■【らぶラブらぶ】■ 10

… side ルートヴィッヒ …

家に帰ると、美味しそうな肉じゃがの匂いがした。どうやらこの間のリベンジを果たしたらしい。
ルートヴィッヒは賑やかな声を聞きながらリビングの扉を開けはなって絶句した。
「………、……何をしているんだ……」
「よー、お帰りルッツ。コイツが火傷しやがったもんだから包帯まきまきしてやってんだよ。普通アツアツの鍋の蓋を素手でキャッチするか?」
「落とさなかったんだからいいじゃねーか!」
ルートヴィッヒの唸るような低音の声音など、他の者に聞かせれば十中八九竦み上がるというのに、幼少のみぎりより自分の兄であったギルベルトと、泣く子も黙る鬼の生徒会長には何の効果もないらしい。別に震えあがらせたいわけではないので、それは別にいいのだが…、ルートヴィッヒが現れた事に何故この二人は動揺しないのだろうか。
(羞恥心というものが無いのだろうか、この二人は…)
素面の兄の態度は当然おかしいが、ポコポコと蒸気をあげているアーサーもはっきり言っておかしい。怒るべきはそこではない。
「……包帯を巻いているのは構わない。何故アーサーは兄貴の膝の間に座っているんだ」
そうだ、その態勢は突っ込んでも構わないだろう。ルートヴィッヒが少しだけ悩んでその事を指摘すると、アーサーはきょとんとした表情をしてから「え?」と首を傾げた。
「こっちの方が手当てしやすいからって…?」
何の羞恥心もなさそうな顔で説明されてルートヴィッヒは頭を痛める。生徒会長なんぞをやっていて、いつも学年のトップにいたアーサーだから、その頭の良さは推して知るべしだろう。家の仕事に関わる知識も豊富だと聞いている。しかしその一方であってしかるべき知識の方は欠落しているらしい。
ルートヴィッヒが溜息をつくと、流石に何かおかしい事に気付いたらしい。アーサーが困惑してこちらを見つめるので説明しようとすれば、それを兄が遮った。
「お前も優しいお兄様がこんな風に手当てしてやったよな〜!」
「一体いつの話をしているんだ!」
確かに、こんな風に兄の膝の間だったり、上に座ったりして手当てをして貰った記憶はある。本を読んで貰ったことだって忘れではいない。二人きりの兄弟で父親は仕事に忙しく、母親も既に他界していたのでルートヴィッヒの事は兄が当然のように可愛がってくれた。それはとても感謝している。だがそんなベタベタを容認出来るのは、本当に幼い頃限定だ。この歳で同性を相手に同じことをする奴など兄の他にはいまい。
(異性を相手にしたとて滅多な事ではない筈だ!恋人ならともかく!!)
想像して思わずカッと頬を赤くする。ルートヴィッヒは純情なのだ。
しかし、これはどういう事なのだろうか。昔から兄は気に入った相手に対してかなり甘い所があって、どうやらアーサーの事も気にいったらしいが…。
(だからと言ってだな…!)
そんなにくっつく奴があるか!と思う。フェリシアーノなどベタベタとくっついて来るのが好きな人間もいるので一概には『いない』とは言えないが、やはり普通の事ではない。
(そういえばアイツは性別など関係なくくっついて来るのだが…)
それでうっかり求愛されているものだと勘違いしたこともあった。苦い思い出だ。
バレンタインの悪夢を思いだしてルートヴィッヒは慌てて咳払いをして誤魔化した。
「?」
アーサーはまごまごしているルートヴィッヒを不思議そうに眺めている。兄はと言えば鼻歌なんぞを歌いながらそのままの体勢で治療を続行するつもりらしい。ゆっくりと包帯を巻いていた。
だから早く離れて欲しい。目のやり場に困るのだ。
「…あのだな、アーサー。こういうものは、親密な仲の人間同士で、行うものなのだぞ…」
多少ごにょごにょと不明慮に詰まりながら説明すると、アーサーの頬がぽっと赤くなった。何なんだろうか、その反応は。
兄もどうやらアーサーの反応に気付いたらしい。ひょいっと眉を上げたかと思うとニヨリと笑った。
「まー、そうだよなー。確かに親密な仲じゃねえとしないよなー。家族とか親友とか恋人とか?」
「親友は無いのではないか?」
「親友だって親密な仲だろー?」
「それはそうだが…」
何かさっきから意図的にはぐらかされているような気がする。それを追求しようと思えば先制するように「流石俺様!華麗に出来上がったぜー!」と高笑いで邪魔をされた。
「お前耳元でうるせーよ…」
高笑いに顔を顰めたアーサーが席を立とうとするのを兄の腕が阻む。ぎゅっと抱きしめるようにされて目の前のアーサーが暑っ苦しそうに顔を顰めているのが見えた。
先程顔を赤らめていたのとは対照的なその態度に僅かに頭の中に疑問符が過ったが、明確な形になる前に兄の奇行に目が行った。
「このさわり心地、俺様好み!」
「はあ?!」
「お前本当いい匂いするよな。やっぱ何かつけてんじゃねーの」
すんすんと首筋に鼻づらを押しつけて匂いを嗅ぐ兄に、「だからつけてねーよ」とアーサーが身じろぎする。
「つーか、くすぐってぇからやめろって」
腕ごと抱きしめられたアーサーが「ぴゃ!」っと突然声を上げた。
「ばっ!バカ!!舐めるなよ!!!!」
「舐めっ???!!!!」
ルートヴィッヒからはよく見えなかったが、行為の破廉恥さに真っ赤になってしまう。けしからんと怒鳴り付けようとした所でふと兄と目があった。
ニヤリと笑われてからかわれているのかと眉を上げたが、すぐに気がついた。
(…手を出すな…という事か…?)
