■【冬の陽だまり・夏の影】■ 21

【冬の陽だまり・夏の影】
―20―


 一つの空間に えると ルゥ。 それから私。
 私はまごう事なく、幸せだと思った。
 そして、やっと。
 それまでの私は孤独だったという事に気がついた。



 何時間くらいそうしていたのだろうか、薄暗い寝室に遠くから花火の上がる音が聞こえてきて、照は軽く瞼を持ち上げた。
 目の前に若干小さな頭があり、腕の中に体温がある。
 あのまま口付けを深くして、寝室に移動して、最後までは行わない行為に没頭して、優しい気だるさに二人して寝入ってしまったらしい。
 小さく、締め切った窓硝子に阻まれて、微かに鼓膜を震わせる音に刺激され照はぼんやりと瞼を持ち上げる。と共にカーテンを引いていない室内に、虹色の光彩が投影されるのを発見し認識すると、小さく「ん」と声がした。
「起きたか…?」
「…今、何時、ですか…」
「8時…49分29秒」
 正確に時刻を読み上げた照にえるはふぅ、と息を吐いて「花火が終わってしまいます」と呟き照の腕の中でくるりと身を反転させた。
 街の明かりでより暗い闇に、またひとつ・ふたつと光の華が咲いて散る。
「ああ、ここからでも見えるんですね…」
 まだ少し気だるそうな声音に、少し無理をさせてしまったか、と思う。
 音の少ない室内に愛猫のルゥの「にゃあ」という鳴き声がしたかと思うと、ぴょん、とベッドに登ってきた。どうやら二人が起きたのを気配で知ったらしい。
「ルゥ」
 この子猫以外には滅多に与えられない優しい声でルゥがえるの胸元に迎え入れて、大人しく丸まったのが分かった。
 そして再び部屋に静寂が満ちる。
 照もえるも雄弁な性質ではないから、普段一緒にいる時もずっと会話をしているというわけではなくて、ただただ、寄り添うようにして躰を預けていることが大半だ。まあ意見が反するとお互いが納得するまで冷戦状態で論理をぶつけあうから、なかなか言い合いが終わることはないが、そうでない時は今のようにただ一緒にいる時間で空気が満ちる。
 無音、に安堵するのは、身にこびりつくような照の習性。
 幼い頃から、父というものを知らず、女手一つで育てられた照は、一人でいることがとても多く、静寂は慣れ親しんだ体の一部だった。
 昔はそれでも学校や外にいる時は、笑顔でいたような気がする。日本一のクラスにするんだと、幸せなクラスにしようとコミュニケーションを取ることに努めた事もあったように思う。
 それが、いつの間にか他人の音がわずらわしくなった。
(いつから私の中はこんなにも空虚になったのだろう…)
 最初から情など一欠けらも持っていなかったと思った。無駄なもの一つをも削ぎ落として世界の真理に適応したと思っていた。
 言葉を尽くしても、正義を重ねても優しさが理解されないのなら、全てなくなるのが自然なのだとして生きてきた。
 特に母に裏切られてからは…まるで罰が下ったかのようなその人を見送ってからは、思いは更に顕著になり、照は他人の言葉を全て排除した。無音という名の空(カラ)こそがこの世の真実。それに身を委ねている時の安らかさだけが照の中の癒しであったはずなのに。
(幸せではなかったのか…)
 同じ無であるのに、どうしてこうも違うのだろうか。
 この腕の中に一つの体温と、二つの存在があるというだけで、どうしてこんなにも幸福を感じるのだろう。
 おそらく、と照は思う。
 それは最後までいきつかない秘め事に起因している。普段のそれとまた似通っていて、ただ寄り添うように、また唾競り合いをしているように、じゃれあうように、相手の存在を確かめるように続く。それは繋がりあう肉の悦びは得られはしなくとも、照に爆発しそうな激しい恋情ではなく、熱く溶けてしまいそうな熱情を注ぎ込む。
 だからこそ、この空気に別の意味が灯る。静謐と云う名の神聖な明かりが灯る。
「…大きくて、綺麗ですね」
「…そうだな」
 そのめぐり合うことの出来た幸運を噛み締めていると、えるがぽつりと呟いた。相槌を打つと、ぼんやりした声が続く。
「初めてです」
「?」
「私が育った田舎では、こんなに大きな花火はあがりません。思い描いた大輪の花火は珍しくて、なんだかとても」
「………」
「羨ましかった」
 その零れ落ちた一言に、照の目頭は急激に熱くなり、それと連動するように胸が焼け焦げそうなくらいに膨張し、競りあがった。
「隣町には、大きな花火があがるというので、誘われたこともあったけれど。私は何度もその誘いを断ってきました。そして、夏休みも終わろうという頃の、小さな打ち上げ花火の音を私は祖父の家の縁側で聞いていた。…こんなに大きな花火を、誰かと、父や母以外の誰かと一緒に見るのは―…初めてです」
 えるの片手が照の腕を掴んで引き寄せた。
 その心開かれる瞬間に、照は何度も固唾を呑んできたし、戸惑いもしてきた。その緊張は傍にいる時間が長くなればなるほど、柔らかく解れてきてはいたのだが。
 心に張った最後の薄氷が冬の陽だまりにあったようにほろりと音も無く溶けて、消えた。


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