■【Lovers】■ 15

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 伊

「うう…ん…」
目が覚めると見慣れた、という程では無いが、見知った天井が視界に入った。
「あー、ドイツん家だー。」
薄ぼんやりとした暗闇の中でそう判別して身を起こす。目を擦ってから周囲を見渡せば、隣のベッドに兄の姿があった。いつこの部屋に移動してベッドに入ったのだろうと考えて頭を捻る。目新しい記憶は打ち上げ会場である。
「あ」
考える事、数秒。
ドイツに追いかけられて兄ごと床にダイブしたのだったと思いだせば、額がそこはかとなく痛みを訴えた。
「ウヴェ!」
そっとおでこに手をやれば、触れた瞬間結構な衝撃が頭が響いて奇声をあげる。どうやらたんこぶが出来ているらしい。
「痛いよ〜」
イタリアはぐすん、と鼻を鳴らして状態を確認しようとベッドから抜けだした。兄が寝ているので、電気をつけるのは可哀想だと思い、洗面所に向かう。
移動先で電気をつけて鏡を覗きこむと、それなりの大きさのたんこぶが鏡面に映し出されて、イタリアは涙目になりながらタオルを拝借するとたんこぶを冷やしにかかった。見てしまえば余計に痛い気がしてしまう。
(う〜〜〜これすぐ治るかな〜〜〜〜)
国の体の治癒は一般人よりも早い。…とはいっても、どの傷も早く治るわけではなかった。滅多な事では死んだりしないし、傷の程度によっては一般人よりも顕著に治りの早い場合もあるが、たとえば、指先の切り傷なんかの再生能力は普通の人間と同じだったりした。国の体だからといって万能なわけではない。
(治れ治れ〜〜〜)
とりあえず、祈りを込めてたんこぶを冷やしていたら、短時間で随分とマシになってひゃっほう♪とイタリアは口角をあげた。これだったら朝には完治しそうである。
痛いのは嫌いなので、ほっと胸を撫で下ろして部屋に戻ると、兄のベッドが空になっていた。
(あれ?)
「ヴェネチアーノ」
密やかに呼ばれて声のする方に目をやると、兄は月光が薄く照らす窓際の壁に背中を預ける形で佇んでいた。薄暗い影に身を隠すように立ったまま『喋るなよ』と言うように指を口の前に立てて見せる。
「…兄ちゃんどうしたの?」
近付いて小声で訊ねると、窓の外を指さされた。
イタリアは首を傾げて窓の外を見る。外には誰もいない。しかし、壁際に来たせいか密やかな声が聞こえた。
「…イギリス?」
「…と、ジャガイモ野郎らしい」
耳を澄ませると『国はあっけなくて…』とのイギリスの言葉が明瞭に届いて、イタリアはぱちりと瞬きをする。
『永いぞ』
「失ったその先、か。お前にはよく分かる話だろうな…」
訪れた沈黙の間に、兄が神妙な顔つきでそう呟いた。イタリアには一体何の話か分からない。けれども兄のいつになく真面目な声に「…そうだね」と返した。
どうしてそんな話になったのかは分からない。けれども言葉の意味がまるきり分からないというわけでもなくて、イタリアも口を噤んだ。
イギリスとドイツは一体何の話をしているのだろう。
最初は立ち聞きなんてと思ったイタリアだったが、それを兄に促す前にイギリスの朗々とした声が耳に届いた。会話の内容に合点がいって、思わず聞き入ってしまう。
(『優しくされただけで傾く』って…プロイセンのこと…だよね?)
