決めた事がある。
肉欲も、独占欲も、狂気的な愛情も、全部を糧にして、
優しく包み込もう。
もう一度、誰よりも好きになって貰う為に。


【ひぐらしの鳴く前に】


「おはよ、竜崎」
「…夜神くん」
えるのマンションの前で柔らかく微笑んで出迎えた月に、えるが驚いた顔で立ち尽くした。
「心配かけて、ごめんね。もうあんな所行かないし、煙草も吸わない」
「………」
「僕はさ、竜崎。あの頃心配した手さえ払われてやりきれなかったんだ。何で振り払われたのかさえ分かって無かったから、恨んでたんだよ。…僕が悪かったんだけどね」
凍り付いたようにそこから動かないえるを精一杯の真摯な瞳でじっと見つめる。
「でも、僕はお前がいないと毎日に張り合いがなくて…駄目だから。どんなに躍起になっても代わりなんていなくて。…身勝手だとは思うんだ。でも、…竜崎さえ許してくれるなら、友人に…戻れないかな…」
えるが息を詰めて、目を逸らした。
あんなに頑なだった月が、昨日の今日でこんな事を言ってくると思わなかったのだろう。
「………」
沈黙が永遠のように感じたが、急かす事はしなかった。そんな事したって追い詰めるだけだ。
えるがゆっくり顔を上げた。まだ迷っているようだったが、口を開いた。
「…戻れると、思いますか?」
「戻りたいと思うし、その為だったら何だってするよ。…それに」
「…」
「あの後でだって、僕たち結構うまくやっていけてたよ」


「では解散します。そろそろ具体案を出さなければならないので宜しくお願いします」
「次の会議は来週の今日です」
それから一月が過ぎて、5月の下旬。9月の終わりにある修学旅行案をまとめる時期になって、2年生だけの会議が終わり、やれやれと肩を落とす。
「まとまりませんね、やはり」
「そうだね。この後まだ時間ある?もう少し話したいんだけど」
月が言うと隣に座っていた竜崎が「そうしましょう」と片付けの手を止め返してくれる。
中学の3年の時から、個人の事情はどうあれ常にワンセットで組む事が出来ている事実に、感謝する。
月がえるを見ないようにしていた時でさえ、生徒会の会長・副会長、代表と副代表の仲として一緒にいた。
それが今の月を救っている。
「…それでは…」
えるの横顔を見る。
こんなに近くにいると、つい錯覚してしまいそうになる。
この広い教室の静かな空間が月とえるの二人に用意されたものだと。
えるが変わらず、自分のものだと。
(本当はね、える。あのクリスマスの日。生徒会室でお前達が抱き合うのを聞いても、高を括っていたんだ)
忘れもしない、あの日。

