■【タイム・リープ〜月の選択〜】■ 07

真下を歩く音が聞こえた。
カツカツという足音が遠退いて、全ての物音が聞こえなくなって、緊張を解いた。


【タイム・リープ】
〜月の選択〜#7



見つかるとまずいので吹雪が強くなってから脱出しましょう、という竜崎の提案に月は頷いて、それまで少し休もうと目を閉じた。
「眠らないで下さいね」
「大丈夫、寝れない」
苦笑しながら言うと「酷いですか」と竜崎の声が僅かに曇る。
「どうだろう…。折れてはないけど、ヒビが入ってるのかもしれないな…」
「…そうですか。手の方は大丈夫ですか?」
「…ああ、そうだ、忘れてた。でも大丈夫だと思うよ。そんなに深くないし…血ももう止まってるみたいだ」
そうですか、と再び竜崎が呟いた。それ以後何をいうワケでもないので月も黙る。しばらく沈黙が続いた後で竜崎が躊躇いがちに口を開いた。
「……助けてくれたんですか」
「え?…ああ、うん」
「何故ですか?」
「……何故って言われても…咄嗟に、だよ。何か考える時間はなかった。…何で?」
「…私の事が嫌いなのではないですか」
言われて月はぱっちり目を開いて瞬きを繰り返した。思わず「ははっ」と笑う。
「何、まだ警戒してたの?僕がキラだから?随分用心深いんだな」
「私はLですから」
相変わらず感情を窺わせない声に月は「そう」と口端を吊り上げる。
「こんな状況になってまで竜崎を殺そうとするほど僕はバカじゃないよ。そんなのお前にだって分かってるだろう?」
「…はい。それは、そうなんですが。だからといって私を庇う必要もないでしょう。月くん一人なら避けられたタイミングでしたし…」
「そんなの僕だって知らないよ。勝手に体が動いたんだ。…でもそうだな。最初の質問に答えるんなら、こうかな。別に嫌いじゃない」
「…キラなのに?」
「キラはもう捕まったんだろ?捕まえたって言ったじゃないか」
「そうですが…」
「それよりもお前はどうなんだよ。キラが嫌いなんじゃないのか?憎くないのか?お前はキラに殺されたんだろ?」
「………」
月がそう問うと竜崎は押し黙った。それを気のない視線でちらっと見てからなるほどね、と胸の内で呟いた。
竜崎の中で月はいまだもってキラでしかないわけだ。それはキスをされるのも大層不愉快なことだろう。性別を気にする前に、目の前の相手は竜崎を殺した殺人犯なのだから。
だが、それは当たり前のことだ。どこの世界に自分を殺した相手が憎くない人間などいるだろうか。普通は化けてでるところ。なんにも、ちっとも可笑しいところなどない。
…そう納得出来ても、今しがた生まれたばかりのわだかまりを消すことが、出来ない。
竜崎でさえ裏切るのか、という思いに駆られた。そんなの月の思い込みなのだけれど…月はあの日から竜崎を無条件に信用していたのに。
だから当然竜崎も月を信用しているものだと思っていた。
もともと、月も竜崎もお互いが対等の能力を保有しているということに何の疑問も抱いたことはない。そしてキラはLに捕まったのだから、心情面においても同じラインに立っているものだと、そう思っていた。
だが、と月は目の奥に宿った強い意志を強く張りつめさせる。
だが、月も何の根拠もなく能天気にそう思っていたわけではない。あの時竜崎があれ程真剣でなければ、声が震えていなければ、微笑みさえしなければ、月はそれを認めなかっただろう。「捕まった」と肯定することだけは絶対になかった。そして認めたからには月の方にわだかまりはない。竜崎にしてみれば身勝手な転身かもしれないが、…月は竜崎を信じていたのだ。月が肯定することによって、対峙する格好ではなく、竜崎に寄り添うようにして傍にいられると。記憶を失っていた時のように。
竜崎は月がキラでも、キラと肯定しても何も変わらないと思った。ある意味それはビンゴだったのだろう。確かに竜崎は何も変わっていない。月を疑ってかかる事の、何ひとつ。
(そうだ、僕は夢をみていただけだ。僕だって竜崎の思惑の全てを理解できるわけじゃない。確かに僕は誰の考えをも読み解けるだけの能力を持っているけど、それだって完璧じゃない。他人同士が分かりあえるわけなんてない。やはりこの世に自分自身以外に、信じられるものなどない…)
「…別に嫌いでも憎くもありませんけど…」
「……?は?」
心の奥底が再び凍結していくのを阻止するように竜崎がぽつりと呟いた。
その多少気まずげに呟きを、今度は月が疑ってかかった。相手はあのLだ。
「…憎くない、というのはちょっと言いすぎかもしれませんが、別に、嫌いではないです」
どの口が、という皮肉をこめて「とてもそうは思えないね」と冷たく返すと竜崎は「はあ…」とカリコリと頭を掻いて続ける。
「信じるかどうかは月くんの勝手ですが、それは紛れもない私の真実です。確かに僅かも憎くないというわけではありません。私はともかく、ワタリまで犠牲にしてしまいましたから…。ですがそれさえも、配慮を怠ったのは私で、私の失敗なんです。たとえキラが仕掛けたことでも、そう感じています。ですから別段憎いと思ったことは、無いです。…ましてや嫌いということも…」
「でもお前の中でキラは絶対の悪なんだろう?」
