悪い、悪い夢を見ているようだった。


「ごめんね、2人っきりにさせてくれるかい」

 その時の牛尾さんは、とても耐え切れない罪悪に痛めつけられたように掠れた声でそう呟いた。


『金の光・銀の紙縒り』


 声が聞こえて、そちらに踏み寄って。
 そこで金色の光を見て、急激な頭痛に苛まれた。
 猿野の声が聞こえて、それでも、痛みに耐えきれず、頭を抱えていたら、ふっとそれは砂糖がとけるように消えてなくなり、犬飼は顔をあげた。
 そこには、紛う事なき、十二支野球部キャプテン牛尾御門が苦渋に満ちた顔で己の前に膝をついていて、痛みを溶かしたと思われる彼の手はゆっくりと離れて行った。
 そして、今は彼と2人っきりで、立っている。

「頭痛治してくれて、とりあえず、アリガトウございました・・・」
 小さくとりあえず、礼を言わないとダメかと犬飼が呟くと、牛尾は寄りそうように立っている木の枝に顔を寄せるようにして、「いや」と小さく呟いた。
「「あの」」
 2人同時に言葉を発してしまい、口を噤む。
「犬飼くんからでいいよ。言ってくれたまえ。僕にはそれに答える義務がある」
 声を発するのを年長の牛尾に譲った所、少し意味不明の言葉が返って来て、犬飼は「じゃあ、」と口を開いた。
「オレは、猿野に答えがあるんだと、思った。アイツに聞けば、全部分かると思ったんだ・・・。だけど、それをアンタは持ってるようだから、聞く。アンタの言う『義務』はよく知んねーけど・・・。さっきの頭痛はアンタが関係してんのか」
 静かな、静かな口調。天国に感じていた圧倒的な激情など垣間見せず、犬飼は常にみられる平坦な表情で聞く。
 それに、牛尾は諦めたような表情で小さく頷いた。
「そう、だよ。・・・何から話していいのか判らないけど。確かにそれは僕のせいだ」
「頭痛の原因がってことでいいのか」
 最早犬飼の中に牛尾を先輩だ、キャプテンだと思う心は無い。
 普段は記憶の無い夜の時間だからかも、しれなかった。
 とにかく犬飼は胸の内にわだかまる闇の正体をこの人に聞けば判るのだと、半ば安心にも近い気持ちを抱いていたし、牛尾は責務を果たそうとしていた。
「そう。そのことも含めて、全部。何から・・・何から話そうかー・・・少し、長い話になる・・・」
 そう言って、牛尾は重たい口をゆっくりと開き始めた。
 本当は、子津に話す為に頭の中を整理していた。迷う事は無いけれど。
 果てなく、遠い話――――。