月は手袋をつけるのがあまり好きでは無い。
だから、いつも高田との待ち合わせの前に嵌めるように持ち合わせるようになった。
「夜神くん」
下駄箱から皆と一緒に外に出ると、校門の前で待っていた高田達が校内に入ってくる。手袋を嵌めようと思った所で無い事に気付いた。
「来てしまったわ」
高田が月の腕に絡み付く。周りから小さく「わっ」と歓声が上がったがどうでも良い。
「…僕達はいつも遅いからいつも有難う」
「魅上会長なら、そうでしょうね」
くす、と高田が口角を上げる。
「そろそろ行きましょうか」
月に嫣然(エンゼン)と微笑むのを、白けた様子で伺ってから「ごめん」と言った。
「待ってて貰って悪いんだけど…先に行っててくれないかな…。手袋を生徒会室に忘れてきてしまって…。明日から休みだし、皆をこの寒空にこれ以上待たせるわけにもいかないし」
ね、と言い聞かせると、眉間に皺を寄せた高田が「わかったわ」と月の腕から離れた。
「こっちは私がいないと格好がつかないし、今日はゆっくり出来るものね。向こうで待ってるわ」
「うん、ごめんね」
悪そうに微笑んでから、校舎に向かう。
生徒会室はもう閉めてしまったかもしれないと、一度職員室に向かったが、まだ返って来て無いと言われて「そうですか」と答える。教師が「魅上は完璧主義者だからまだ整理してるんだろうな」とコーヒーを飲みながら言って月は確かに、と思う。
潔癖な完璧主義者。融通が効かない。
手伝わされる羽目になりそうですね、と笑いを撒いてから職員室を出る。
(高田といるくらいならまだイケ好かない魅上と一緒にいた方がマシかな…?)
長い廊下を殊更ゆっくり歩く。生徒会室に近付いた時に、微かに学校とはミスマッチな声が聞こえた。
ざわっと月の背中が泡立つ。
厚めの戸から漏れ聞こえるのは、えるの声だ。
月しか知らないえるの、声。
(…な、なんで…)
パニックに陥りそうになって息を止めた。
(…僕はここにいるのに…!)
怒りで震えそうになるのを止める。
(相手は魅上か…?!)
神経を集中させて、足音を立てないように歩く。
(手を出したのか!人を脅しておいて…!)
頭の中が真っ赤になって、これ以上聞いていたくなくて、乱入しようと一歩を踏み出しかけた瞬間、えるの言葉が聞こえた。思わず耳を傾ける。
もしかしたら、脅されたりしたのかもしれないと思ったからだ。
でなければ、月の前で涙を見せたえるがこんな事をしている理由が理解出来なかった。
だったら、下手に乱入するよりも、後数秒でいいから我慢した方が得策と思い、厚い扉に耳をそばだてた。
(『お願い』…ってやっぱり…、え?)
心臓の音さえ聞こえなくなって、時間が止まる。
(…忘れさせてって…)
魅上の『愛している』という声と、あの時のえるの涙と、離した手の空虚さが一気に月を襲う。
(…何で…だって…、える、お前…!)
聞いているこっちが切なくなる声で、何て事を言うのだろう。
空気の停滞した冷たい廊下の上で、丁寧に愛されているえるの喘ぎ声が月を貫いた。


「ら、月くん…?!」
「え…?ああ、ごめん、何?」
動揺したえるの声に月は我に返る。
「………、」
「ちょっと、ぼーっとしちゃって…あれ?」
書類に染みが出来ていて訝しむ。
「…どうぞ」
えるがまるで死にかけの生き物を見るような悲痛な顔で、ハンカチを差し出して、染みの理由に気付いた。
(泣いちゃったのか…。どうりでえるが驚く筈だ)
「有難う」
綺麗にプレスされたハンカチで涙を拭う。
「ごめん、驚かせちゃって…。ハンカチ、洗って返すから」
すん、とハンカチの匂いを嗅ぐ。混じっけの無い、えるだけの香りがする。
(あの時、僕は泣いたかな…)



…………………
■あとがき
あっはっは。
とんでもないストーリーです、水野です☆
実はあのクリスマスの日に、そんな事があったんだぜ!という回です。
最初、えるに月の手袋を見つけさせるか、迷ったのですが、気付いたらあんな展開にならないかと思いヤめました、が。
今は気付いて月くんの手袋を魅上の前でぎゅっと握ってみても良かったかもしれないと思っている次第です。
因みに、魅上はえるが鍵を閉めている間に気付いたので、挑戦状を叩きつける感じでえるを引き寄せたつもりですが、月くんが乱入した場合を考えてなかったなあ…
そして、ハンカチ。
普通のLだったらハンカチすら差しだしそうに無いですが、(というか、学生パラレルで同学年、月が泣いていたら、きょろっとその辺を見渡して、ぞうきんでも渡してそうです(笑)「ああ、ありがとう…ってこんなんで拭けるかぁー!」みたいな。あは)
都合よく持っていたとしてもぐっちゃぐちゃっぽい感じ。「…お前これいつ洗ったんだ…?」みたいな。
いつも最後まで有難うございます!!

dataup2007.03.06


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