■【Lovers】■ 13

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 英

闇夜の中を走る車が、ドイツ邸の前で緩やかに止まった。
急激に走ったから一気に回っただけらしく、家につく頃には自力で歩けるようになっていたドイツが、車外に出ると、後部座席のドアを開いた。ドイツ邸の扉側に近いイタリアから連れて行くらしい。
前の車ではプロイセンによってスペインが引きずられいく。
イギリスは二人の姿を見送ってから、次に引き渡すロマーノの体勢を整える為に先程まで彼の髪を弄っていた腕を体の方へと回した。頭のたんこぶに障りがないように留意しつつ、イギリスも体を捻って正面から抱きしめるようにして凭れかからせた。
これでドイツがロマーノの脇に手を入れやすいだろう。
イギリスは肩の力を抜くと、視界に映る大きなたんこぶに目をやった。
会場でひっくり返ったのは、どうもドイツだけの所為ではないらしい。
その数秒前にイタリアが彼の兄であるロマーノを巻き込んで突っ込んでいたらしく、二人の間にあったタイムラグが悲しい事に一致して、プロイセンを除く全員を押し倒したというのが真相のようだ。
そして、ロマーノとイタリアはどうもその時にたんこぶを作ったらしかった。
(まぁ気絶するくらいだからな…)
イギリスはドイツがイギリスの頭を反射神経的に庇ったので特に怪我はなかったのだが、ロマーノは災難である。イタリアにドイツのような機能はついていない。
ロマーノの後頭部に生えたたんこぶを見て苦笑する。ロマーノの弟であるイタリア自身もたんこぶを作っているが、彼のたんこぶは額である。間抜け面この上無かったが、座席に普通に座らせる分には問題無かった。しかし被害にあったロマーノはそうでは無い。後頭部にあるたんこぶのせいで、車体が揺れる度に悲壮に呻くので見かねて肩を貸してやった。
今、ロマーノは何故かぐずるようにイギリスに顔をぐりぐりと押し付けている。先程と変わった事といえば…
(…ったくしょーがねーなー)
どうやら髪を弄る感触が無くなったのが不満だったらしい。
全く子供のような仕草にイギリスは新大陸の子供の姿を思い出した。
彼もまた子供の頃は甘えん坊で、イギリスに抱っこされたまますやすやと眠っていたものだ。あやす手を止めれば、もっと、というようにぐずったりして…。
懐かしい気持ちを思いだしてしんみりとする。腕の中の小さな重み。その重みがイギリスの抱えられる最上の幸せだった。すぐに大きくなってこの腕の中からすりぬけてしまったけれど…。
(あいつの髪もさらさらだったよなぁ…)
するんとしたストレートの髪質が気持ちよくて、子供をあやすのが半分、自分が楽しむのが半分、イギリスは眠る子供の髪をねだられるまま弄っていたものだった。
可愛い可愛い新大陸の子供。
もう、あの時のように触れる事はない。
(ああでも…コイツも見事なさらさらで…)
たんこぶを避けてその感触を楽しむ。細く柔らかい気先が指先をするりと流れて行った。
(絹糸みたいだ)
ロマーノの頭を支えてやった時にそれに気付いて、つい手遊びしてしまったが、やはり中々楽しいものである。
でもそれだけに没頭する事は出来ない。ここまでやって来たイギリスだが、ドイツ邸に泊まる気は無かった。ロマーノを下ろしたらそのまま車を出して貰うつもりである。
「すまないがコイツを下ろしたら駅に行って貰えるか?」
頼むと言葉少なくイエスと返って来たので「頼む」と返す。
(早く戻って来やがれ)
ロマーノを抱いたまま後方を振り返る。手の動きが止まった事に気づいたのか再びロマーノがぐずった。イギリスの腰に腕を回して強くぐりぐりと頭を押しつけられる。
「…まったく…」
普段から甘っちょろい奴らだと思っていたが、相当だ。スペインは甘やかし過ぎなんじゃねぇの、と人が聞いたらお前が言うな、と批判されそうな事を思いながら宥めるように撫でてやった。
「カークランド」
「ああ」
しばらくしてロマーノ側の扉が開いて、ドイツが手を差し伸ばして来た。プロイセンがフランスを連れ出そうとやって来たのとほぼ同時刻だったから、上手く逃げきれそうである。
「…ほら、ロヴィーノ」
ドイツにその体を預けようとするのだが、車内で思うように動けない。コバンザメのようにくっついたロマーノが離れてくれずにイギリスはイライラと声を上げる。
「ロヴィーノ!」
ドイツも手伝ってくれるのだが、離そうとすればするほど余計ひっつく。とても寝ている力とは思えない。
だが、打ち上げ会場でも怯えていたロマーノが、起きていてイギリスにくっつくとは思えないので、寝ているのだろう。
(ったく、余計な手間取らせるんじゃねーよ!)
