再び、夜になった。


「おう、じゃーな」
 お見舞いに来てくれた、司馬と兎丸をひらひらと力の抜けた手で見送ってから、天国はぼすん!とベットに身を伏せた。
 今日は羊谷の命令で、一人別室である。
(別に俺はどこでも平気だけどさ)
 大勢に囲まれた所だって、どこだって、熟睡出来る自信はある。
 ただ、それが何の心配事も無い状態だったら、の話しだが。
(こんなんじゃ、どうしたって寝れねぇよ・・・)
 今朝の、昨晩の、昨日の、一昨日の・・・。
 降りに降り積もった謎と、感情の重しが一気に吹き出して、脳を支配する。
(でも、まぁ。一人部屋のが良かったっちゃ、よかったかな・・・)
 今、犬飼の顔を見たら、心の奥のどろどろをぶちまけてしまいそうだ。
 今、犬飼の顔を見たら、泣いて叫んで、問い詰めてしまいそうだ。
 今、犬飼の顔を見たら―――・・・。
 開けてはいけない心の鍵を容易に開けてしまいそうだ。

 ・・・だと。

 それは、間違いで、
 けして、正しくはなくて。
 目を瞑っていれば、安全で、傷つかずに、済む。

(俺も、お前も)

 だから、会いたく、無い。

 さっきまで、一緒だった子津も、今は用事があるとかで、部屋を出て行ってしまっている。
 天国はうつ伏せになった体をぐるり、と反転させて、天井を仰ぐ。

 そこにある蛍光灯は、学校の保健室と同じような長い棒の蛍光灯で、部屋が少し青っぽく見える。
(冥と一緒に見る月みてえだ・・・)
 ぼんやりそう思うと、胸が軋む。
(・・・イテエ。)
 考えたくなくとも、いつの間にか気付けば考えてしまっている。
(冥・・・、俺はどうしたら、いいんだ?)
 早く、早く。伴侶になってしまえばいいのだろうか。
 もう、何も考えずに。
「犬飼の・・・、ばっきゃろっ・・・っ!」
 アイツが今ごろちょっかいをかけなければ…、そう思って腹の底から這い出すものを吐き捨てる。
「誰が、バカだ。このバカ猿」

 ビクリ。

 静かな、抑えた声が戸口のところから聞こえて、天国は体を竦めた。
「テメエにバカ呼ばわりされる覚えはねえぞ」
 酷く落ちついた声は、ゆっくりと開く扉の外からやって来る訪問者の顔と同じく、その内実を知らせはしない。
 体がピクリと痙攣するのを感じ取らせないようにゆっくりと置きあがり、膝に力を入れて手をぎゅっと握った。
「なんだよ、犬飼。オメーが俺様の見舞いなんかに来るわけねーし。何の用だよ。つか、ノックもせずに入ってくんな」
 出来るだけ、震えたりしないように、全身に力を込めて、犬飼を睨みつけるようにして、見上げる。
 夏だというのに、蝉の声もせずに辺りはシンと静まり返っていた。
 ひやり、とした秋を思わせるような冷気が犬飼の入って来た戸口から侵入して来て、思わず目を逸らせる。
 顔を見れば、冥と酷似したそれを突き付けられる。
 声を聞けば、冥と相似したそれを押しつけられる。
 それに加え、この空気は、冥と一緒に感じた月に一番近いそれを嫌でも思い出せる。
「ここは医務室だろうが。誰の許可が必要だってんだ」
 犬飼は天国の様子なんか一切構わずにスタスタと横にまで来ると、逸らした目を強制的に合わせる為に此方の顎をぐいっと掴み、上方に向けた。
「お前に聞くことがあって来た」
 その力強い握力以外に、抗い難い力を感じて、思うままに顔をあげる。
「―――――・・・」
 おれんじ の 目。
 吸いこまれそうな、光の色。
 熱烈で、強靭な、光の色。
 思いっきり、その瞳を正面から覗き込んで、心臓が止まるかと思った。
 綺麗な綺麗な瞳のいろ。
「・・・」
 暫く、その静寂の時間が2人を包んだ。
 それを先に終了させたのは、犬飼の方だった。
「猿野。俺が何だか知ってるのか」


 心臓が喉から飛び出そう、だとか。
 そういう驚愕を跳び越して、天国の時間はその瞬間ぴったり止まった。
 世間でいう頭が真っ白になった、という表現が一番近いと思う。
 とにかく、一切の物事から切り離されて、ただ一人だけ、世界に立っているような印象を得た。

