■【らぶラブらぶ】■ 14

… side ルートヴィッヒ …

(兄さんが継ぐつもりが無かったとは…)
ルートヴィッヒはベッドの上に横たわりながらぼんやりといきなり浮上した驚きの事実を反芻した。
家督の継承は長子でなければいけない…という事はない。だが今でも長子相続が多い事は事実で、ルートヴィッヒ自身、勿論そうなるのだと思っていた。だからルートヴィッヒは兄の横でその補佐をする自分というものしか考えていなかったし、実際その日が来ることを楽しみにしていたのだ。
(なのに、そんなことを思っていたとは…)
ルートヴィッヒ達の父親は放任主義で、今まで後継者の話しなど一切したことが無かった。だから逆に漠然とそのように思い浮かべていたのかもしれない。
アーサーの言葉を振り返ってルートヴィッヒは気難しげに瞼を閉じた。指摘されればその通りである。具体的なビジョンを描いた事がなかったから全く気付かなかっただけで。
…別に補佐が社長より学歴が高くあってはいけない…などという決まりはない。だが一般的に見て、『社長』という立場ある人間の選考の基準を考えるならば、血筋や学歴が非常に重要であるという事は火を見るより明らかだ。
どうしてそれを今まで考えていなかったのか。
己が事ながら、忌々しい。
(跡を継ぐ気がなかった…とは…)
兄が嬉しそうにアーサーの後ろを付きまとっているのを見て、本当にもしもの場合は最終手段として自分が社長になるのもやぶさかではない…とは思ったものの、端からそのつもりがなかったなんて、結構ショックだ。
(どう…するべき…か)
気づいてしまったとて、今更自分の進路を変えるのは何かが違う気がする。
(兄さんは、どうするつもりなのだろうか…)
目を開けると染みもない天井が目に入った。それをぼんやり眺めながら思考を巡らせる。
兄は会社を継ぐつもりがない。アーサーの実家は徹底的にアーサーを排除しようとしている。ならば二人が恋愛関係に陥ったとして止めるものなど誰もいないのではないだろうか?絶対に引き離される運命にあるとは決めつけられない。
(しかし…)
兄は最後に『真剣に考えてみる』と言わなかったか。それは社長になる道を視野にいれているという事だ。もしかしたら考えを改めたのかもしれない。
では、『俺が社長になったら嬉しいか』という言葉は一体何だったのだろう。
何がどう繋がって、そんな質問になったのだろうか。
(アーサーにそんな事を聞いて何になる?ゆくゆくはアーサーが社員になる事を想定しての質問だろうか…。アーサーにとって上司にあたる人物が恋人。しかも社長…。恋人が社長だったら誇らしいか、というような意味だろうか?)
ううむ、とルートヴィッヒは唸った。人の機微…特に恋愛に関してはからきなルートヴィッヒにとっては、今まで修めてきたいずれの学問よりも数倍難しい問題である。なんというかいまいちピンと来ない。
(…それとも、もしかすると、二人の仲は俺が思うよりも進展していているのかもしれんな。もう将来の話をする仲になっていて、アーサーは兄に一般的にいう普通の道を歩いて欲しいと思っているとか、そういう話になっていると考えれば…)
『俺が社長になったら嬉しいか』という質問にたどり着いてもおかしくないかもしれない。
そもそも会社を継ぐ気がなかった兄が何をして生きて行くつもりであったのかは知らないが、もしかしたら歌手にでもなりたいなどと思っていて、アーサーはそれを諦めて欲しいと思っている…とか。少なくとも社長の方が誇らしいか、などという理由よりもよほど理解がしやすい。
(…いかん。ありそうな気がしてきたではないか…。)
むむ、と眉間に皺を寄せる。去年兄は気持ち良さそうにステージの上でなんとも言えない歌を歌っていた。「俺様最高ー!」とか言って弾けまくっていたので、本人は相当上手いと思っているのかもしれない。カラオケも好きでよく行っているようだし、もしかしたら大学に入ってバンドでも組んでゆくゆくはメジャーデビューなどと考えていてもおかしくなさそうだ。
騒がしい事が大好きで、目立つことが大好きだ。その実細かい事に気が付いて、割かしきちんとした性格をしていることも弟であるルートヴィッヒは良く知っているが、さりとて好き勝手に楽しく生きる方が、堅苦しい社長業などよりもよほど性にあっているだろうとも思うから困る。…実力云々は別にして。
(それは…同情するしかないな…)