「はい。私はLですから。殺人の対象が重大な犯罪者であれ、殺人は殺人です。見過ごすことは出来ません。絶対の悪です。ですから捕まえもしますし、罪も償ってもらいます。…ですが、キラの真の思惑がどうであれ、一部のもの、特に弥のような犯罪被害者にとっては唯一の救いであったことも理解しています」
「真の思惑ってなんだよ、竜崎」
『唯一の救い』そんな事は分かっている。月自身が退屈だったのも。だが竜崎のいいようにカチンと来て皮肉に笑うと竜崎はさらりと答えた。
「ゲームだったんじゃないでしょうか」
「ゲーム?非常識だな」
「…その非常識が必要だったのではないでしょうか。キラは生きていることにリアリティを見出せなかった。ですからノンリアリティの中の確かな死というリアルを求めた。キラの中にあるのは生きることへの飽きと、孤独、退屈。キラはまだ子供でした。賢い子供で失敗などしたこともなかったでしょう。故にその痛手も知らなかった。躓いて転んだ事のない人生というのは存外大変なものです。何しろ転びかたをしりません。大怪我です。だから、転んでしまったことをなかったことにした。それを無かったことにするだけの能力があった。生きていくことをゲームだと思うことにした。神になるつもりでいた。理解もしてくれない大人たちが与えてくれるゲームのエンディングを鼻で笑うことはあっても、人外から与えられたアイテムなら疑う余地はありません、神にだってなれるでしょう。キラは選ばれた者です。この世界で始められたゲームの主人公です。孤独も選ばれたものにはつきものですが、主人公の下には仲間が集まります。その思想も正義のものです。敵も現れるでしょうが、その間は退屈しないですみますし、最後は勝ちます。輝かしいエンディングもあるでしょう。正真正銘人生を賭けた正義の人生ゲームです。遣り甲斐もあり、…そして復讐も果たせるとすれば一石二鳥でじゃないですか」
「なんだよ、それ」
「キラを理解しようとしてくれなかった、中身を見てくれようとしなかった、みすみす孤独に貶めた近しい人間への復讐です。…子供の発想ですね」
言いがかりだ、と反論しようとした。退屈だったのは確かだ。けれど、復讐なんて思ったこともなかった。だが、真相はどうだろう。
人格者で有能だといわれる父を持ち、平凡だが気立ての良い母を持った。しかしその父も母も月の中身を見ようとはしなかった。知ろうとはしなかった。特に父に思うところがなかったわけではない。正義の為にその身を粉にすることは正しいが、そのぶん家庭は二の次にされがちだった。別にないがしろにされたわけではなく、父が精一杯仕事も家庭も大事にしていたことは知っている。だから仕方ないとわかっている。けれども、目に見えぬ寂しさと苛立ちは募っていった。妹が大きくなってからはさらに拍車がかかった。お兄ちゃんは妹の面倒をみるものだ。尚更父が月を気にかける機会は減った。優しく強い父に褒めて貰いたかった。だから運動も勉強も頑張った。いい子であり続ける事に努めた。だが皮肉なことにその分だけ月自身に関する関心は離れて行った。『この子は大丈夫だ』というレッテルを貼られた。周囲の月に対する評価も同じだった。挙句『夜神さんの息子ならば当然』と言われるようになった…。
その苛立ちは徐々に傍にいて刻々と闇を抱えていっている息子に気付かない母にも、スーパーマンのように頼ってくる妹にも向けられた。
家族がけして愛しくなかったわけじゃない。
けれども、息苦しかった。
辛かった。
家族であるのに、除け者にされたかのような自分が悲しかった。
総一郎が『粧裕がキラなど絶対にない』と言った時にそれはもっと確かなものになった。月に対しても『お前がキラでないと信じているからこそ…』と言いはしたが『絶対にない』とは言ってくれなかった。父はそう言うだろう。確信していたから傷つきはしなかった。月が傷ついたというのなら、むしろ父が知った風情に「そんな能力を持ってしまった人間は不幸だ」と言った事の方に傷ついた。僕が不幸だとでもいうのか、と思った。父にも誰にも出来ないことを成し遂げようとしている月が、不幸とでも。むしろ不幸だったのはノートを持つ前だったんだ、と。
ぶちまけられたらどれだけスッキリするだろうか、と。
「………」
ノートを拾う前にいっそ怒られるような事をすればいいのかもしれなかったが、出来なかった。
あんなにいい子に努めてきたのに、『絶対にない』とは言ってくれなかったのだ。いい子をやめたら、どうなるのだ。
月という人間を測る時、それはいつも外側に限ってのことだった。容姿、成績、体面。一切合財がそういったものでしか測られなかった。
ノートを手にした月が行ったのは、退屈から逃げるためのゲームだったのと同時に、家族に対する反抗であったのかもしれない。大きな大きな反抗期。
押し黙って思考の底に沈んでいた月の口許に何かが触れた。
びっくりして顔をあげると「変なものじゃありません」と竜崎がいう。
「ただのチョコです。先ほど助けていただいたお礼がまだでした。有難うございます」
その甘さが胸にチクンと突き刺さった。
確かに竜崎の大事なチョコを与えられるくらいだ、嫌いではないという言葉は嘘ではないのかもしれない。




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