色恋沙汰には疎いルートヴィッヒでもここまであからさまにされれば流石に気付く。アーサーはともかく兄には明確な意図があるようだ。
「何か舐めたら甘そうな気がしたんだよなー」
「甘いワケあるか!それにしても舐めるとか犬じゃねぇんだからヤメロよな!」
「犬いいじゃねぇか、犬」
「そういう意味じゃねえよ!バカ!次やったらぶっ飛ばすからな!フランシスじゃあるまいにセクハラ紛いのことしやがって!」
「なんだよ、フランシスにされた事あんのかよ」
「あるわけねーだろ!!」
しかしアーサーは先程から怒っているようだが、何というかいちゃついているようにしか見えなくていたたまれない。
(…しかし、俺はどうすればいいんだ?)
不純異性交遊など見逃していいはずが無い。しかしこれは不純同性交友にあたるだろう。学則にはそれは禁止事項に入っていないが、似たようなものではないのだろうか。
だが、学則に厳しい鬼の会長の方は何も気付いていないようだし、まだ兄がちょっかいをかけて楽しんでいるだけの状態である。止めるだけの理由にはならない…が。
(兄さんは一体何を考えているんだ…)
アーサーは男で、しかもあのカークランド家の嫡男である。跡目を継がないとはいえ、将来はどこかの財閥の女性と結婚するのが当前の成り行きというものだろう。よしんば同性という事に目を瞑っても当然のように別れが来ると分かっている相手と恋をして、親密になればなるだけ苦しくなるのは当人達だ。
「焦がすなよー!」
ルートヴィッヒが考え込んでいる間にようやく離れたらしい。ギルベルトがアーサーをキッチンへと手向ける言葉を吐いたのを聞いて物思いから醒めると、兄は
「ルッツ」
とソファの背にのさばりながら手まねきをするので大人しく従った。近寄ると中指でちょいちょいと顔を近付けるように指示されて、頭を下げる。ぽんぽんと頭を撫でられてしまった。
「ま、心配すんなよ。俺様はお前の自慢のお兄様だぜ?」
笑って言われて眉間に皺を寄せる。ダメな所も沢山あるが、いい兄貴であるとはルートヴィッヒも認めている。言葉にしなくてもルートヴィッヒが何を考えているのかをすぐに見抜いてしまうくらいである。だから『自慢のお兄様』には百歩譲って容認してもいい。
問題は自分の兄貴である事だ。自分に前科があるだけに安心できない。
しかし兄には些細な問題だったようで意気揚々とアーサーの後を追っていってしまった。その後もうざいくらいにちょっかいを出す兄と、全くその意図に気付かないアーサーの図を眺めて、ルートヴィッヒは考え込んだ。

「で、ルートは一体何を悩んでんの?」
学園でもしかめっ面をしていたのか、フェリシアーノが顔を覗きこんできて、ルートヴィッヒは「ああ…」と口を開きかけて「いや…」と否定した。因みに昼休みの事である。
「何?ここでは話せない話?」
フェリシアーノがパスタを飲みこんで首を傾げる。ルートヴィッヒは言っていいか悪いか決めかねて「むう」と黙り込んだ。
口止めはされていないが、アーサーが今家にいることは秘密にしておいた方がいいことである。秘密はその人数が少ないほど漏れにくい。しかし、この二人のうち、特にフェリシアーノはウチに遊びに来ることも多く、結局はばれてしまうだろう。間もなくばれてしまうのが分かっているのなら、今口止めして話してしまっても問題はないと思うのだが…。
(問題は兄さんがアーサーに恋愛感情を持っているのを話してもいいか、という事だ)
恋多き親友は、街に遊びに出れば十中八九ナンパに勤しんでいる。曰く恋とはいいものだ。だから話せば「別にいいじゃん!恋に垣根は無いんだよ!」とか言いそうだ。いや、きっと言う。
チラリと菊に視線をやればにっこりと微笑まれた。こちらは年上だし、アーサーとも友人である。二人の今後の事を考えれば、相談するにはうってつけの相手でもあるのだが…。
(果たして人の恋路に踏みこんでもいいのだろうか…という疑念がだな…)
首を突っ込むのも考えものだ。考え考え、ようやくルートヴィッヒは口を開いた。
「未来の無い恋愛についてどう思う?」
「うっひょー!どうしたのお前!ルートが恋バナだなんて!相手誰?」
「恋ですか」
驚く二人に慌ててルートヴィッヒは首を振る。
「俺の話しではない!」
「おや、ではギルベルトくんですか」
「………」
