■【Lovers】■ 14

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 独

(兄さんがあんな事を言うとは思わなかった…)
いつも無駄に自信満々の人で、此方に弱味を見せた事など一度も無かった。
国としてあの人の弟として生まれたからには、あの人の持っているものを半分くらいは持てるようになりたいと、子供の頃にそう願った。
そして一生懸命頑張った結果、現在ドイツはほぼ全権を委譲されている。
兄はそれを当然のような顔をして「流石は俺様の弟!」と笑ってあの人の仕事を奪ってしまった事にすら何も言わない。
ドイツだって、何もせずに今の立場にいるわけではない。今の自分に誇りを持っている。けれども、本来あの人が持つものだったものを奪ってしまったという陰りは少なからずドイツの中に存在した。
(何度言っても政務に関わろうとしないしな…)
国は、望む望まないに関わらず、次第に国政の中枢に近付くものである。だからドイツは小さな頃から、国の中枢で重きを担う兄の教えを直々に受けていたし、立場が逆転する形になってからは、兄がドイツを補佐する形で国政に関わっていた。
けれども、大戦が終わり、時間が経ち、再び一緒に暮らすようになってから、目に見えて兄は仕事をさぼるようになった。わざとドイツに委譲するようになったのだ。今では『俺様自宅警備員だからな!』などと言ってドイツがいくら諭しても、仕事に手をつけようとはしない。
『大変だったんだからちょっとくらい休ませろよ』
なんていう言葉が、そのままの意味ではないとドイツは知っている。
俺様で、ワガママで、空気を読めないように振る舞っているけれど、ずっとその背を見続けて来たから、分かるのだ。
西と東の格差。そこに産まれる亀裂。兄は兄自身が『東』の象徴として融合されない意識の離別を助長してしまうのを避けていた風に見えた。不満の果ての内乱。もしそんな事が起これば、否応なしに担ぎだされる羽目になる。それを拒否しているかのように兄はドイツに全てを託した。『東は西に反目しない』という無言のメッセージ。国民の意思の全てが国の象徴に影響するわけではない。同時に、国の意思や感情が国民に影響するとも言えない。それでも、某かの影響が無いとは限らない。
兄がはっきりと口にした事なんて無いけれど、ドイツは少しでも弟の負担を減らしてやろうと思っているからこその行動だと、そう思っていた。
そういう強い人なのだ。まあ、アレな所もあるけれど、芯の強い兄の事をドイツは今でも尊敬している。
(…そんな兄貴がこんな態度を見せるとは…)
今まで一度も見せたことのない弱った態度を見せられて、ドイツはしばし瞑目した。国では無く、個人の事だから見せただけかもしれないが、それでも兄がドイツの前で弱みを見せるという事は、前代未聞の事だった。ドイツが驚くに充分な出来事だ。
(…どうにかしてやりたいが…)
贔屓はしないつもりだったが、あんな姿を見せられれば、出来るならどうにかしてやりたいと思ってしまう。
だからと言って、恋愛初心者なドイツが何かをしてやれるとは思えない。
兄の一方的な片思いだというなら、なるべく二人きりにしてやるだとか、協力する方法が無いではない。…が、しかし。今回の問題は、そんなレベルの話ではない。
(『好きになるのが怖い』…か。どこかにマニュアルでもあればいいのだが…)
両想いであるのにそれが受け入れられない、というのは難題である。
ドイツに出来るのは、その理由がどこに起因しているのか探ることぐらいだろうか。心理学や精神学、行動科学などの文献を紐解いてみるのもいいかもしれない。
目を閉じて、コツコツとこめかみを指先で叩く。
(しかし、そんな事をイギリスが言うとはな…)
真面目だが尊大で、何事にも屈してたまるかというような、反骨精神を多分に備えた人物だと思っていた。洗練されているのにどこか粗野な感じがするのは、口も悪いし手も早いからだろうと推察している。
そんなイギリスだから、どんなにピンチであっても皮肉に口端を歪めて、絶対に降参したりしない。死んでも『怖い』などと弱音を吐くような人物には見えなかった。
ドイツにとってのイギリスのイメージとは、そんな感じである。
しかし、その認識は今日一日でがらりと変わってしまったようである。
問題を解決するためには対象の人物をよく掘り下げないといけないだろうと、ドイツはこめかみを叩く指を止めて、思考を巡らせた。