ならば、『失ったその先』とはプロイセンの消失を指しているのだろう。イタリアはきゅっと唇を引き結ぶと、しくんと痛んだ胸に手をやった。もう平気になったと思ったのに、まだ痛い。
イタリアも永い時間を過ごして来た。沢山の国や地方が消え、また生まれるような時代を、幾年も。
その中で失ったものは二度と帰っては来ず、過ぎた年月は二度とは戻らなかった。
爺ちゃんは戻ってはこなかった。
それから、あの子も。
怯える気持ちはよく分かる。どんなに虚勢を張っても、痛いのは純粋に痛い。怖いのだって同じだ。
(…なんか、分かる気がするなぁ…)
しんみりしながら続きに耳を傾ける。イタリアはイギリスと個人的に付き合ったことがない。盗み聞きなんていけない事だと分かっていたけど、その心を覗いてみたい誘惑に駆られてその場に佇んだ。二人の会話はしめやかに続いていく。
『なあ、お前は屋根も壁も身を守るものなど何もない大地で、木の根にうずくまるようにして眠った事はあるか?』
『俺はあるぜ。森の中で暮らして、友達は野生動物と妖精達だけで、実の兄には矢で射られるし、ひもじいしで散々だった日々が』
ほろほろと語りかけられる内容にイタリアはちょっとだけ顔を俯かせた。
イギリスはドイツが若い国だからという前提で言っていたようだが、イギリスが経験したような幼少期は少なくとも欧州の中では珍しいと言えるだろう。イタリアには前身であるローマ爺ちゃんがいた。フランスにしてもスペインにしても何も無い大地でひとりぼっちなんてそんな経験は多分無いだろう。
化身が先に産まれるのか、土台になる枠組みが存在するから化身が生まれるのか、そういう理屈をイタリアは、知らない。自分が産まれた時の自覚はまったくない。国や地域の化身であるという自覚が芽生えた時には既に爺ちゃんの腕の中にいた。
イタリアには意地悪をする兄ちゃん達もいたけど、流石にそんな寂しい体験をした幼少期はなかった。
(だからイギリスはひとりぼっちで荒野にいたっていうアメリカの事が凄く大事なのかな…)
王侯に保護されるでもなく、一人広大な大地の上で暮らしていた子供に自分を映さずにはいられなかったのかもしれない。
そんな事をつらつら思いながら聞いていると、衝撃的な言葉がイタリアの耳に飛びこんで来て、口をぽかんとあけた。
「「は?」」
思わず声が漏れる。それが兄と重なって、顔を見合わせた。
お互い他国の占領下に長い間いた事実がある。フランスにちょっかいかけられた事も、また。
(フランス兄ちゃんってば…)
あちこちに手を出しているのは知っていたけれど、それでもまさか無理やりするなんて事はないとイタリアは思っていた。問題が無いとは言わないが、あれでもそれなりにいい兄ちゃんだ。絵を返してと要求しに行った時も結局未遂だった。
(でも…それって…普通のこと…なのか、な?)
オーストリアの元にいた頃に彼もそういう事があったのだと大きくなって知った。
そういう事がある時はいつも人目のつかない所に追いやられたのはイタリアの記憶の中に残っている。踏んずけられたりもしたけれど、オーストリアの元にいた時、イタリアはそんな目にあったことはなかった。だから、それは特異な事に思えるのだけど…。
『例えばスペインだって少しの間だったが、上司が結婚してた間、俺なんかを押し倒したし』
(ええー、スペイン兄ちゃんもなの?!)
次々と衝撃的な事実を聞いてしまって、次第にしんみりするどころじゃなくなる。
(っていうことは…にににに兄ちゃんも?!)
慌てて兄を見上げると「俺はされてねーよ」と憮然とした様子で答えられた。
とりあえず、ほっと胸を撫で下ろす。
今と過去の物差しはけして同じではない。
それが当たり前で仕方が無い過去があったとしても、その理屈を納得してはいても、今、『でも』と思ってしまう気持ちはどうにもならないものなのだろう。
イタリアはくるんを萎らせながら、きゅっと唇をかんだ。
でも、やっぱり、望まない事をされるのは辛い。
(楽しいだけなら、いいのに…)
そう思っても、現実は優しくはない。

結局イギリスが泣いてしまって二人が沈黙するまで聞いてしまって、イタリアは緩く溜息をついた。
肩の力を抜いてどちらともなく、窓から離れる。ぼすん、と二人でベッドの端に腰かけて、膝に肘をつける体勢で難しい顔をする兄を尻目にイタリアはベッドの上に転がった。
「…何か色々聞いちゃったけどさ…。…イギリス、ちゃんとプロイセンの事好きだったんだね」
「…『ちゃんと』って何だよ。会議の時の話か?」
「うん。恋人じゃないって話になってたからさ、打ち上げの時に『プロイセンとフランス兄ちゃんのどっちが好きなの?』って聞いてみたんだよね」
「ああ…。それが『打ち上げ会場での答え』、な」
「そう。あの時は結局聞けず仕舞いだったんだけど…。…う〜ん」
