■【冬の陽だまり・夏の影】■ 05

【冬の陽だまり・夏の影】
―4―



 裏切られた、という思いに駆られた。
 別に、裏切りでは無い。
 照の了承をえなければいけないわけではない。
 だが、あまりにもの過激なそれは、照の怒りを買うには十分な内容だった。



 えるに初めて声をかけてから一月が過ぎて、季節はめまぐるしい勢いで夏の余韻を掻き消していった。
 木々が紅く色づいて来る中で、生徒会室に引き継ぎを終えたばかりの新役員と顔を合わせることになり、照は会長である証の席についてからきっちりと声を押し出した。
「私はこの生徒会をよりよいものにして行きたいと思っている。各自全力で役目を全うしてくれ」
 新しい顔ぶれの中には夜神月もいたし、えるもいた。二人とも、幾許の不安もなく当選して、この場に立つ。その緊張も見られない、完璧に空気と同化していているさまは、照の心に頼もしいという気持ちを呼び起こさせた。
 その心情通り、二人の仕事ぶりは並のものではあらず、その処理の早さには期待していた照でさえ目を見張った。特にえるの無頓着にこなす仕事ぶりには夜神月も舌を巻いているようで、二人の仲を心配した己が心底滑稽に思えたほどだった。
 その二人の関係に疑念が混じるようになったのは一体いつ頃からだったろうか。
 きっと照でなければ気づかないくらいの些細な変化だったと思う。
(少し、遅くはないか…?)
 真っ先に戻ってくると思った二人が戻って来なかったことが一番のきっかけだった。
 よくよく二人を観察すると、夜神月の方は、いつも何かを考えているような素振りで、反応速度が遅くなっているように感じたし、熱っぽい視線でえるを追っていることさえあった。一見してみると、えるの方が落ち着いているように見えた。
(やはり…おかしい)
 それまでの二人は、見ているこちらが微笑ましいとさえ思うくらいに、照が恋愛についての価値観を変えてしまいそうなくらいの、良好な関係だった。お互いがお互いの良いところを引き立てるような、そんな存在であると思えた。
 だが、文化祭という生徒会にとって大きな行事に俄かにやる気を漲らせていたある日、照は話し合いの最中に二人が指先を絡めているのを発見した。
(…そんなものか)
 そんな理想的な関係は、二人が幼馴染から来るものでしかなかったのだと思って、照は『有害』とみなした場合の、当初の予定通り夜神月を呼び出した。


「夜神、少し残れ」
 集まりが終わって、三々五々に散っていった、午後4時半過ぎ。西日がオレンジと黒の明暗を作る部屋に、今にも出ていかんとした夜神月が振り返ってえるに呟いた。
「先に行ってていいよ」
 わかりました、とえるが答えて足音が遠ざかっていく。開け広げた窓からは部活動に励む生徒の声が聞こえる。
「どうかしましたか?」
 パタンと扉を閉めて、照に近づきながら夜神月が問うてくるのに、照はまっすぐと睨みつけるようにして開口した。
「今すぐ別れろ」
「……は?…ははっ。一体どうし…」
「竜崎えると別れろといったんだ。お前の為にならない」
「…それは、それは」
 一瞬固まって、笑い飛ばそうとした夜神月の声を強く遮る。一瞬強い警戒心が浮かんで消え、今は怒りとも嘲笑ともつかない表情の中、口角だけ微笑の形に吊り上げられていた。
「…お前も知っているだろう。色んな噂がたてられている。お前達にいい影響であるとは思えない。あんな噂を流されるのは不利益になるだろう、だから今は別れろ。まだ早いのだ、付き合うのはもう少し先でもいいだろう」
 出来るだけ優しく諭したつもりだった。そうすれば、夜神月の本心がどうあれ体面を気にして頷くと思ったのだ。
 だが、出て来たのは、野生の獣のような鋭い牙を押し隠したような反抗だった。
「嫌です。噂がどれほどのものだと言うんでしょうか?そんなものに押しつぶされるほど僕もえるも弱くはない」
「……」
 驚きすぎて二の句が次げなかった。誰よりも模範的である夜神月が言う言葉ではない。
 それは照の奥底をじりりと焦がして、口を苦くさせる。
「竜崎を好きなのか?」
「それが?」
 だからなんだ、と問い返されて、より一層胸に亀裂が走ったような気がした。
 なんだ、なんだこれは。
 踏み荒らされたような気持ちを理性で押さえつけて、静かに口を開く。
「恋だの愛だのは人を堕落させる。お前達もー…」
「いつ僕達が成績を落としたりしましたか?他の何事もきちんとこなしているのは会長が一番知っている筈ですよね?ましてや、僕達がしているのは恋愛なんかじゃないんですから」
「………なんだと?」
 今度は照の言葉を強く遮った夜神月がそう言って、疑わしいとしか思えない陳腐な台詞に照は眉間に皺を刻んだ。
「だから、恋とか愛とかそういうのじゃないんですよ、会長。確かに愛とか恋とかそんな不安定な感情は身のためにならないと僕も思います。ですから、恋愛を僕はしようとは思ってませんし、これからもするつもりはありませんよ。えるの事は好きですけど、そういうのじゃありませんから、心配されなくても結構です。分かっていただけたでしょうか」
「………ああ」
「納得して貰えたみたいなので、僕はこれで失礼したいと思います」
 最後まで柔らかい言葉にさえ隠し切れない敵意を感じたまま、照は夜神月を無言で見送った。
(…なんだ、それは)
 感じたのは歪んでいる、ということだった。
 夜神月の言葉を了承したのは、何も納得したからではない。ただ、今はこうでもしないと火に油を注ぐだけだと思ったからだった。夜神月は優秀な生徒だ。だから暴力沙汰だけはないと踏んだが、頭がいいだけに、これ以上警戒されると危ないと思った。だから、頷いた。
(もしかしたら、本当に恋愛ではないのかもしれないが…)
 あんな風に言い切れるのなら、もしかしたら彼の言った言葉は本当なのかもしれない。
 だが、恋愛は人を堕落させるという言葉と、鋭いナイフのような敵意とを、夜神月は同居させ、全く矛盾が無いような表情で告げた。
 そして、照にむけられた敵意の発露は紛れもなくえるに関わる物事で、そんな相反するものを夜神月は混ぜもっているのだ。
 もし、万が一、それが言葉通りに恋愛ではなくても、こんな危険な執着を放っておけるわけがない。
(となると…竜崎か?…いや、その前に確かめねば…)
 そうして、照は、ほとぼりの冷めた2週間の後、二人をパートナーにして地下の体育館倉庫へ行くように差し向けたのだった。


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