「あ、キャプテン。お待たせしたっす!」 中庭で空を眺めている牛尾に子津は小走りに駆け寄った。 「子津くん」 ぼーっと空を眺めていた双眸が子津をゆるりと動いて、じっと見つめた。 「空が青い・・ねえ」 「そうっすね・・・。何かキャプテン今にも飛んで行きそうな感じがしたっすよ」 「うん・・・。何か、そんな気分だね・・・。とても。とても」 「・・・イヤっすよ。幾ら綺麗だからって空を飛ばれたら、僕は追いつけないっす」 「うん。それはしないよ。・・・離れるのは嫌なんだ」 「・・・・」 手が伸びて来て子津の腕を取る。 ぐいっと引っ張られて思わずそちらに倒れかかる。 「危ないっすよ・・・」 「・・・ごめんね?」 その言葉に子津は苦笑を漏らすことしかできない。 だって、他に言う言葉が無いので。 「・・・君は僕を置いていったりしないよね・・・?」 その言葉に子津はひたすら不安になるしか無い。 伴侶だと言われた。 僕だけなのだと言われたのに。 ただただ不安になるのだ。 『君は』 他の誰と比較されてる?一緒にいたい人がいたんですか? 自分がその人の代わりだとは思いたくないけれども。 不安になるなという方が可笑しい。 どんなに『君だけ』と言われても、信じきれない。 焦るように、『伴侶』にする事を望む。 (どうしてなんすか?) それは聞いてはいけないタブーだと何故か思っている。 何故だかは分からないけれども。 「そんな事するワケないじゃないっすか」 「うん」 けれども貴方はそんな気持なんか知らずにそう聞く。 その言葉に子津は安心させるように、何度も、何度も繰り返すことしか出来ない。 今すぐに伴侶になることが出来たらいいんだけど。 「もうちょっとだけ待って下さいっす」 どうしても踏ん切りがつかない。 どうしても、もう少しだけ一緒にいたかった。 チャイムの音が廊下の方で鳴り響き、犬飼は5限目が始まったことを知った。 開けっぴろになってる保健室の窓からは僅かに熱気を含んだ風が、流れて来ていて、ベットの間仕切りに使われている白いだけのカーテンをふわりと揺らした。 「・・・・」 犬飼は丸椅子に座りながら思う。 何でこの保健室はいつも保健医がいねぇんだ・・・とか。 お陰で猿を連れて来たはいいが離れなれない。 保健医がいれば、『アンタは授業でしょ』とか言って追い出してくれるものを。 そう忠告してくれる者もいなかったので、犬飼はその場に留まって天国の様子を窺っていた。 白い、肌。 野球やってて、それは次第にスポーツマンらしく少しは焼けて来たと思っていたのだが、常に長袖のアンダーウェアを来ている所為か、白い半袖の下から伸びる腕は予想外に白い。 「何やってんだ・・テメーは・・・」 犬飼はそう呟くと僅かに揺れる茶色の髪の毛を掻き揚げた。 意識を失っている天国の面は、普段の勝気そうな光りを湛えた瞳を閉ざしているだけで、貧血の様子を3割増、深刻そうに犬飼に伝えていた。 「・・・だから俺の前で倒れるなっつったんだ・・・」 この様子を見ていると、犬飼の中は言い様も無い不安と衝動に駆られる。 根源を揺さぶられているような感覚に陥る。 「目・・開けろよ・・・」 ぽつりと話しかけるがいたって天国は目覚める様子も無く。 「・・・おい、猿」 こくん、と喉が何かを嚥下したような気がした。 「・・・何で俺の中にいるんだ・・・」 初めて会った時にこれだ、と思った。 何故だか分からないが、これだと。 それは野球に対してなのか、猿野天国自身に対してなのかは分かなかったが、とにかく犬飼はこれだと思ったのだった。 これだと思い、これだと確信していたのにも拘わらず、犬飼には何故、どうして、何が『これ』なのかが分からなかった。 恋では無い。 愛なんてものでは有得ない。 執着。 もしくは寂寥。 自分を構成しているものの全てであるような、欠けてるものの一つであるような。 恋にも似た。 愛のような。 そんな感覚を受けた。 会えば喧嘩ばかりして、 喧嘩ばかりなのに、安心して。 ああ、傍にいる。と確認出来て良かった。 怒鳴れば、騒げば、そこには必ず熱が篭る。 そうする事で犬飼は猿野天国がここにいるという安心感をはっきりと得ることが出来た。 強い視線を感じることが多々あった。 猿野天国の視線。 何かを期待しているのか、それとも同じ戸惑いを描いているのか。 それはよく分からなかったけれども、その強く熱気の篭った視線は自分が振り向いてしまえば、すぐに逸らされる事を知っていたので、いつも背中で感じていた。 いつからか、その視線に違う意味合いが混じって来たような気がした。 向けられる視線が僅かに変わった気がした。 それは強く。 しかし弱く。 そしてその日に天国は倒れた。 貧血だと言っていたが、それは確かにその通りで、まさか死んだりするはずは無いのに、無暗に焦った。 