 唇が、軽く震えて、それに反比例するように、瞼はゆっくりと一度だけ閉じて、その瞳は犬飼の瞳を捉えた。
「ナニって。なんだよ?あ、お犬様だっていうオチ?」
 真剣な表情に、天国は唇を歪めて、いつものようなセリフを口にする。
 そうすると、顎にかかる力が一層強くなった。
「巫戯けんな。お前、昨日俺がいなかったって騒いでたらしいな?」
「―――。」
「ナニ、知ってる?」
「・・・・」
「何か知ってんだろ。そんな気がする。隠してんだろ。話せ。」
 鋭い刃を首筋に当てられたように、緊迫した声音が耳に突き刺さった。
 天国は口元を緩ませた。
「しらねえよ」
 ぐいっと犬飼の手を振り解き、天国はぱっとベットから舞い降りた。
「何、ワケわかんねえ事言ってんの?お年頃の妄想な発言?一人が好きな根暗野郎にはお似合いだけどな。もうそんなトシじゃねえだろ?チュウガクぐらいまでにしとけ」
「猿野」
 スタスタと犬飼から離れようと、犬飼が入って来た戸口まで歩いていって、廊下にでようとする。
 これ以上いると、ギリギリで保たれた自分を戒める感情が爆発してしまう事は間違いない。
 開けてはいけない心の鍵を容易に開けてしまうだろう、と犬飼に会って予想は確信に変わった。
 いや、と天国は心の中で静かに首を振った。
 犬飼の問いを聞いて、問い詰めたいと思っていた事の答えを聞いてしまった。
 既に、静かに、幾重にも封印されていた、鍵も鎖も消滅している。
 後は、その扉を開けてしまうか、どうか。
 自分の手で、ゆっくり押し開いてしまうか、どうかだ。
 その天秤は辛うじて、開けない方向に傾いている。
「猿野、逃がさねえぞ」
 ガシリ、と腕を掴まれて、乱暴にそれを払う。
「俺に、かかわんなよ。関わる、な」
 決して後ろなど振り返らずに天国は前だけを見て、歩く。
「関わんねえワケには、いかねえんだよ」
 犬飼は医務室に入って来た時の冷静さを欠いたように、少し声を怒らせて、再度天国の腕を掴む。
「何を。俺とお前は敵で、関わるような仲じゃねえだろうが」
 対して、天国は先ほどの犬飼のように声を鎮めて、ゆっくりと話した。
 話しながら、「ああ」と思う。
 犬飼は決して冷静だったワケじゃ無い。
 今にも爆発しそうな心を抑えて、抑えて、話していたのだろう。
(俺とお前はどこまで行ってもツイなんだな)
 2人で一つ。背中あわせに立っている感じ。
(俺が思っている事はお前も思っているんだ・・・)
 でも、手を伸ばしても、それは掴めない。
 お互い、背中併せに立っているのだから。
 前に手を伸ばしても、それは遠い鏡に映った自分に手を差し伸べているに等しい。
「何を、今更」
 境界を越えたのは、自分だろうか、犬飼だろうか。
「凄く、今更。今更。・・・今更・・・」
 呟き、呟き、落ちつかせるために繰り返す筈の言葉は、募れば募るだけ、起爆剤のように激しさを増しそうになる。
「何で、『今更』なんだ。何が今更なんだよ」
「・・・それが、今更だって言ってン、だよっ」
 自分の感情が鼓動の早さのように、上がったり下がったりしている。
 同じに犬飼の感情も、下がったり上がったりした。
「折角、忘れかけたと思ったのに、勝手に線越えて来やがって・・・!俺の事なんて、ちらりとも見て無かったんじゃねえのかよっ?!なのに、誰よりも先に気付きやがって!テメエらしくねえ事しやがって!!キスなんか――――っ、しやがって!!!」
 ぐるり、と踵を勢いよく返す。
 返した勢いに乗じて犬飼の鍛えられた胸元をドン!と殴った。
「俺が聞きてえよ!お前が不思議に思ってん事、全部俺が聞きたい事なんだよっ!お前に教えてやれる事なんて、一つも知らねえよっ!!何で、同じカオしてんだよっ!同じ、声して!同じ―――、・・・・じゃないのにっ!」
「猿野」
「ほら、お前は下の名前なんかで、呼ばない。笑ったり、しない。なのに!」
「猿野、落ちつけ」
 肩が軋む程の力で握られて、天国は顔を顰めた。
「知るかっ!お前が問い詰めたんだろうがっ!!俺は、・・・俺がっ」
 ぶるり、と全身が震える。
 とてつも無く、惨めだった。
 これでは勝手な言いがかりだ。
 半分くらいは犬飼に責任があったとしても、最終的には自分の責任だ。
「――――・・・・」
「・・・、?猿野、何か聞こえないか?」
 天国は遠くを見つめている犬飼の言葉に、力づくで抑えつけた激情を奥へ押しやって、視線の先へ添わせる。
「・・・?何って―――・・・」
 耳を澄ませると、小さい息使いが聞こえて、目を瞬かせた。



next



…………………………
こんにちわ、お久しぶりです、水野です。
前回は誠にひっどい文章で読み辛くて申し訳ありませんでした。
まあ、今回もけして読みやすいとはいえない支離滅裂な文の羅列ですが、まあ、前回よりかはマシかな?と。アレですね、勢いだけで書いたものはダメですね、ちゃんと修正しないと。
しかし、ようやく犬飼と猿野が接近しました。ようやく…!!!

次は牛尾さんと子津くんと犬と猿の話です。
よければまたお付き合いくださいませ。
水野やおき2006.06.07


[0]back [3]next