名前さえ出さなければ大丈夫だと思ったのに一発で見抜かれてしまって押し黙る。
しかしよく考えてみれば、自分が悩む相手といえば、兄かローデリヒかエリザベータか、それを除けはこの二人しかいない。
「なになにー。ギルベルトが好きなのってエリザ姉ちゃんだよね?」
「え」
「「え?」」
フェリシアーノの言葉に驚いたルートヴィッヒに対して二人の声が重なった。
「もしかしてルート気付いてなかったの?」
「いや…その…一体…」
「…少なくとも私が初めてギルベルトくんにお会いした時には既に片思いをされていたようですが…」
「もしかしてルート気付いてなかったんだ?っていうことはエリザさんじゃないの?」
「そういえば、去年辺りからちょっかいをかけているのを見なくなりましたが…」
フェリシアーノが首を傾げて、菊は顎に手をあてて考え込んでいる。それをルートヴィッヒは唖然として眺めた。寝耳に水とはこの事だ。
(兄さんがエリザベータに恋…だと?!)
いつも「あの男女が〜」などと不機嫌そうに言っていたのだ。それが何故恋になるのだろうか。
「まぁ、近すぎれば分からないこともありますよ。…でも、昔からちょっかいをかけてはフライパンで殴られに行っていた感はありましたでしょう?好きでもなければわざわざ殴られになどいきませんし、いつも交流会のダンスパーティで『踊ってやろうか』などと誘っていたの覚えていませんか?ギルベルトくんなら苦手なダンスを自ら踊ろうなんて誘いませんよ。…いつも上目線なのは所謂好きな子をからかってしまう心理ですかね」
疑問がありありと浮かんでいたのか、菊が苦笑して説明をしてくれる。
「な、なる程…」
遠縁ではあるが、兄とは歳が同じでルートヴィッヒも幼い頃からよく一緒にいた。なので兄の行動をそういう着眼点から見たことが一切なかったが、説明をされて思い起こしてみれば「確かに」と頷ける所も多い。
いくら兄がああいった性格であっても、嫌いな相手の所にはせっせと通わないだろう。
特に中学生の頃はしょっちゅう付きまとっていたように記憶している。
(…あまり成長していないという事だろうか…)
今はアーサーの後ろにしつこくつきまとっているように思える。しかし今回に限って何故ルートヴィッヒですら気付けたのか…。…それは、エリザベータと違って前提条件が大幅に違うのと、くっつく事に成功しているからではないだろうか。
その成功は兄が下手に年齢を重ねたせいなのか、それともアーサーが隙だらけなのかは分からないが、ともかく兄はしょっちゅうアーサーにくっついている。その甘ったるさ加減はルートヴィッヒが僅か半日足らずで辟易してしまうくらいのものだ。即刻やめて欲しい。
(…そんな成長はいらんぞ兄貴…!)
非常に目のやり場に困るのだ。
「しかし」
物思いに耽っていたところを、菊の言葉で呼び戻される。菊はふふっと口許を抑えて笑った。
「新しい恋をされたんですね」
「いや…その…」
「でも未来の見えない恋なんでしょー?それってどういう事ー?もしかして男とか!?」
フェリシアーノがズバっと核心をついて来て閉口する。ルートヴィッヒも大抵鈍いだのなんだの言われるが、それと同じくらいに空気読めないと言われているフェリシアーノは時々こうやっていきなり核心をついてくるので大変困る。
「………」
「おや。…まあ一応男子校ですし、時々聞きますけど。ギルベルトくんが、ですか」
「よくフランシス兄ちゃん達とナンパ行ってるんじゃなかったの?」
「…いや、それは、まあ。行っていたのだが…」
肯定も否定も出来ずにいたら、肯定したことにされてしまった。まあ、間違いではないので、次の質問にしどろもどろに答えると、「じゃあ最近だ」と誘導尋問のように事実を引きだされてしまった。
「お、俺はもう喋らんぞ…!!」
「えー、でもそれすっげー気になるよー。じゃあとりあえず片思いかどうかだけでも教えてよー」
「……黙秘権を行使する」
「ええええ〜〜〜〜ルートのケチー!」
フェリシアーノとの遣り取りに菊が口元を抑えながら一人で何度か頷いている。こちらの友人は空気を読む事に長け過ぎているので、どこまでくみ取ったのかルートヴィッヒは気が気じゃない。菊はルートヴィッヒの視線に気づくと安心させるように控えめな笑みをみせた。
「大丈夫です。他言はしません」
(何をだ!!!)
