■【この闇に沈む】■ 04

死にたい。
死んでしまいたい。
記憶と心が重すぎてもう一歩も歩けない。

死にたく無い。
死ぬのは怖い。
呼吸が止まる瞬間、死への恐怖。二度と体験したくはない。



…でも、そう考える事さえ、もう。


***


「………は?」
夢の中の多幸感が一層現実を厳しく感じさせた夜半。目の前の男の言葉により皮肉は疑問符に取って代わった。
「何だそのふざけた名前は」
『君』とつくからには、それは月を名指す名称だろう。不機嫌も相俟って露骨に顔をしかめると、男はきょとんとした丸い目をパチリと音が鳴りそうなほど大きく瞬かせてから首を傾げた。
「お気に召しませんでしたか?ドラキュラくんだと余りにも安直かな…と思いまして。名前が無いと不便ですし」
窓から注ぐ光で男が微かに燐光しているように見える。真っ黒な髪、底無し沼のような目。ドラキュラという名称は余程この男向けに思えた。
『ドラキュラ』
ふ、と。
道連れにしてやろうかと脳裏に過ぎる。
(そうだ、お前には後継者なんてモノまで使って新世界の創生を阻んだ罪がある。とっとと転生してこの永劫の苦しみなど僅かたりとも知らぬ顔で僕の前に現れたお前が悪い。)
あの時殺してくれなかった、
お前が悪いんだ。
(…だから、僕は一滴の血も残らない程にお前の生き血を全部啜って、満足しよう。癪だがお前の血なら随分と保つだろうしね。…そして、お前は吸血鬼として生き返るんだ。殺してなんてやらないよ)
唇の端が歪みそうになるのを精一杯抑えて、獲物を狩るのに備えた。
この男の運動神経は侮れ無いから慎重に身構える。頭脳の方の厄介さも身に染みて知っているから、チャンスは一度きりだ。
考えていた間、僅かに数秒。決意したと同時にあらぬ方向に視線をやっていた男が月に戻ってきた。しっかりと視線を合わせて来る。
「月くん」
「……!」
「名無しだと困りますので、ムーンを『月』と書いて、ライトと読む。こんなのはどうですか。それとも名乗る名前は有りますか?」
「…………」
「では、月くんで決まりです。…ムーンライト君は確かに長すぎですよね…」
にんまりと笑う男の、捉えようの無い不気味さに月は押し黙った。記憶の中の竜崎と目の前の男の顔がダブる。胸の内に苦いものが広がった。
『月くん』
『竜崎』
先程夢に見た映像。
懐かしく優しい風景。
容疑者としてだったけれど、月はあの時キラとしての全てを忘れて過ごした。
全てが輝かしく、真新しい。
普段足を踏み入れる事のないスイートに鎮座している新しい「世界」。世界のL。竜崎の隣には大学生の月では到底手の届かない知識や真実、コネクションがあった。警察庁に正規に入社したとしても竜崎と同等のレベルのモノを手に入れるには相当の時間がかかっただろう。
それがいきなり目の前に転がった。
急速に広がった視野に同じレベルで物事を考えられる友人を得て、とてもドキドキしてワクワクした。一番幸せだと感じた、夢のような時間だった。
そこは作られた箱庭とは違った。作ろうとした模造品とも違った。
…輝かしい世界。
…美しいただの夢。
隣に視線一つで意志の疎通が出来る相手がいて、初めて地に足がついたような気がしたけれど。
(…嫌いだよ、お前なんか。)
胸に実体の無い痛みが走った。
あの時、月は己を苛む苦い思いを、奥歯を噛み締めて耐えてみせた。
火口を殺し、デスノートの所有者として立ち返った時の苦痛。雷にでも撃たれたかのような、息詰まる衝撃。
輝かしい全てが灰色に塗り潰された。
全部、ウソだった。
友情も信頼も約束さえ。
それらをいきなり突きつけられてどれ程苦しく辛い思いをしただろうか。
だけど、もう戻れない。
だから竜崎を殺した後、それらを完璧に分離させて蓋をした。
なのに。
ソレが今更去来して整理がつけられない。時間が足りない。
あの悪夢は疾うに風化したと納得するだけの時間が足りない。
夢は夢でしか無かった。あまりにも甘美な夢だったから、悪夢のようだった。
そう納得するだけの時間が…。
(…あの頃の風景が…記憶が…総てが風化して、永遠の日々をさ迷ったっていうのに、僕はまだこんな気持ちに翻弄されないといけないのか)
―腹立たしい―
殺意と情が海底から産まれいずる泡沫のように次々と浮かび上がってはパチンと弾け、月の中に還っていく。
―憎たらしい―
相変わらず、敵を動揺させるのが上手い彼のままだ。
名前が合致したのは偶然だろうが、対面している個人の名前を呼ぶ――。
それは情報を引き出す手段として、悪くない。先に訂正したくなる名前で此方を呼べば合いの手で本名を返してしまう事もあるだろう。しぶしぶ答えることもあるだろう。そうすれば、予め問いに答えさせる準備も出来て一石二鳥だ。
答えなかったとしても、新たに名前をつける事によって情を掘り起こすことができる――。
きっと、そういう計略だろう。
転生しても、変わらない。
それが腹立たしくもあり、憎たらしくもあり、そして何故か―…、懐かしくもある。
(…これは僕に与えられた報復のチャンスか?)
それが神では無く、死神のような存在の者が与えたチャンスでも、月は一向に構わない。デスノートを手にしたあの日、ノートが本物だと分かって突き進んだあの日の月と変わりは無い。
退屈なのが、嫌なだけ。