アーサーのような仕事人間が、そのような移ろ気な社会に身を置く人間を恋人にするのは苦痛ではなかろうか。もしかしたら別れるという所まで話は進んでいるのかもしれない。だから兄はアーサーに「嬉しいか」などと聞き、またアーサーは恋人に左右されずに自分の道は自分で決めろと嗜めたのかもしれなかった。
(うむ…やはりこれが一番ありそうな動機だな…)
幾分展開が早いような気がするが、最近はいつにも増していちゃいちゃしているし、昨夜の映画タイムなど、退出際に気づいたが、もろに恋人タイムだった。どう考えても付き合っていると思って間違いないだろう。進路の事はちょうどタイミングが一致しただけの事だろう。
(継いでくれるのなら…嬉しい、が)
ずっとそう夢みて来た。
兄は見かけはああだが、やれば出来る人間なのだ。
恐らくはルートヴィッヒよりも、スマートに。
(どうしたもの…だろうな…)
ため息をついて目を閉じると、ゆっくりと夢の世界に誘われていった。

****

「わん!」
昨夜は悩みまくったわけだが、一度寝てしまうと幾分すっきりする。ルートヴィッヒはいつものように朝の支度をして、愛犬達にリードをつけると、彼等はルートヴィッヒが悩んでいる事に気付いたのか、元気だせよ!という風にベロりと顔を舐めてきた。
やはり犬はいい。
わしわしとその頭を撫でつけて笑う。
「大丈夫だ。さて、散歩に行くとするか」
ルートヴィッヒが笑うと愛犬は嬉しそうに鼻づらを押しつけて来た。立ち上がると3匹一斉に外に足を向ける。
閑静な住宅地だが、車には気をつけて移動する。河原について、トレーニングコースを走っているとより気分が晴れた。日曜日なのでドックズ広場で犬達のリードを離していつもよりも多めに遊んでやると犬達も楽しそうにしている。
いい日曜日だ。澄み切った空にルートヴィッヒはしばし目を閉じて朝の新鮮な空気を味わう。気持ちが前向きになれた気がする。
(大切なのはこれからどうするか…だが)
愛犬を集めて再びリードをつけながらルートヴィッヒは考え込む。
誰もが幸せである道がいいと思う。ルートヴィッヒは父親の会社に携わりたいと思っているだけで特に社長になりたいとは思ってはいないが、なるのならば、全力でやろうとは思っている。今まで通り日頃から全ての事に懸命に取り組めばいいだけだ。ルートヴィッヒの日常は変わらない。
(いや…でも…)
もしかしたらもう少し会社の役に立つことを学んだ方がいいのだろうか。兄の発言には驚いたが、確かに現状一番社長に向いているのはその背後関係を除けばアーサーだろう。そしてアーサーの資質は本人が持っているもの半分、幼い頃から鍛えあげられたもの半分といったところだろうか。
大学は当然ルートヴィッヒの無知をカバーしてくれる所を選ぶつもりだったが、今から準備して悪いはずがない。アーサーがやってきて、家事の負担も減ったわけだし、その分の時間をそちらの勉強にあてようと決意したが、しかし具体的にどうしたらいいものかと首を捻る。とりあえず、その手のマニュアルを読むことから始めてみようか。幸いルートヴィヒが通う学園にはその手の人間で溢れているからよいマニュアルがあるか聞いてみればいい。
(フェリシアーノは聞いても無駄だろうから、菊に―…)
と思った所ではたと思いついた。菊はは教え上手だし、知識も豊富に持っている。しかし傍に一番最適な人物がいるではないか。
(アーサーに相談してみるか…)
一緒に暮らしているのだから、相談もしやすい筈である。しかもタイミングのいい事に今日は休日だ。思い立ったが吉日、アーサーが休日をどのように過ごすのかは知らないが、普段の生活をみている限りでは時間を少し貰っても支障はないだろうと思えた。
とりあえず、確実な道が見えた気がして溜飲をさげる。兄には進路を決めたら報告して欲しいと言っておこう。出来ればアーサーとどうするつもりなのかも聞いてみたいが、それは機会があればでいいだろう。
愛犬を連れて戻ると、キッチンには既にアーサーがいた。昨日寝坊してしまったようなので気をまわしているのかもしれない。
ルートヴィッヒは朝の挨拶をして浴室に出向くと簡単にシャワーを済ませた。それからいつものように朝食の準備を始める。
「アーサー」
「何だ?」
幾分手慣れた感じのアーサーがサラダを作っているのを見ながら口を開く。アーサーは手をとめてこちらを見上げた。
「その、良かったら…少々教えて欲しいことがあるのだが」
「教えて欲しいこと?」
「ああ、親父の会社に就職するにあたって、今から出来ることがあれば何でもいい、その手の本で良さそうなモノは無いだろうか。出来れば初心者にも分かりやすい本を教えて貰えると有難いのだが…」