難しいねぇ、と呟けば、兄がチラリと視線を寄越して言う。
「…つーか、好意を持たれたら好きになるなんて当たり前の事じゃねーのか?」
至極もっともである。
イギリスに恋愛相談受けるよ!と言った事も手伝って、勢いよくがばっと起きあがった。イギリスの心に何があるにせよ、好きあっている同士でくっつく事が出来れば幸せだとイタリアは思うのだ。折角気持が通じ合っているのに、悲しいのはいけない。
「だよねぇ!余程嫌いな奴じゃない限り、好意は嬉しいし、好きになっちゃうよ!そりゃさ、自己憐憫とかそういうのだってあると思うよ?でもさ、それっていけない事なのかな?それで二人が幸せになれるなら、一時でも幸せなら、構わないんじゃないのかな?どう思う?兄ちゃん」
好意が恋愛にまで発展するかしないかは兎も角として、好きだと言ってくれる相手を好きになるのなんて当たり前の事だとイタリアも思う。
兄は息せきこんだ様子のイタリアに驚いた顔を見せたが、一つ溜息をついてから律儀に答えてくれた。
「別に、構わないんじゃねーのか。当人が納得してりゃ他人の幸せなんて外野がとやかく言う問題じゃねーだろ…」
「だよねだよね!」
同意を得て、イタリアは力強く頷いた。そこに兄が以外な事を唇を尖らせて言った。
「つーか、ぶっちゃけ、自己憐憫がどうのってフランスの嫉妬じゃねーのかよ」
「え」
「…今日だってアイツが混ぜっかえしたんだろ。あれがなけりゃもうちょっと違う展開になってたんじゃねーの?まぁ、イギリスがああ思ってる以上根本的な解決にはならねーとは思うがな」
「え、ええ…?…あ、でも…そっか…」
「よく考えたらイギリスが会議場で騒いでる時の原因ってアメリカとフランスなんだよな…」
「あー」
言われて考えてみたら、確かにそうだった。イタリアも『日本の前では優しげ』などと思ってはいたが、それだけでは足りなかったようだ。現に今日打ち上げ会場でそんなに怖い奴じゃないのかも、と思ったばかりだった。イタリアは日本ではない。それは日本ばかりが特別なのではないという事だ。
「じゃー、アメリカは兎も角、フランス兄ちゃんがイギリスにちょっかい出すのって…」
「断定はできねーけど、わざとの可能性ありそうだよな。怒鳴らせたり殴り合いしてるの見りゃあさ、わざわざトラブルに巻き込まれたいって思う奴なんていねーだろ?そうやって孤立させたり、自己憐憫だなんだのって言ってイギリス自身の好意にフィルターかけたりして邪魔してたって考えた方が、今日のフランスの態度見てる限りじゃ、妥当って感じがするよな」
「それでイギリスが好意を怖がるようになっちゃったのかな…?」
「みたいだな。お前が来る前、本人もそう言ってたし…。好意じゃなくて、恋って事だったけど」
「そーなんだ…」
そこまで遣り取りをして、イタリアは一息吐くと、今日のイギリスを反芻した。それからポツリと呟く。
「…イギリス可愛いよねぇ…」
「は?可哀想じゃなくて?」
なんで今の流れでそうなったんだよ、というような視線を向けられて、イタリアは苦笑しながら「それもそうだけど、」と前置いた。
「うん、イギリス、可愛いよ。フランスとかアメリカの前以外でもやっぱり沸点は低いような気はするし、料理はとんでもなく不味いけど、でも今日一日イギリス見てたらさぁ…、なんか色々優しいし可愛いなって…」
「『優しいし可愛い』ってお前…あのイギリスに向かって…」
「あれ?兄ちゃんはそう思わなかった?俺はさっきの話聞いて余計にそう思ったんだけど…。ほら、『嫌われ者だから』ってさ、なんか気にしてたみたいじゃない?それってちょっと可愛いよね。だって『あのイギリス』だよ?唯我独尊!って感じだと思うじゃない」
「…………」
押し黙って渋い顔をする兄にイタリアは気の抜けた笑顔を向けた。
「イギリスって口も態度も悪いから誤解されがちなだけなんじゃないかな。そりゃ俺達だって沢山怒鳴られたりしたけどさ。でも、好意を向けたら好意を返してくれるし、悪意を向ければ悪意で返してくる、鏡みたいにまっすぐな人ってだけなのかもしれないよ。しかも、どんな態度を向けてたって本当は嫌ってなんかいないみたいだし。だって俺、今まであんなにイギリス怖いって本人の前で泣いて逃げたのに、今日『もっと早く友達になれたのに』って言ったらさ、『相談に乗るよ』って言ったらさ…、凄く綺麗に笑ってくれたんだよ…。優しくない?」
「…………それは」
兄には兄の価値観があるとは思う。けれども解り合えそうなのにその努力をしないのはとても勿体ない事のように思えてイタリアはあともう一押しと言葉をつづけた。
「俺達捕まった時もさ、手料理は酷かったけど、イギリス個人は言うほど酷くなかったじゃない?兄ちゃん今までそう思う事、一つもなかった?」
「……いや、でもな。…いや…、でも、………そりゃ、………………。」
「ほら、兄ちゃんだって思い当たる節があるんでしょ?」