(今日知った新しいイギリスを分析するとおおまかにみっつに分ける事が出来るだろう)
まず、ひとつめ。今まで見せなかった弱ったイギリス、というものだ。
会議が終わってからずっと途方に暮れたような弱った顔をしていた。ドイツはあまりイギリスとは親しくないので兄が世話になった事を告げる以外に声をかけようとは思わなかったが、それでも放っておいてはいけないような気にさせる迷子の子供のような顔を、イギリスはしていた。
そして、ふたつめ。おそらく親しい関係性の相手にしか見せない、緊張を解いたイギリス、というもの。
イタリアを回収しに行った時に見せた、真っ赤な顔。アメリカやフランス、そして日本といる時とは違った表情を見せた。ちょっと困ったような顔も、礼を言われた時の穏やかな微笑も、このカテゴリーに入るだろう。
最後にみっつめ。恋人だけが見ることの出来る、イギリスだ。
イタリアの兄であるロマーノを引っぺがす為の行為で見せたイギリスの顔。兄の腕が回った瞬間、どこか泣きそうな、切なそうな表情で、でも頬を紅潮させていた。
それから、中々戻って来ないと思われる二人がいる為に、扉の鍵を閉めていいのかわからず、玄関を開けて外を覗いた時に見てしまった甘い表情。
それが、ドイツが知ったイギリスの新たな一面である。
総合的に考えて、イギリスという人物は、外側の虚勢を剥いでしまえば、人一倍感受性豊かな傷つきやすい面を持っている、という事になるだろう。
以上の事を踏まえて、解決策を模索しなければならないだろうなとドイツは一人小さく頷いた。
(…だが、どうしたものか…)
そこまで考えるとドイツもリビングにいる気分ではなくなり、部屋に下がる事にした。カップを持って立ち上がった所で、部屋に下がっても落ち着く事は出来ないだろうと気付いて溜め息を吐く。
コーヒーのお陰か、冴えてしまった目は暫く閉じてくれそうも無い。
ドイツは少なくなったカップの残りを飲み干し、簡単に片付けると、バスルームに向かってシャワーで一日の疲れを落としてから、再びキッチンのサイフォンへと向かった。熱いコーヒーを抽出すると、焙煎されたコーヒー豆の良い匂いがキッチンに広がって肩の力が抜ける。ドイツはそれを魔法瓶に淹れて自室へと戻った。
どうしようも無い気持ちを和らげるために、少し外の空気にあたるつもりであった。
厚めのカーディガンを羽織りバルコニーに下りる。
肌寒い風が頬を撫でて、ドイツはここに来て正解だったと息を吐く。清浄な空気がドイツの頭の中までクリアにしてくれそうな気がした。
欄干に体を預け、自分と兄とを構成する国土を眺めながら心を落ち着かせる。暫くしてから持って来た魔法瓶に入れられたコーヒーを専属のマグに注いだ。
冷たい空気に薫り高い匂いがくゆる。ドイツはそれを楽しんでから、熱々のコーヒーを啜った。
「…くしゅ!」
「…ん?」
突然第三者のくしゃみが聞こえて辺りを見渡す。特に誰もおらず、改めてバルコニーを注視すると少し離れた調度品の影から何かがはみ出している事に気付いた。
「誰だ?」
隣の部屋に寝かせたイタリアだろうか、と思いながら足を踏み出す。
「イギリス」
数歩進んだ所で不審な物影が、毛布にくるまった蓑虫である事に気付いた。そしてその中身がイギリスだという事にも。
「…よぉ」
と、毛布から顔だけ出しているイギリスが、バツが悪そうに呟くので「…ああ」とよく分からない返事をしてドイツは立ち竦んだ。こんな展開は予想外だ。
「「………」」
お互い無言のままだったが、先程イギリスがくしゃみをしたのを思い出して、聞いた。
「その…寒くは無いのか?部屋には…」
「大丈夫だ。部屋にはまだ戻りたくねぇ。…お前こそ」
「俺、か?そうだな…俺ももう暫くは…」
答え終わるとまた沈黙が落ちた。
イギリスは毛布にくるまり俯いたまま微動だにしない。
ドイツは頭から被った毛布からはみ出した前髪を眺めて、やがて口を開いた。
「口をつけてしまったのだが、その…コーヒーはどうだ?」
「…いらねえ」
「…そうか」
すぐに接ぎ穂を見失ってしまったドイツは、またその場に立ち尽くした。
こんな所でこんな風に丸まっているイギリスを放置して立ち去る事はドイツには出来そうもない。しかし、だからと言って突っ立っているだけでは芸がない。