告げると、アーサーが微笑した。「いいぜ?」と口角を上げる姿は勝気そうであるが、視線には優しさも含まれている。兄や部活の先輩がルートヴィッヒに向ける眼差しに似ているかもしれない。
なんだか今までよりも少し気安い仲になれた気がして、ルートヴィッヒも応えるように微かに表情を緩めると、それを見たアーサーはちょっと驚いたように瞬いて、それからフイっと視線を逸らして口を開いた。
「あ、あって悪いもんじゃねえからな!時間は無限じゃねえし、出来る所からでいいから初めておくってのはいい事だと思うぜ!…けど、本類は全部実家に置いてきててな、中にはお前に向いているヤツもあったと思うんだが、悪いけど取りには戻れねえし、新しく本屋で身繕ったもんで構わねーか?」
「ああ。すまないな…」
「…べ、別に!ちょうど今日本屋に行こうと思ってたところだから、ついでだ…」
若干早口の説明を受けて頷くと、そっぽを向いたままのアーサーの顔が僅かに赤く染まった。会長をやっている時の少しぞんざいにポーカーフェイスで言われれば、頼みごとはアーサーの負担にしかなっていないのだろうと思う所だが、プライベートのアーサーの態度は鈍感なルートヴィッヒでも「おや?」と思うくらいに分かりやすいから、ルートヴィッヒは時々フェリシアーノにやるようにアーサーの頭を撫でてやりたくなる時がある。
そんな微笑ましい気持ちを胸の中に抱いて「一人で行くのか?」とルートヴィッヒが問うと、
「一人で悪かったな!バカぁ!」
と涙目で怒鳴られてしまって、ドキリとしてしまった。
だから、一緒について行ってもいいだろうかと思って聞いただけなのに、この態度は何だろう。アーサーは更に顔を赤くして何故か怒ってしまった。
アーサーは兄やフェリシアーノと同じくらい分かりやすいと思ったばかりだったが、やはりまだまだのようである。
「悪いなどとは言っていない…。何故怒る」
仕方なしに動機を眉尻を下げつつ聞くと、アーサーは目に見えて狼狽して「だって…」と言い淀んだ。
「俺が一人なのをバカにしただろ…」
「いや、俺はついて行っていいものか確認しただけなのだが…」
困惑しながら告げると、アーサーはびっくりしたように目を見開いた。
「…え?…あ、そう…だったのか?」
何故疑問形なのだろう。普通ツレの確認など、話題の一環か、付き添いの申し出くらいだろう。
「ええと…その…悪い」
「別に構わないが…」
「…よくフランシスにからかわれてっから、ついそうなのかと思っっちまった」
ごめんな、と謝られて苦笑する。とりあえず、フランシスに言われた事が全てだと思い込んでしまうぐらいに他人との関わりあいが薄いのは想像出来た。
(しかし、フランシスも酷な事を言うな)
二人が幼馴染でライバルのような関係なのを知っているし、それが二人のスキンシップの取り方なのだろうとはも想像がつくが、目の前のアーサーを見るとアーサーの肩を持ってやりたくなってしまった。
「何かあったら誘ってくれ。偶には一緒に出かけるのもいいではないか」
「…ん」
アーサーが視線を逸らしながら小さく頷く。羞恥心を誤魔化すようにサラダを作る作業に没頭しているのをルートヴィッヒは微笑ましく眺めた。
一緒に出かけるだけの事でこんな風に喜ばれるのは、こちらも照れくさい。
しかし、それを可愛いとも思ってしまう。普段学園にいる時の姿からは想像が出来ないが、実に愛らしい姿である。
「今後何か言われたら、言い返してやる事が出来るな。今は兄貴だっているだろう?」
「う…うん?ギルベルト?」
「付き合っているのだろう?」
ザク。
「痛っ…!」
何か余計なものも切ってしまったらしい。ここ数日怪我は無かったから慌てる。
「だ、大丈夫か?」
「そりゃ大丈夫…だけど、それより今なんつった?」
「早く流水で消毒しろ。俺は絆創膏を持って来てやるから」
アーサーが突っ込んで来たが、今は手当ての方が先である。
ルートヴィッヒは救急箱を取り上げるとアーサーの元に戻る。傷を検分すると結構ざっくりやったようなので、消毒をしておこうとソファに誘った。
「ほら、座れ」
「え?」
「?」
指の付け根を抑えたまま不思議そうに言われてルートヴィッヒも首を傾げる。何か変な事でも言っただろうか。
「あ!…そ、そうだよな…」
自分の発言を反芻している間にアーサーが顔を赤くしてすとんとソファに座った。ルートヴィッヒはその足元に膝をついて手当てをしようとした所で、アーサーが赤くなった原因に気付いた。
(あ、あれが普通のはずがないだろう!)