牛尾や子津や辰羅川が何か言っていた気がするが、そんな言葉は一切聞こえず、犬飼はただ天国を保健室へ運ぶことだけしか考えていなかった。 それから暫くして、天国は目を覚ましたが、違和感が拭えなかった。 誰のものになった? 誰のものに・・・。 その視線は全て自分に向けられるはずだったのだ。 否、つい先日までは自分に向けられていたのだと信じていたし、実際その通りだった。 一日で何が変わったというのか。 何が・・・何が・・・。 そしてその日を境に犬飼に向けられる視線は少しずつ減っていった。 俺はどうしたい・・・? 何故か眠る天国の唇に吸い寄せられるように唇を落とした。 僅かだが、ぬくもりが伝わった。 「もうちょっと待って下さいっす」 ねえ、もうちょっとってどれくらいだい? 分かっているんだよ。 分かっているんだよ。 「分かったよ」 君が伴侶になる事にどれほどの決意がいるかなんて分かっているんだよ。 でもね、僕は怖いんだ・・・。 怖い。 本当は無理矢理にでも伴侶にしてしまいたかった。 そうすれば、自分は少なくとも、・・・事に怯えることは無い。 「ごめんね・・・」 君は僕がそう聞く度に曖昧な笑顔で微笑する。 「・・ごめんね」 それが辛くて僕はまた謝ってしまう。 「キャプテン・・・」 君に寄りかかって僕は視線を上げた。 逆光になって君の表情は本当はよく見えなかったんだけど。 「合宿楽しみっすねー」 「・・そうだね」 笑っているはずの顔に悲しみが洩れているような気がして僕はそのまま微笑むことしか出来なかった。 本当は泣きたいんだ。 泣いて困らせて、甘えたいんだ。 それでも傍にいて欲しいんだ。 でもそれを奥へ、奥へと隠す。 そうする事を遠くに置いて来てしまった。 遥か遠くへ。 そしていつも後悔する。 全てを曝け出すこと。 それは容易でなく、それが全ていい事では無いことを知っているけれども。 隠して守って、それが傷つけない事でない事も知っている。 そしていつも、後悔する。 「冥」 天国は俺が迎えに行くのをいつもいつも窓のところで少し身を乗り出して待っている。 カーテンがそよいで、冥はそこへ静止して止まる。 「天国」 「今日ちょっと遅くなかったか?」 「日が落ちるのが少しずつ遅くなってるからな・・・。俺が起きる時間も遅くなんだよ」 「そっか」 天国が納得したので、冥はその手を伸ばす。 「行くぞ」 すると天国は少しばかり嬉しそうに笑って、その腕に縋り付くようにする。 その体を抱きかかえてふわっと飛翔する。 「おー・・・きっもちイ―――!」 天国は何度かこの体験をするとそれを楽しむようになってきた。 「ははっ。街が豆粒みてえ。スゲー気持いい!」 俺はあんな所に住んでるんだな、と天国が呟く。 こうしていると些細な悩みも忘れてしまう、と笑った。 「何か悩みが・・あるのか?」 そう聞くと天国は首を振る。 「まー、俺だって何も考えて無いワケじゃねーから。明日の晩御飯何にしようかなーとか」 「・・・・」 はぐらかされているのだろう、と冥は腕の中の天国の後ろ姿を見る。 天国が自分でこちらを向かない限りは、その表情は冥には窺えない。 最近天国はこちらをあまり向かないと思う。 ずっと後ろ姿しか見てないようにも思う。 「なあ、冥。俺さー、明日から合宿あるんだよ。だから・・・どうなんだ?流石にお前も来れ無いだろうし・・・。俺も皆が寝てるのを抜け出すのはちょっと骨が折れるんだよ・・・」 くいっと顔を上げて聞く天国の表情を覗き込みながら頷く。 「そうだな・・・。合宿とやらは何日あるんだ?」 「んー。3日?」 「じゃあ、真中の日は抜けて来い」 「・・・まあ一日くらいなら、大丈夫・・・だよな。オッケ、分かった」 にっと笑う天国の唇を空中で奪う。 「・・・ん・・・ふぅ・・・」 ぴん、と天国の足が突っ張って空を掻いた。 呼応するように微かに開かれた唇の合間に舌を差し込みながら、冥は考える。 どこかが、違う。 何かが違う。 もやもやした、この感じの正体を。 原因を。 天国がこちらを向いていないように思える謎。 「・・・め・・・い」 名前を呼ばれても。 それはどこか遠くにある別の名前のようで、実感が湧かない。 自分の名前を呼ばれているのだという実感が。 「天国・・・」 天国は冥が名前を呼ぶと笑う。 どこか寂しそうに、少し嬉しそうに。 next ………………………… 寒いです。 私の住んでるところは殆ど雪なんざ降りませんが、降ってやがります。 ああ、でも今止んでます。 滅多に積もりません。 積もっても、3センチくらいです〜。 まあ、山のほうに行けば、結構積もってるんですがね。 そんなワケで、滅法寒さに弱いです。 ブルブル(寒) でも小説、夏です(笑) 季節外れったらありゃしない。 2004.01.25 [0]back [3]next |