フェリシアーノにも今聞いたことを人に言ってはいけませんよ、と言い含めてくれている菊が頼もしいのか恐ろしいのか判断がつかない。相手がアーサーという所までは流石に気付いてはいないだろうが、なんだかすぐにばれそうでルートヴィヒは内心戦々恐々とした。別に悪だくみなどしない事は分かっているが、なんとなく恐ろしい。
「まあ、つまり。そういう悩み、ですよね。…少し場所を変えましょうか」
食べ終わったトレイを持って菊が立ちあがる。3人とも既に食べ終えていたので頷いてそれに倣った。このような場所で話すような内容ではない。
カフェテリアから外に出て日当たりの良いベンチに腰を下ろす。風が吹くと寒いが、そうでなければ、春を感じさせる日差しが気持ちいい午後だった。
「それで…、」
辺りに人がいないのを確認してから菊が口火を切る。
「同性との恋愛、ですか。ギルベルトくんは跡取りですからね…」
(そういえばそうだな…)
指摘されるまで、考えが及ばなかった。ウチもそれなりの企業だが、今まで跡取りだからという名目で干渉された事がなかったので、兄が跡取りだから『未来がない』という発想は念頭になかった。因みに唯一干渉されたのは、この学園に入学することくらいだろうか。
アーサーの方が家にがんじがらめに縛られているイメージがあったので兄の継ぎ目の事まで考えが及ばなかったが、言われてみると益々未来が大変なような気がして溜息をつく。
今の所、アーサーにその気がなさそうなのが救いだが、あれで結構情の深いところがある奴だ。今後どう転ぶかなんて分からない。
「お家の方は長男さんでないとダメだ、という気風でもおありですか?」
もし本気で恋愛されていらっしゃるなら、ルートヴィッヒさんが継ぐという手もありますが…と付け加えられて、ルートヴィッヒは思わず目を剥いた。盲点だった。
「…いや…、特にそんな事を言われた事はないが…、俺は兄さんを補助するものだとばかり思っていたので、少し驚いたな」
「そうですか」
「ルートん家のおじちゃんって結構融通利くもんねー」
フェリシアーノに言われて父の顔を思い浮かべる。優しげな顔をして結構したたかな我らが親父殿は確かに融通も利く偉大な父である。
(そういえば、何故アーサーはウチに来たのだろうか…)
家政婦が、と言っていたが、よく考えると少しおかしな話である。アーサーの説明を聞く限りでは父親にはかなり邪見に扱われていたようだし、後継者問題で諍いが起きないようにするには、アーサーが自社の企業に就職しないで余所へ出るという選択は正しい事のように思えるが。
しかし、だ。
就職の足がかりとして今、ウチに来るものだろうか?そして父がそれに噛んでいるというのが少々きな臭い気がした。
せめてアーサーが大学を卒業するまでは保留に出来る問題なのではないだろうか。家に居場所をつくらず、遠くにやってしまいたいという気持ちと、生徒会長が突然やめてしまうという外聞の悪さに挟まれて、已む無くという気持ちも分かる気がするが、何かもう一つ裏があるような気がしてならない。
(もしかして、養子にでも取るつもりだろうか…?)
アーサーは彼の実家の後継者として養育をされてきたのではあるが、実際は末っ子である。しかも兄弟も正統な直系なのでアーサーが養子に行くこと自体はそうおかしな話でもない。だからほとぼりが冷めたごろに養子にやるつもりでいち早く慣れさせる為にこちらに寄越したのかもしれない…がー…。
「…まあ、他にも何かあれば相談に乗りますよ」
考え込んでいると、菊が柔らかく声をかけて来て、「すまない」とルートヴィッヒは苦笑する。
それに「友達じゃん!」とフェリシアーノが屈託なく言ってくれて相好を崩した。
「もう少し頭の中が整理出来たら、相談に乗ってもらうこともあるかもしれん」
その時は宜しく頼むと真面目な顔で告げると、二人は春の陽気の中で「もちろん」と頷いてくれた。


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