■【冬の陽だまり・夏の影】■ 08

【冬の陽だまり・夏の影】
―7―



 えるという存在に自身をかき乱される。

 そう感じたのは、毎朝えると顔をあわせるようになってすぐのことだった。
 夜神月が何か言いたそうにしている。
 それを黙殺するたびに自ら傷ついているのだと、感情には疎い方であると自覚している照にさえ分かった。
 その度にえるは集中力を途切れさせ、思考力を低下させている。
 やはり恋だ愛だのは、碌なものではないと思いながらも、八つ当たりさえ一切してこないえるに照はイライラと腕組をした。
 このままでは照の方がえるに八つ当たりをしてしまいそうだ。
(…何を考えているのだ、私は…)
 自分で別れさせておきながら、昨日夜神月と高田清美を校舎裏で目撃した際に、『見るな』とえるの目を塞ごうとした。
 自ら傷を深くしていくえるに、これ以上の傷を負わせたくないと思った自分は、間違いなく矛盾している。
 きちんと、夜神月はえるでなくとも良いのだ、という事を思い知らしめるチャンスを自分で潰してどうする、と叱咤すると、もうひとつの声がこれ以上傷つかせ泣かせたいのか、と照の心を揺さぶりあげるのだった。


「…整理されていない、減点」
 翌日、校内点検にえるをつき合わせたのは、照の気まぐれからだった。
 斜め後ろについているえるに不備のあった箇所などを書き込ませながら、照は抜け目なくチェックしながら背後の気配を窺う。
 最初は一人で行うつもりだった。要求した全てをこなせないくらいなら最初から供などいらない。その点えるや夜神月なら及第点以上だが、それでも照は誰も付き合わせることなく済ませようと思っていたのに。
 つい、えるを呼んでしまっていた。
 それは、恐らく昨日の、えるにはショッキングな場面を共に目撃したからだろう。
 キャンプファイヤーというフィナーレに生徒会役員も含めた全校生徒がざわついている中、照はえるをつき合わせてハメを外しすぎたものがいないか、夜露に濡らしてはいけないものがないか、などを点検するための巡回にでていた。
 それは二人が付き合っている…という建前が一つと、キャンプファイヤーなどという浮かれた場所に二人とも縁がなかったからでもあった。ぼんやりさせるくらいなら動かした方が割にいい。
 照には肌が馴染まない喧騒の中から抜け出して、教室以外の場所をくまなく探し歩く。
 今年は役員が優秀だという事もあって、校舎外の整理はしかるべき形に収まっていた。
「なんだか少し寂しい気もしますね」
「そうだな…」
 秋の午後は日暮れが早い。薄闇の中、そこかしこに濃い影が伸びている学校内をそれだけ口にした後、静かに二人で歩く。
 大きな役目を十分務めあげることが出来て、一安心、というのが照の実際の心境だったが、喧騒から外れた物静かな場所でそう言われると、照の胸にも一抹の寂寥感が募った。
 恐らく数日はまだごたごたしているに違いないが、それでも今までのようにえると一緒にいる機会もなくなるのだ。
 付き合っているといっても、形ばかりで、えると夜神月がこっそり隠れて付き合っている、というようなこともないと確信が出来た今、自分のプライベートな時間を潰してまで一緒にいる理由はない。最低限付き合っているという面目さえたてばよい。
(これで解放されるな…)
 思いながら辺りを眺めているえるの横顔に視線を落とす。
 えるは有能で使える助手だ。傍に置くのに何の不足もないどころか有益な存在であるのに、最近の照はそれがどうにも苦痛で仕方がなかった。
 それは、他人と一緒にいることに感じる不快感ではなく、えるだからこそ、与えられる焦だち。
 艶のある黒髪が薄く陽に焼けた頬にかかり、その黒髪の流れに添って視線を辿ると白い首筋に吸い込まれる。
 表情の乏しいその顔はぎょろりとする程大きな目に不気味さを感じてしまいがちだが、感情のついた表情や、ある一瞬、思わずはっとしてしまう事がある。
「どうかしましたか?」
「いや…」
 辺りの静寂に相応しいひっそりとした問いかけに照もその空間を壊さないように短く小さく答えて更に一歩踏み出した。
 そして、そこで見つけてしまった。
 物陰にある夜神月の後姿と、うっすらと見える高田の横顔。
 一瞬、空気がなくなってしまったかのように感じた。
 次にどう動けばいいのか分からなくなるくらいの停滞。
(夜神―――…)
 お前はそれでいいのか。
(竜崎―――…)
 見てくれるな。
 そんな言葉が強く胸を突いて、何を馬鹿な、と奥歯を噛みながら視線を逸らす。
 この展開を望んだのは誰より照だった筈だ。
 校内で口付けを交わすなどと、と思わないでもなかったが、あの異様な執着と性交よりかはマシだ。
 一歩先に歩く。
 二歩、先に歩き。
 三歩、四歩ほど、先に歩いた。
 それで、えるがその光景を見たことは決定的だった。

「会長、次、行かないんですか?」
「あ、ああ」
 声をかけられてはっとする。
 えるは平常心そのもので、仕掛けた自分ばかりが動揺しているのが胸に痛かった。

 どうして、お前はそうなんだ。

 何もなかったかのように振舞うえると、
 二つの声に苛まれイラ立つ照と。
 先に限界が来たのは照の方だった。
「…お前はまた5本もいれるのか」
「いえ、今日は奮発して7本です」
 休日の自主点検につき合わせされたえるが、さらさらと馴れた手つきでシュガースティックをコーヒーカップに投入ながら笑いかけて、照はとうとう自分の中の何かが決壊するのを感じた。
「貸せ」
 一口飲んでみますか?と差し出したえるのカップを半ば強引に受け取って口をつける。
 その甘さといったら、一口で胸焼けをおこすの程の甘さで。
 元々甘党というのを差し引いても、甘すぎる甘味でしか心を和らげさせることが出来ないのだという事実が雪崩れた心の壁を更に押し流した。
 トン、とカップをテーブルに戻すと、えるがそのカップを取り戻して躊躇いもなく口付ける。
 それが、照の脳裏に『あの日』の情景を鮮明に巻き戻させた。
 濡れた唇で、いとおしそうな声。
「…何故お前はそういつも逆らうんだ」
「お互いさまですよ」
 だが、思い起こしたのは、その場面だけではない。
 ことある毎に視界に刻んだ、えるの表情と声とセリフとが通り抜けていって、ようやく、照は得心がいった。
 どうして、こんなに苛立ったのか、分かった。
「こんなものを飲むから頭が回らなくなるんだ」
 そう言いながら、言葉とは裏腹に即効性はあるようだ、と内心苦笑する。


 そうか、
 私は。
 馬鹿馬鹿しくも、ずっと惹かれていたのだ…。


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