夜が来ると不安になる。いつも寝ていたような感覚がどんどんと冴えて、それから、急激に眠くなるからだ。この何年かに俺に夜の記憶があったことがあっただろうか。


「犬飼くん、またちょっとしか食べて無いじゃないですか!」
「・・・辰、うざい」
 夕飯は別室で食べたらしい天国と子津、それにお見舞いだと称して消えて行った兎丸と司馬が欠けたテーブルで、他の1年が騒いでいるのをうっすらと眺めながら、犬飼は小さく嘆息した。
「『うざい』じゃありませんよ!私はですね、犬飼くん、君の健康の為に言っているのです!
それを『うざい』とは何事ですか!前の時だって、貴方はもう、話の途中でいなくなって・・・」
 ぶつぶつと辰羅川の恨み言が始まって、ぷいとそっぽを向く。
 こうなると、辰羅川の話は長いのだ。
「ちょっと!犬飼くん、聞いてらっしゃいますか!?」
 自分には延々と続いたように思える20分を(人よりタイマーが短いのを知った辰羅川の知恵による恨み言・講座時間)乗り切って、頷く。
「聞いてる、聞いてる。とりあえず」
「・・・まあ、この際とりあえずでも許して差し上げます」
「・・・」
 そうしてくれ、と心の中で呟いて、食後のコーヒー牛乳をこくりと嚥下する。
 あまったるい香りと、心地よい甘味が舌の上で溶けて、染みて、犬飼はふっと目を瞑った。

 これは、美味い。
 本当に、美味。
 だってこれ、アレに似てるだろう?
 かぐわしい、芳香。
 舌に甘い、とろりとした液体。

 赤い、赤い。
 命の水。

「犬飼くん!!!!」
「?!!!何だ!?いきなり!」
 ふとした回想を鼓膜が破れるような声で刺激されて我に返った先には今にも、実はブーメランカッターとして使用する為に伸ばしてるのだと信じて疑わない、鋭利なモミアゲと、今にもブチ切れそうな、友人の仁王のような顔だった。
「いきなりじゃありません!どこにトリップしてらっしゃったのか!!置いて行きますよ!?貴方がぼやっとしてたお陰で、私は貴方の皿まで片付けた挙句、他の人の配膳の世話まで焼かされ、マネージャーに混じって力仕事を代わりに担当した・・・のは別に構いませんが!・・・とにかく、どれだけの時間を待たせるつもりですか!!」
 カッ!と見開かれた目に、これはそろそろ殺される・・・、と犬飼が身を半分引いたと同時に時計が目に入った。
「・・・マジでもうこんな時間なのか・・・」
「そうですよ。貴方のお陰で、もう9時になっちゃいますよ。私はとっととお風呂を借りて、猿野くんのお見舞いは明日にする所存ですが、貴方、どうします?」
 お子様体質ですから、と小さな笑みを浮かべられて、犬飼はふんっ、と鼻息荒くそっぽを向いた。
(別に好きでお子様体質なワケじゃねえ・・・)
 辰羅川なんかは、それをからかって揶揄する事が多いが、犬飼にとってもソレは単に『お子様体質』で済まされるだけのものではなかった。
(特に最近・・・)
 9時を過ぎた頃から、もう全身に警報が鳴ってるかの如く、次々に回線が切れていってるような気がしてならない。
 それは、普通の『眠い』では無く、抗い難い、『何か』
 例え犬飼はその時に刃物で刺されたとしても、起きる事は無いだろうと思った。
(それに、時々意識がなくなりやがる・・・)
 別に、まっさらになるワケではなく、単に貧血で倒れたというワケでもないが、先ほどのような『トリップ』というのだろうか、意識がどこかに漂って、しかもその内容は全く思い出せない、という奇妙な現象が最近多くなって来て、迷いを振り切るようにガシガシと頭を掻く。
「・・・オレはいかねえ・・・」
 『猿野』という単語に内心思わずビクリとしてから、それに腹が立って、ぶっきらぼうに辰羅川に告げた。
「そうですか。猿野くん達には悪いですけど、そうした方が宜しいでしょう。向こうもお疲れだから休んだのでしょうし。兎丸くん達の相手でまた疲れてるでしょうからね」
 ウチにはお子様もいますし、という辰羅川の厭味にむっとしながら、そこでブチ切れる事の出来ないのは、色々と世話をかけているのが分かっているからと思って、更にぶすっとしたまま、大股で一旦部屋へと戻ろうとする。
「ああ、そんなに拗ねないで下さい。私が悪かったですから・・・」
「拗ねてねえ。早く風呂に入って寝たいだけだ」
「おや?もしかして、本当にもう眠いのですか?前より早くなってません?」
 首を傾げながら、後を追って来る辰を無視しながら進む足が、彼のその後の一言によって凍りついた。

「もしかして、夜中に起きてたりしませんよね?
『猿野くん達が、貴方が夜中にいなかった』
 とか仰るものですから」

 貴方ずっと横で寝てましたよねえ・・・

 続いた言葉が、遠くで鳴っている蝉のように遥か遠くから聞こえているように聞こえた。

 何故か這いあがってくるような恐怖を、歯を食い縛る事で耐え、犬飼は振り向く事も無く、走り出した。

「風呂はパスだ。ちょっと用事を思い出した!とりあえず!」

 背後から聞こえて来る辰羅川の声は無視して、犬飼は唇を噛み締め、走りぬけた。



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お久しぶりです。これの更新…また半年ぶりですね…(滝汗)
まだ読んでくださってる方…いらっしゃるのか?って感じですが、もしもとか、ちゃんと終わらせはしたいなーって思いもあり、ちまちま更新です。ごめんなさい。
2006.03.16 水野やおき


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