが、立場は対等ではない。特に肉体面の差は歴然としている。本音を聞かされた後では、えるの言うようにはもう思え無い。 (全く同じとはいかないだろう…それはえるも承知済みか…) それでこれからどうするのだと、無言の内に問いかけているのだ。 (えるを失わないようにするには、昔みたいな関係のまま、本音で向かい合うのが一番だろうけど…) 『変わらないものは無い』とえるは言った。それは、月との肉体的関係を許容したという理由にも繋がる。 (…僕は…) 知ってしまったものを忘れる事は出来ない。 女であるという事実を忘れる事は出来ない。 失った事を忘れる事は出来ない。 (だけど) 新たに芽生えてしまった気持ちを無視する事も…僕には出来ない。 「…!」 ゆっくりと伸ばした手がえるの手首を捉えた瞬間、炎が灯ったかの勢いで己の元に手繰り寄せた。 「ん!」 迷わずその唇を塞いで、細い体に力をいれる。 嫌がるえるの咥内に無理やり侵入して、薄く埃の被った机に押し倒した。 「………」 両手を封じたまま、昂ぶった体を少しだけ離すと、目元の赤い、えるの顔が目に入る。 唇は濡れていて、少し皺になった上着の胸部が高く上下していた。 頬にかかった横髪も、白い首筋も、所在を主張する小さな胸も、早い吐息でさえ月を誘っているようにしか見えないのに、その瞳だけは、月の答えを辛抱強く待ち構えている。 「…僕は、」 この目がどう出るかは、月にも想像し難かったが、本音を見せろというえるの要求には応じるつもりだ。 「…お前を誰にも渡したく無い」 ありったけの思いを込めて、瞳に問い掛ける。 「いいだろ?える」 この強い視線を緩やかに閉じれば、月の賭は勝ちだ。もしかしたら、えるの賭も。 じっくり見守った、えるの答えを了承して、月は瞼を伏せたえるの唇にゆっくり触れた。 続く!(微エロ注意!) ………………… 短い別離でした。(笑) dataup2006.11.24 …………………… [0]TOP-Mobile- |