しばし逡巡した末に、ドイツはこの時間を有効に使ってみる事にした。滅多にイギリスと二人きりになることなど無いのだから、時間は有意義に使うべきだ。それが多少無神経だと思われる質問だとしても、二人の間の問題を解決する一助になるなら聞かねばならないだろうと重い口を開く。
「…恋をするのが怖いというのは本当だろうか」
問うとピクリと揺れた気配があった。徐に顔が上がる。
「…マナー違反だろ」
「すまない…」
わりかし強い色の視線に非難されて、ドイツは軽く視線を落とした。義務感が勝っただけで、無神経な質問だという自覚はある。
そんなドイツにイギリスは溜め息をついてから、しかしきっぱりと「本当だ」と言ってみせた。
「…何故かと訊ねても?」
「…何故も糞もねぇよ。ただ怖い。弱さを作りたくはねぇ」
「『弱さ』…とは?」
首を傾げるとイギリスは唇を尖らせる。
「全てにおいてだよ」
「…………」
「…失っって絶望するとか、もう二度とやりたくねぇ」
言った後で流石に不親切だと思ったのか付け加えられた言葉にドイツは「…それは」と言い淀んだ。
今でも体調を崩すというイギリスの噂話が脳裏を過る。
(アメリカの事だろうか…)
そう思ったのが顔に出たのか、イギリスは口端だけを器用に上げて笑った。
「アメリカの事は、一端ではあるな」
「…しかし、兄は…」
アメリカと兄とのケースは全く異なる。特に兄の場合は長い時間を生きて来た経験を踏まえた上で自らイギリスを選び近寄ったのだ。アメリカのように幼い子供が大きくなって決別を言い渡したのと一緒にするのは適当ではないだろう。
「失うって事が、気持ちが変わるだけとは限らないだろ?…例えば…、残されたり、とか」
そんな風に反論しようとした所でさっさとイギリスに遮られてしまった。しかもそれは的を射ていて、痛い所を突かれたドイツは押し黙った。イギリスの言っているのが国の消失だという事が理解できた。ほんのごく偶に見せるイタリアの顔が思い出される。
「お前みたいな若造には分かんねーかも知れないが、…国はあっけなくて…永いぞ」
「…………」
言葉を失ったドイツにイギリスは穏やかに笑ってみせた。濃い疲労と諦めの滲んだ顔に胸がしくりと痛む。
「それにな、俺は自分のこの気持ちだって信用してねぇんだよ。ご覧の通り嫌われ者の俺はちょっと優しくされただけで傾いちまう」
「イギリス?」
「昔、フランスに俺のこれは自己憐憫だと言われた事がある」
イギリスは毛布を被ったまま立ち上がると、立ち尽くしたドイツの横をすり抜けて、欄干に手をついた。その向こうに視線を投げて、言う。
「…自分がして欲しかった事だけを与えて、アメリカの事なんざちっとも見てなんて無いってな。俺は勿論反論したし、アメリカの事は俺が一番分かっていると信じて疑わなかった。でも、結果はあのザマで、アメリカはフランスの手を借りて独立したんだよな。…で、最近になって理解したんだ。確かに俺は自分が与えて欲しかったものを与えて満足していたに過ぎなかったんだってな」
話の内容に反して軽やかな調子でイギリスはそう口にした。それがドイツにはより深い傷を背負っているようにしか思えず、胸が重くなる。
「なあ、お前は屋根も壁も身を守るものなど何もない大地で、木の根にうずくまるようにして眠った事はあるか?」
そう問われて「いや」と首を振る。イギリスは「そうか」と相変わらず軽やかな、美しい詩でも朗読するような口調で続けた。
「俺はあるぜ。森の中で暮らして、友達は野生動物と妖精達だけで、実の兄には矢で射られるし、ひもじいしで散々だった日々が、俺にはな。だから、やっと落ち着いて来た頃にフランスに会って、召使いだって連れていかれるまで、奴が来るのはそんなに嫌いじゃなかったんだ。…寂しかったから」
そう言って振りかえり笑うイギリスに、自分が聞いたこととはいえ、何故そんなに親しくも無い自分にこんなに話してくれるのだろうかとドイツは真意を問うようにじっとその顔を見つめた。
「…本当は、その後も暫く好きだったんだけどな…」
「え…?」
衝撃的な内容を聞いてしまった。
だが、驚くドイツを前に、更に衝撃的な話をイギリスはした。
「なんだかんだ言って、同じ国の中で構ってくれるのはアイツだけだったし、犯された時も、それはそれで仕方ねぇって思ったんだ。そん時俺は当時のあいつん所のお偉いさん連中に廻された後でどこかの国の下に入るって事がどんな事か学んだ後だったし…」
「イギリス!」
言われた言葉の意味を理解して、ドイツは制止の声を上げた。そんな事まで聞くつもりでは無かった。そんな事まで言わせるつもりなど無かったのに。
