■【冬の陽だまり・夏の影】■ 03

【冬の陽だまり・夏の影】
―2―

 照の中で夜神月はとても稀有な存在だった。
 その頭脳も、容姿も。立ち振る舞いは完璧。
 年下でなければ、もっと自分の中で大きな存在だったのかもしれないが、生憎その時の照の目には庇護するべき対象としか、映らなかった。
 目をかけた後輩…。
 照はあの、全てが煌めいていた日々をことあるごとに思いだす。
 当時は人の感情というものにとても疎く、それで傷つけなくて良いものを沢山傷つけた。多くの後悔と懺悔をしたし、その分だけ照も傷ついた。
 だが、知らないままでよかったとは思わない。
 その為に今も傷つき、絶望しても、知らないままでよかったとは、けして。


「夜神」
 蒼空、秋晴れの遠く少し涼やかな空気を射るように、夏の名残の白い太陽がグラウンドに熱線を降り注いでいた。
 乾いた空気で喉を痛めないように最小限の口の動きで、声を押し出す。
 色を抜いたわけでもないのに、琥珀に煌めくその後ろ頭を見つけて、照は背後から声をかけた。
「はい」
 生真面目な返事を実行委員である夜神月が発した。その整った顔はチラリと照を認識して、緩やかな動作でグラウンドへと戻る。その一連を眺めてから照は夜神月の隣に立ち、競技中のグラウンドへ同じく視線を向けた。
「準備は進んでいるか?」
「…そうですね。スピーチ原稿はもう書き終わってますよ」
「どうかしたか」
「いえ」
 その口調に苦笑いの気配を見つけて問うと、夜神月がまるで照の勘違いであったかのようにさらりと否定して、照は『そうか』とだけ告げた。
「月くん!魅上先輩!」
 そして、夜神月にはそれ以上の事を促さずともやってのけるだろうと判断して、確認作業が終わると同時に離れようとしたが、僅かに跳ねた声に名前を呼ばれて、照はその場に踏みとどまった。
「これで計算上は逆転ですが、接近戦です。今、見てましたか?」
 声の主を探すと、それは照達の方に自ら走り寄ってきて、近くまで寄ると足を止め、口角をあげた。
「うん、見てた。短距離ならえるの方が早そうだね」
「ね、以前言ったでしょう?」
 走り寄ってきたのは赤い鉢巻きをつけた竜崎えるだった。
 走って来たというのに、その呼吸は些かも乱れてもおらず、好戦的に夜神月と照を見上げてくる。
(そうか、熱心にグラウンドを眺めているとは思ったが…)
「本当は直に対決したいんですけどね。あ、でも最後のリレーは男女混合です。負けませんよ」
 白組の夜神月と照に挑戦状を叩きつけて、えるはニヤリと笑った。
「僕だって、易々と倒されたりしないからね。タイムは知ってるだろ?」
「ええ、でも抜いてみせますよ」
 二人で、視線を絡み合わせて静かな火花を散らしたかと思えば、お互いがふっと笑う。
「魅上先輩にも、負けませんからね」
 最後のリレーは男女混合で赤白に分かれ合計6チームが3学年入り乱れてコースに並ぶ。奇しくも数名のアンカーの中に3人とも選ばれて、照は挑発的な口上をあげるえるを見下ろした。
「ああ」
 実行委員の一人がスピーカーで、数個先の競技の内容を告げる。それに反応して夜神月が列を成している入場門に身体をむけた。
「それじゃ、僕はそろそろ入場門にいかないと」
「ああ、そうですね。どうせなら障害物競走にでれば面白いのに」
「僕はスマートな競技が好きなんだ」
「おや、私は障害物競走も得意ですし、好きですけどね。苦手なんですか?」
「うるさいな。苦手じゃない、好みじゃないだけだよ」
 えるがくすくすと笑ってからかって、夜神月が少しむくれてから照に小さく頭をさげて小走りに向かっていった。
「……どうかしましたか?」
 それを、驚きを込めて見送っていると、えるが後ろ手を組んでひょいと照を覗き込んできた。
 我に返って、えるを見下ろす。少し癖のある髪が白い頬を撫でていた。
「いや」
「意外だ、という顔をしていますよ。」
「………」
 即座に言い当てられて、照は肉の薄いほっそりとした面に視線を合わせた。
 黒い瞳が離れない。
「月くんは負けず嫌いですから」
 赤い唇が楽しそうに呟いて、唇の端を持ち上げる。
(それは、そうかもしれないが…)
 えるの言った言葉と、夜神月の態度は照の心を少し掻き乱した。
 正直、照は夜神月のことをよく知っていると思っていた。
 確かに照はえるとは違って、上級生と下級生という間柄で、その上照がこういう性格なものだから、プライベート面における夜神月の感情のすべてを把握しているというわけではないが、それでも照は夜神月が他の上級生や、同級生に向ける顔をことあるごとに観察してきたつもりだ。
 社交的な彼だったから、確かに拗ねてみせたり快活に笑ってみせたりという場面を何度も目撃したが、今の表情は照が見てきたそのどれの中にも当てはまらなかった。
「あ、私もそろそろ行かなくては。では」
 照が頭の中の風景を何度も思い起こしていると、えるがぱっと上体を起こして言った。
 短い挨拶にも満たない声掛けに、照が呼び止める間もなく、身を翻して行ってしまう。
「……慌しいヤツだな……」
 お陰で選挙戦の状況確認をし損ねたと、走り去っていくその後姿が人ごみに紛れるまで、照は追い続けた。


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