借りを返さないのが、嫌なだけ。
竜崎に復讐出来る。
ただそれだけ。
だから、目の前の彼が竜崎らしくて懐かしいと、嬉しいとさえ感じるのは、こんなにも胸が騒ぐのは―…。
「月くん、具合の方はもう良さそうですね」
「…ああ。お陰様でね。完璧には程遠いようだが、今すぐ死んでしまう事は無さそうだよ」
「それでは今日の食事はもういいですね?」
悪辣な貌は隠してあくまでも穏やかに告げた。
「ああ。今日の所は充分かな?こんな手錠なんかつけるくらいだから、僕が余計な力を持つのが怖いんだろ?」
暗に我慢してやってるんだと告げながら薄く笑う。
「ええ、それはそうです。私達人間には月くんの持っているような能力に大変恐怖を感じます。しかも被食者ですからね。ですから「血液を提供する代わりに情報を」という取り引きを持ち掛けさせて貰いましたが、条件に情報提供後も私を一切傷つけ無い、その為の手錠を月くんに課し続ける事を付け加えていいですか」
「…何だって?」
いきなり釘を刺されて眉を顰めた。
それまであまり気にも留めていなかったずっしりと重みのある銀で出来た鎖を注視する。繋がれた先の男が軽く腕を上げた。ジャラリと耳に懐かしい音がする。
「この鎖はいわゆる吸血鬼ハンターと呼ばれる人間が力を込めた特別製で、吸血鬼の特別な力を奪うそうです」
「………」
嘘だろう、という呟きは胸の奥で静かに消えた。代わりに牙を咥内でこっそり伸ばしてみようと試みる。
(………)
背筋に冷たい汗が流れる。
「…それが真実かどうかは私には判じかねますが、試す事も出来ませんので。…真実ですか?」
『…さあね』
そう答えようと思った。しかしもう男の術中に嵌っている…。
「…これも吸血鬼に関する情報の1つという事かな?」
「はい」
(…よくもぬけぬけと)
迷いの無い答えに思いっきり舌打ちしたい気分になった。これでは月は『YES』というより道は無い。もしも背後にあの死神がいれば、『完全に押されてるように見えるぞ』と言っていつかのように笑うのだろう。
(…うるさいよ)
癪だが確かに押されいる。いつかの幻影の死神にそう告げると月は思考を復唱した。
竜崎への答えを曖昧にするという事は男との取り引きを破棄するという事。『NO』と答える事も出来るが、今度は男の方が取り引きを破棄した際に男を襲わない理由が無い。
後で嘘がバレるくらいなら最初から真実を言った方がいい。その言動さえ観察されているのだろうと踏んで小さく嘆息した。
「どうやら、真実のようだな」
「そうですか、安心しました」
人差し指を唇に当てて口角を上げる。そのとぼけた姿で油断を誘おうとしているのだろうがわざとらしいとしか言いようがない。
(…僕はお前の性格もやり方もよく知っている。誤魔化されて油断なんかしたりしないよ。今回は遅れをとってしまったが…最後に笑うのは僕だ)
改めて決意して眼光鋭く男を見遣る。
「そう。それは良かった。これで僕も安心して食事を要求出来るってワケだ?…ところでこんな物どこで知った?いつ用意した」
出会った時から男は既に手錠を用意していた。男がハンターで端から吸血鬼を生け捕りにするつもりだったとも考えられる。
「最初からですよ。私にはハンターの知り合いがおりまして、いつか役に立つ日が来るかもしれないから、と預けられていたのです。普通に賊などを拘束するのにも役立ちますので今回も携帯していましたが思わぬところで役にたちました」
ありがちな答えだ。情報が欲しくて畳かける。
「そのハンターの名前は。お前が僕を騙して情報を引き出そうとしていないのなら名前くらいは答えられるだろう」
「…ワタリと」
「キルシュ・ワイミー?」
今度は男が動揺する番だった。一瞬だが瞳孔が開いたのを月は見逃さなかった。
「ふふ。じゃあ君の名前もやっぱり偽名か、L」
「…どういう事ですか」
「僕達はいつでも敵対関係にあるって事だよ。一時的に手を結んでも友達になる事なんか永遠にない」
言ってしまって、可笑しくなって笑ってしまう。
月が吸血鬼として生まれ変わった本当の意味がやっと分かった。
月を月のままに、再び竜崎を殺させる為だ。
死神だか何だか知らないが、退屈を紛らわせるつもりだろう。でなければ、こんな転生の仕方、説明がつかない。
『互いの退屈しのぎになったじゃないか』
死神の言葉が脳裏で繰り返される。
「ふふ…」
「?」
『色々面白かったぜ』
「はははははは!!」
「…」
「…いいよ、L。お前に全面的に協力してやろう。僕は死ぬまで永遠にお前に危害を加えないと誓うよ。ただし、お前と共に行動するのは百体の吸血鬼を始末するまでで、有事の際には鎖も外して貰う。一緒に心中はごめんだからね。後は…そうだな。鎖を外した後でも死ぬまで僕に血を提供することかな。これが条件だ。どうだ?」
「………すぐに呑める話ではありません、が」
月は目を細めて目の前の男を眺めた。こいつは契約が嘘っぱちでも、そんな事に頓着しない男だ。微かでも勝機さえあれば懐に飛び込む。月の知っている竜崎とはそういう男だった。
「…呑みましょう。私の命が終わるまで他の血を取らないというのなら」
「契約完了だな」
月は猫のように目を細めて笑った。




≪back SerialNovel new≫

TOP