 ヴァンパイア。吸血一族。
 その発祥はさだかではない。牛尾の場合は、気がついたら、それだったという認識しか、ない。
 苦手なもの、吸血の意味。永久を生きる上での伴侶の意味。空の飛び方。幾重にも重ねられた情報は覚えるものではなく、思い出すもの。吸血鬼としてその地を踏みしめた時から、牛尾の根幹に根付くもの。
 存在している意味などは分からなかったし、分かりたいとも思った事は無かった。
 ただ生きているだけだった。無涯と会うまでは。
 出会ったのは、本当に偶然だった。
 ただ、牛尾は暇で仕方がなくて、山をふらふら歩いていた。牛尾の家は山奥にそびえる洋館だ。ひっそりと聳え立つそれは、軽く目くらましの術がかけられていて、未だ人間に発見された事は無い。
 どこで生まれたのかは覚えていない。昔人間だったのを覚えているが、いわゆる前世の記憶のようにそれは遠い。普通に人間が人間として産まれた時のように、その瞬間を覚えていないのと同様に牛尾はそれを覚えていないし、必要とも思わなかった。
 ただ、生まれ変わった時にこの目とこの髪はどうやら人ではあらざるモノの色になってしまったようだ、これは危険だ。これを知られては危険だ。
 そのような警告だけが頭の中にあって、以前仲間であったのか、それとも自分をコレにしたモノのもつ記憶であったのか、出処は分からないけれど、外の国にいけば良いという事は知っていた。外の国には自分に似た容姿のものが沢山いる。それは人間であるけれども。…しかし牛尾はそうはしなかった。相変わらず『危険』という文字は脳裏に躍ってはいたが、この山奥に自分のねぐらになるであろう洋館があるのを知っていたので取りやめた。本能の警告通り山奥に身を潜めて暮らしていれば外の国に行為の労力を使わずとも安全だという事を知っていた。
「はぁ、誰か話し相手になってくれないかな」
 吸血する。外見が違う。空もとべる。術が少し使える。
 それ以外は人間と同じだ。害は無い。
 その少しの差異が問題なのであるし、問題なのだと分かってはいたけれど、牛尾はつまらない―――という感情の中で退屈を持て余す。
「別に、人間の血なんて吸ったりしないのに」
 そりゃくれるというなら貰っても良い。
 一般に振れまわっている吸血伝説などに出てくるモノタチと自分は違うものだから、血を吸う過程で他人を隷属に変えたりしない。殺したりも、しない。もし、貰うのだとしたら、主の恵みに感謝し、生きるだけの、お互いが生きうるだけの生命を交換するだけだ。
 牛尾は人間に力を与えるし、人間は牛尾に力(血)を与えてくれる。
 力と言っても些細なものだ。今日はいつもより運がいいな、とかその程度のもの。
 確かに、血を好み肉を好む輩もいる。人間の血を吸い尽くしたりするヤツもいるけれども、そんなものは一部のモノの仕業だ。牛尾はしない。
 ただ、その恵みに感謝して、古い館に一緒に暮らすうさぎや馬などの血を少しもらう。
 それでお終い。
 だから、だから――――。
 この退屈。この寂寥感を埋めて欲しかった。
 伴侶というものを探せればいいのだろうけれど、生憎まだ自分はそういう気持ちになれていない。それはまだ伴侶がこの世に存在しないという事だ。そう知っている。
 けれども、この渇きは必然だ。誰かといたい。誰かと話したい。誰かとぬくもりを分かち合いたい。
 きっと元が人間だからだろう。そう思って牛尾はうさぎ一匹をお供につけて、森の中を散策した。うさぎはあったかいけど、話しをしてはくれない。
「分かってるんだよね。自分で目くらましをかけておいて、誰かに会えるわけなんて無い事なんかさ。・・・会うわけもないし。」
 この髪・この瞳。見ればすぐに異端だと分かる。この国のものは全て黒い髪に黒い目をしている。たまに茶色いこともある。けれど、牛尾のそれとは、全く違う。
 一人ぶつぶつと呟きながら、それでも散策を繰り返すのは、何らかの奇跡を信じていたいからだし、奇跡を信じることで人への渇きを紛らわせたかったからだ。
「?どうしたの?」
 お供のうさぎの鼻面がぴょこっと匂いを嗅いだ。ふんふんと周りを窺って、ピン!と耳を立てて警戒し、立ち止まる。
「???」
 牛尾もその場に立ち止まった。
 うさぎはじっと澄んだ目を虚空に向けている。
 獣でもいるのだろうか。でも、牛尾がいる。獣は、牛尾を避ける。避ける事は無い場合でも、襲うことはない。
 しゃがみこんで、うさぎを抱えあげようと思った。
 その瞬間、ぞくりと生命の危機を感じて、うさぎを捕らえたまま、体を捻る。
 ドスリ、とうさぎのいた場所に矢が刺さった。
(何!?)
「しくじったか!!」
 人が遠くの茂みから走り寄ってくるのが分かった。
 こんなに近かったのに、牛尾はまるで気付かなかった。
「・・・あ、お前?」
 がさり、がさりと薮を切り裂いてやって来たのは、年端もいかない、幼さをまだ全てに残す少年。
 黒い髪、黒い瞳。乱雑に頭上で結わえられている。
「こ・こんにちは・・・」
 牛尾は両手でうさぎを宙に浮かせたまま、やって来た少年に呆然としたまま、声をかけた。
 屑桐無涯との出会いだった。



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…………………………
半年ぶりの更新です。…大変申し訳ありません、水野です。
更新しなくては〜…と思いながら、いつものように遅すぎて、もしまだ読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、本当にごめんなさーい…!!!!(涙)
精一杯がんばります…!
2007.07.13水野やおき


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