しかしイギリスは話を止めない。
「まぁ、聞けよ。属国になるっていうのはそういう事だ。俺自身はそれでもその行為には慣れて、寝る事には苦痛はなかったんだ。フランスはベッドの上のマナーだけは良かったから、お互い夜だけは甘く過ごす事も多くて、俺は別にそれが嫌じゃなかった。バカらしいが、初恋のようなものだったから、優しくされて、少しは期待したんだよ。…だけどその初恋と感じていたものはやっぱり俺の勘違いだったんだよな。別にフランスが好きだったんじゃない。フランスは気に食わない野郎だが、認めてないわけじゃない。そんな相手に少しばかり優しくされたから、ただその優しさを享受したくて理由を作っただけだった。それがフランスから袂を分かって長い時間をかけて学んだものだった」
「………、」
「その勘違いが寂しかった幼少期を埋める為のものだと気付いたから、アメリカには自分がつらいと感じた事全てを除いてやろうと思った。温かい飯に、温かい家を与えて、侵略の恐怖からも、本国の性的な趣向からも守ってやった。自分の歴史に誇りをもっちゃあいるが、そういうのは新しく生まれた子供にわざわざ与えるものでも無いと…、ドイツ?」
「……すまない」
毛布ごと背後から抱きしめる。興味本位で聞いたわけでは無かったが、こんな言いづらい話をさせるつもりは無かったのだ。
どうしてイギリスが話す気になったのかは知らない。もしかしたらドイツが兄の近しい存在だからかもしれないが、だからと言ってこんなに踏み込んだ話をさせる理由をドイツは持っていなかった。イギリスが打ち明ける相手が兄になら、ともかく。
「軽々しく聞いてすまなかった…」
「…構わねぇよ。今更これぐらいの事お前に知られたって何が不利になるわけでもねぇ。それに永く生きた国は大なり小なり似たような経験はあるもんだ。例えばスペインだって少しの間だったが、上司が結婚してた間、俺なんかを押し倒したし。…まあ、キッチリ復讐してやったから、その辺の事に関してはお互い様って所だけどな。だから、こんなこと、特別じゃない。それに、他国じゃなくて、他国民の時だってあるし、自国民のことだってあるんだ。…自分の貞操なんてその程度の事だ、気にすんな」
ぽんぽん、と安心させるようにイギリスの腰に回した腕が叩かれる。それに倣ってドイツは腕の力を緩めた。
「…とまぁ、そういうワケでフランスにしてもアメリカにしても、自分の寂しさを紛らわせる為だけに傾倒したってだけって話だったんだよな。だから、俺は俺の感情を信じられない」
イギリスが腕の中でくるりと器用に方向転換をしてドイツを見上げた。綺麗なエメラルドグリーンの筈の瞳は、暗い闇夜のせいで、彩度が落ちてしまっていた。
イギリスはその瞳を細めて、微笑みながら、言う。
「プロイセンはさ、ちょっとバカだけどいい奴だと思う。好きかと聞かれたら、好きだという他はない。…これは打ち上げ会場での答えだな。好きだよ、好きだ。好きになっちまったから、応えられない。遊びだったら、良かったんだ。遊びだったらさ。でも、身動きが取れないほど好きだと思っちまったから、もう無理だ。プロイセンに関わる全ての感情が怖くて堪らない。俺じゃあ、お前の兄貴は幸せにしてやれない。お前の大事な兄貴は俺には勿体な…」
途中でイギリスの言葉が途切れた。
ころりと大粒の涙が零れ落ちて、イギリスは恥じるように顔を背けた。
「…悪ぃ」
ぐすっと鼻を鳴らすイギリスにドイツは痛くないほどの力で抱き寄せた。
「…すまない。こういう時にかける言葉が思いつかない。…俺の事は…その、無機物とでも思ってくれたらいいと思うんだが…」
言葉を選び選び伝えると、イギリスが小さく笑った気配がした。先程までのどこか辛さを感じさせる笑みでは無いように思えたので、ほっとする。
「無機物はこんなにあったかくねぇよ」
「そ、そうか?最近はホットカーペットなどもあるわけだしな…」
「抱きしめたり、笑わせてもくれねぇ」
「…笑わせるつもりは無かったのだが…」
笑ってくれてほっとはしたが、と思っていると、クスクスという忍び笑いが聞こえた。
「悪い…もうちょっとこうしていても…いいか?」
「幾らでも構わんぞ」
そう告げると「本当にすまない」とイギリスが言った。


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