思わずルートヴィッヒも赤くなる。膝の間に座らせるのが一般的な治療法の一環だと思われては困る。アーサーに友人が少ないのは分かったし、意外に一般常識がないのも知ってはいるが、普段の会話でそれを見せつけられると時々いたたまれなくなる。
「…兄さんのあれは、恋人仕様の特別なものだと思うぞ…」
口ごもりながら告げると、アーサーはソファの上で器用に跳ね上がった。
「ち、違うからな!!」
「いや、あれが一般的なものと思われても…」
「そうじゃなくて!なんでギルベルトと付き合ってるって事になってるんだよ!」
「え?」
脱脂綿を傷口に当ててぽかんと見上げると、消毒液が染みたのかアーサーがきゅっと眉間に皺を寄せた。それから「ありえねえだろ」と赤くした頬を維持したまま視線を逸らした。
「…え、いや…。その…隠さなくてもいいんだぞ?」
「隠して無ぇよ!つか、あいつが好きなのはエリザベータだろ?どうしてそうなったんだよ」
「………」
確かに兄がエリザベータを好きでいたことには気づかなかったが、それは先入観が先にたっての事だ。それがなければ恋愛方面に疎いルートヴィッヒだって流石に気付いただろう。そして、分かりやすさがパワーアップした兄の行動の対象先はアーサーで間違いない筈だ。
それよりも、エリザベータの事に気付いたアーサーが何故自分の事に気付かないのだろうか…。疑問である。
「…『どうして』、と言われてもだな…。あれだけベタベタしていれば…そう思うではないか…」
「あれは、あいつがちょっと変なだけだろ?よくアントーニョともじゃれあってんじゃねえか」
「…具体的にどのように?」
「え?具体的にって言われたら困るけど…ヘッドロックとか?」
「…全く質が違うような気がするのだが…」
「そ、そうか?…でも、やっぱり違うと思うぞ。いや、そりゃ、俺もちょっと変かなーと思う事があったから確かめてみたけど、やっぱ違ってたし」
「確かめてみた?」
聞くとアーサーの顔がみるみる赤くなって視線がうろうろと彷徨った。一体何をやったのか凄く気になる所である。
「あー、えーと…、…、…な、何で俺がそこまで話さなきゃならねーんだよ!」
「誰が見ても兄さんはお前の事を好きだと気付くと思うのにお前が否定するからだ」
「だから違うって言ってんだろバカぁ!もういい。別にお前がどう思ってたって違うもんは違うんだからな!」
「…話せないようなことを聞いたのか?」
「………………」
唇を真一文字に結んでそっぽを向いたアーサーは頑としてこれ以上喋る気は無さそうだ。
ルートヴィッヒは仕方なく諦める。当人抜きで言いあったって仕方が無い。というか、アーサーがこう言うというからには付き合っていないのだろうし、何もルートヴィッヒが兄の気持ちを暴露する事はない。暴露というか見え見えだと思うのだが、本人が違うというのだからどうしようもない。
(まあ、自分で言うだろう…)
告白しないと付き合えないのだから、いつか告白するだろう。自分が余計なことをする事はない。
ルートヴィッヒはテープを巻き終わって「終わったぞ」と声を掛けた。
それには「サンキュー」と言って立ち上がった。拗ねてしまったかと思ったが、普通の会話はするらしい。
「そういえば。」
「うん?」
「本屋の事だけどな。俺は揃えのいいトコに行きたいから結構遠出になるけど、どうするよ?お前の本だったら初心者だし、まあまあの所で手に入ると思うから近くの街に寄ってもいいけど」
「そうなのか…。因みにどこに行く予定だったんだ?」
「都心だな」
「電車で一時間半…という所か。今後の参考にもしたいし、付き合うぞ」
「そっか…んじゃ、決まりな。折角だしちょっと早めに出たいんだが、いいか?」
「別に構わん。昼食も向こうで取った方が時間を有効に使えるのではないか?」
「そうだな。じゃあ…何時がいい?」
「9時か10時が妥当だと思うが」
「んじゃ間とって9時半な。ちょうど電車もあっただろ」
「兄さんには…」
「ギルベルトには書き置きしとけばいいんじゃねえ?」
「そうだな。では、朝食にするか」
いつも日曜は遅い兄を置いて食事をとると、ルートヴィッヒ達はそれまでゆっくりと時間を過ごす事にした。


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