何か思いついたらしく、兄が沈黙して顔を逸らしたので覗き込む。僅かに顔が赤い。これは何か事件の香り!だと思ってずずいっと兄に迫った。
「あっ、にーちゃーん。イギリスと何かあったでしょ!」
「べっ、別に何もねーよ!」
きょどっている不審な態度を見て、イタリアはここぞとばかりに追求の手を強めた。だが追求の動機に関して、半分はただの興味本位になっていたがそこを気にするイタリアではない。
「その慌てようが怪しいよ!さては疚しい事なんじゃ…」
「俺は悪くねーぞ!」
「やっぱり何かあったんじゃん!ねぇねぇ何があったのか教えてよー!何で赤くなってんのー!」
「知るか畜生!別に何もねーよ!」
「ああ〜〜〜嘘だぁ〜〜〜!だって今のタイミングで赤くなるなんて変だよー!何?もしかして今日だったりする?!」
「!」
ギクリとした兄の反応を見て、イタリアは畳かけた。
「図星だね!兄ちゃん!ということはエッチな事?もしかしてちょっとおっぱい柔らかかったみたいな事なの?!」
「なっ、なっ…!お前…!!」
「イギリスあれノーブラだよね!…って、あれ?」
ぶるぶると震える兄を前に、段々脱線した持論を展開していると、コンコンとノックの音が聞こえて首を傾げた。振り返ると鬼の形相をしたドイツが立っていて、イタリアはひっと喉を鳴らす。隣で同じく身を竦めた兄が叫んだ。
「お前が騒ぐからだろうが!」
「兄ちゃんだって充分うるさかったよー!」
叫びあうと、ドイツのオーラが一層大変な事になって兄とくっついて震えた。
「怖いよ兄ちゃん!」
「お前の友達だぞ、なんとかしろ!」
無茶言わないでー!と泣いていると、ドイツの背後にいたイギリスがドイツをつっついて何事か話しかけている。
ドイツの視線が逸れて、とりあえずほっと息をつく。すると今度は二人が何を話しているのか気になってイタリアはこそこそとした足取りで窓に近付いた。
「チャ、チャオー…二人ともどうしたの?」
そろそろと窓を開けるとドイツが厳つい顔で振り返って、本能に従って跳びのいた所に、イギリスが静かに口を挟んだ。
「お前らうるさいぞ。今何時だと思ってんだ」
「ご、ごめんなさい」
「…………………今度から注意するように」
先制されてイタリアに謝られたドイツが、押し黙った後溜め息と共に吐き出した。イタリアは「はぁい」と大人しく頷いてほっと胸を撫で下ろす。怒ったドイツは怖いのだ。出来るだけ怒鳴られたくはない。
「…そろそろ寝た方がいいと思うのだが…」
謝ったことで夜中の騒ぎを不問に処したらしいドイツが、そう言ってチラリとイギリスに視線をやる。イギリスは少し顔を赤くして「そうだな」と頷いた。その二人の姿をちょっとだけ眺めてから、イタリアはイギリスが部屋に戻ってしまう前に手を挙げて提案した。
「イギリスイギリスー!一緒に寝ようよー!」
「「「はっ?!」」」
見事に三人の声が重なったが、イタリアは気にせずにイギリスに迫ってみた。
「俺、イギリスと一緒に寝た事無いんだよねー!イギリス一緒に寝よ!」
「…いや、まぁ構わねーけど…」
「「はぁ?!」」
「ああ、でもロマーノが…」
「あっ!俺そっちに行くよ〜!」
「そうか?なら…」
「却下だ馬鹿者ー!」
「却下だコノヤロー!」
じゃあ、とイギリスについて行く気満々のイタリアに向けて怒声が発せられる。ステレオで響いてイタリアは耳を塞いだ。視線の先のイギリスはただ眉間に皺をいれている。
「…兄ちゃん達声大きいよ〜!」
苦情を言うと二人の顔が同時にこっちを向いて、イタリアは身を引いた。それから交互に怒鳴られる。
「イタリア!!お前は一体何考えているんだ!」
「そうだぞコノヤロー!お前まさかイギリス様に…!!」
ぎゃーぎゃー騒いでいると、今度は廊下の扉がノックの音が聞こえる。だいぶ賑やかな夜になってしまったようだ。
「お前らなぁーに騒いでんのよ。今何時だと思ってんの?」
「何かあったんか、イタちゃんロマーノ」
説教しようとしていた二人の口がピタリと閉ざされるのを見て、イタリアは小さく笑った。どうやら二人とも、イギリスの事を気にかけているらしい。なんだか嬉しくなりながら「何にも無いよ!ごめんねお休みー!」とイタリアが代表で告げると扉の向こうから「ええー」と不満げな声が聞こえた。それは当然無視をする。
「兎に角、早く寝ようよ!もうこうなったら4人で寝ればいいじゃん!そしたら誰も寂しくないよ!だからドイツ、ベッドくっつけてー!」
イタリアがそう言って笑うと、仕方が無いと二人が頷いてベッドをくっつける作業に移ったので、イタリアは困惑しているイギリスの腰に手をやって室内へとエスコートすると、にこっと笑った。
「これでぐっすり眠れるね!」


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