ばっくりと割れた傷口から血が流れ出す。 心についた傷には、包帯さえ巻けない。 【ひぐらしの鳴く前に】 「ぃや!嫌です!」 それを前科と呼ぶのなら、何の為に一緒にいたのだろう、と思った。 言葉通りに思っていてくれたのかさえ、疑いたくなってしまう。 ましてや机の上に引きずりあげられて、力ずくで犯されるなど。 「いゃだ!止めてくだー…ぅーッ!」 強く胸を揉まれた後、うつ伏せにされて、濡れてもいないそこに魅上の質量が捻込まる。 その口を塞がれて、無理やり貫かれる痛みに、大気に響く筈だった悲鳴がくぐもって霧散する。 「…ぅ、ぅ、う」 生理的に混じった涙が、質の良い机を濡らし、 「ふ…ぅう」 魅上の吐息が上がっても、何とも感じられない。 ただ、痛い。 辛いのか、苦しいのか、悲しいのか、悔しいのか、判別がつかず、ただ、ただに。 それは、きっと躰の痛みではなく、心の痛みだ。 『前科』と言われたことが、止め処ない胸の痛みをえるにもたらす。 幸せ、を感じたことが、そんなにいけない事だったのだろうか。 月への思いを全て断ち切れないまま、幸せになろうとした事が? それとも、月への気持ちを捨てようと思ったことが罪と魅上は言いたいのだろうか。 (そういうことじゃ無いですよね…) そう、そういう事では無いはずだ。 魅上が言いたいことも、えるが伝えたいことも、感じたことも、そんな意味では無い。 (悲しい) (苦しい) (切ない…) 涙が頬をこめかみを伝って、流れ落ちて。 乾く間もなく、新しい涙の粒が伝う。 「ぅ、ふ、ぅぅ…」 きつく閉じた目を薄くひらけば、涙で滲んだ魅上の姿が瞳に映る。 (バカですね…) (貴方という人は本当に不器用な人だ…) 私と同じで…。 目を閉じると、脳内がスパークしそうな痛みが、夏の雷鳴を思いおこさせた。 1年前の夏、ガラじゃないと思いつつ、二人して海を訪れた。 魅上は高等部にあがって二度目の夏。えるは高等部にあがって、初めての夏だった。 「暑い」 と魅上が言うので、えるは魅上を振り返り、「まったくです」と笑いかけた。 「うだるような暑さというのは、このことですね」 海岸線に沿って、伸びた堤防の上を歩きながら、光を吸収した更に白く輝く入道雲と、波間。水平線を眺めた。 「でも、来て良かったです」 目を細め、夏の眩しさを堪能してから、再び魅上に視線を戻すと、堤防の段の下。アスファルトを歩く魅上が眉間に皺を寄せているので「嫌でしたか?」と問いかけた。 「そういう事ではない。…早くそこから降りてきたらどうだ」 「まったく。本当に貴方はそういう事が嫌いみたいですね。道じゃない場所を歩いてみないと分からない事もあるんですよ?」 「いいから、早く降りて来い」 「貴方が登られてはいかがですか?」 「だが、そこでは一緒に歩けないだろう」 言われて、えるは思わず目を丸くした。 まさか魅上の口からそんな言葉が飛び出す日が来るとは思わなかったのだ。 「降りてこないのか」 魅上がいっかな変わらない声音で聞いてくるのに、思わず立ち止まったえるは、口許を緩めて…。 抱きつくようにして、飛び降りた。 この段差は、魅上とえるの間にあった段差に変わりない。 忘れると努めて、魅上を愛すると決めて。 それでも埋まらない段差に相当した。 魅上も、それを感じていたと知っていた。 魅上の去った学園で、会長と副会長。常に月と一緒にいる事実などにえるの気持ちが戻るのではないかと、そう思っているのではないかという魅上の心情を思うと、胸が切なく痛んだ。 けれど、知っていて、どうしても、その距離を埋められず、 そしてその日、えるは、海から運ばれる新しい夏風に背中を押されるようにして飛び降りた。 「………お前の行動は何故そうも突拍子が無いんだ……、足を踏んでいるぞ…」 それに、えるは喉を震わせながら笑って、「ごめんなさい」と抱きついた拍子に踏んづけてしまった足を退けようと躰を離そうとした。 それを強い力に阻まれ、顔を上げれば、迷うような瞳に出会う。 小さな漁港の人気の無い堤防沿い。 逡巡の迷いの表情の後、魅上が観念したように目を閉じた。 それから、 「待っていた」 と小さく呟く。 えるは目を閉じてしまったので、その後の魅上の表情は記憶に映ってはいない。 だが、直後に触れた唇の温かさと、 まるで劇的に変化する気持ちとリンクするように夕立が襲う中、無人のホームで恥も外聞も、叩きつける雨に忍ばせて、狂おしく抱き合った熱さを忘れはできないのだ。 一人の寂しさを、私達は知っていて、 今の貴方は、手負いの傷を押し隠す獣のような顔をしています。 辛いです。苦しいのです。 ずっと待っていてくれたのを、私は知っていて、 貴方を選んだことを、貴方は知っていて。 それでも即答できなかった私に、苦しんでいるのだと、理解出来るのに、 身を切るような愛おしさは込み上げても、貴方を赦すことができないのが、苦しく辛い。 貴方の元に飛び降りた、その時の表情を、再現することが、 抱きしめてあげることが、 今の私には… 「―…ァっ」 気がつけば、組み敷かれた躰の下、ブルりと震えて、何度か精が注がれ、何度目になったか分からないチャイムが鳴ったことを知った。 「…」 解放されてしばらくの後、のろりと体を起こす。血液が混じった精液をティッシュで拭き、衣服を整えた。 「…私は」 疲れたように椅子に腰掛けた魅上が呟いたが、何も言わず、部屋を出た。 (気持ち悪い…) 頭がぐらぐらと揺れる。 奥の方にある生徒会室から、2年のクラスが並ぶ棟に出た。 どろりと溜め込まれた液体が排出されて、目眩を感じる。 (耳鳴りが煩い…) 吐き気を催して、膝を折る。 手先がじんと冷えて、意識が朦朧として来た。 「おい…大丈夫か?」 誰かがえるを見つけて、声をかけて来る。 「竜崎、大丈夫?!誰か…先生…!」 声が重なって、聞き取りにくい耳の奥に雑音のように響いた。 (…先生…は…駄目…。バレれば魅上が…) 思って泣けて来た。 「!…どいて!ごめん!通してくれ!竜崎!…える!!」 なんだかとても懐かしい声がして、えるは意識を手放した。 ………………… ■あとがき ふう!やっとここまで来れました…!と毎回アップするごとに思います。 基本のベースのお話は、実は連載を始めた当初に書き上げていて、(わたくし、記憶力が弱いので、時間が経つとかなり忘れてしまいますし) 現在のアップは、勢いで書けなかった部分を足して、足して、修正する、というような作業なのですが、 今回ほど、追記を行ったのは初めてだと思います。 魅上との夏の話なんて最初書いた時はなかったものなので、ゆっくり連載をすすめたり、 沢山のコメントをいただけて、気合を入れられて良かったと、本当に思います。有難うございます!! 終わりが近くなるにつれて、ちょっとセンチメンタルな気分で本日はお送りいたしました! 限定公開までは、残り1話です。 21話は21日AM0時公開、公開終了は24日のPM11:59分、 最終話は25日AM0時公開、公開終了は28日のPM11:59分の予定です。 最後まで宜しくお願いいたします! dataup2007.03.15 next→ …………………… [0]TOP-Mobile- |