「…おい、この糞マカロニ。そんなに痛い目にあいたいか」
寝ていても、声は脳に届く。
どすを利かせた声にびびらせて、離れて貰おうと思ったのだが、びくっと震えた体が怖がるように余計にひっついてしまった。
(あーもー勘弁してくれ…)
早くしないとプロイセンが帰って来てしまうでは無いか。それにぐりぐりされるのが地味に痛い。
「お前ら何してんだ」
「ひっ!」
イタリアが座っていた側から声がかけられて思わず飛び上がる。
「早かったな、兄さん」
「フランシスに尻撫でられたから途中で捨てて来た」
(あんの糞髭!時間稼ぎにすら使えねーのかよ!)
「で、お兄様はどうした?」
「それがカークランドにくっついたまま離れなくてな…」
「ふーん。んじゃ、お前がこっちから出た方が早そうだな」
「は?」
どういう意味だ、と訊ねる前にロマーノがひっついている隙間からプロイセンの腕が差し込まれる。「何すんだ」という文句を言う暇も無く、イギリスの腰に回った腕にぐいっと体を引き寄せられた。
「!」
思わず顔に朱が上る。急に引き寄せられた事によるバランスの悪さよりも、腹に回された腕の方が気になってしまう。
(ば、ばかぁ!)
胸の内で怒鳴っている間に、車の端まで移動させられる。同時にロマーノの頭が胸から膝に落ちた。
「ちょっ…!うわっ」
更に引き寄せられ車外に引きずり出される。一瞬体が浮いて慌てる。ひっついたままだったロマーノもまた、半分車外に引きずり出され、そして重力と無理な体勢に負けたロマーノの手が漸く離された。
「ルッツ」
声を掛けられてドイツが「ああ」とロマーノを抱き上げて連れて行った。イギリスは抱き寄せられた格好のまま、ドキドキすることしか出来ない。
「で、幾らだ?」
「え?」
「あ、いや、俺は…」
「いいから勘定してくれ」
プロイセンが声をかけて運転手が戸惑った声を上げた。それに我に返って自分の主張を押し通そうとするとプロイセンに遮られてしまった。
「おい!」
強引に押し切ろうとするのに声をあげる。プロイセンがチラリとこちらを伺って「ウチは夜中に女一人でうろうろ出来るほど安全じゃねーぞ。着替えならエリザに頼んでもいいし、明日駅に取りに行ってやってもいいから、泊まってけ」と言われてしまった。
運転手もそれに納得したのか勘定を済ませてしまい、なすすべも無くタクシーは去ってしまった。ドイツの家はかなり大きい。男二人で住むには広すぎる。きっと『エリザ』という言葉に女性の家族がいると判断されて置いていかれてしまったのだろう。意図的に出しやがったな、とイギリスは眉間に皺を寄せた。一番有り難くない展開である。二人っきりになってしまった挙句、このまま逃げようとしていたのまでバレてしまった。
「…イギリス。」
「…んだよ」
「別に怒ってねーよ」
名前を呼ばれて体を竦ませたイギリスに、いつもと同じトーンでプロイセンが言った。
「あ…」
唇が震える。その先は聞きたくない。
顔を上げられないイギリスの前に、支払いを済ませる為に離れていたプロイセンが立ちはだかる。そのままぎゅっと抱擁された。
「…や」
ぞくりと得体の知れないものが背筋を駆け抜けて身震いする。二人っきりになって抱擁されただけで、もうどうしていいのか分からなかった。
「…やめ…」
「ただ、すっげーショックだった。…今もな」
淡々と事実を述べる声に、イギリスの胸は締め付けられる。思わず押し黙ったイギリスに向けてプロイセンが言葉を綴った。
「たかが一週間だけど、お前の事が好きだ」
「…………」
「何で逃げんだよ」
「……………」
「逃げるなよ」
「…………………」
「イギリス」
「……………………もう、」
切実に呼ばれて、泣きそうな声になった。心が震えて息が、胸が、苦しくなった。
「もう、止めてくれ…。俺には無理なんだ」
「………」
「…苦しい」
そう告げると、ゆっくりと体が離れた。
目の前の顔が渋面を作ってこちらを見据えて来る。イギリスは感情が揺れて昂ぶっているのを感じながら、せり上がった胸の苦しみを吐露した。
「苦しい、これ以上好きになったら耐えられない」
だからここで終わりにして欲しいと暗に告げると、油断したのかぽろりと涙が零れ落ちた。
昂ぶった感情をどうする事も出来ずに喘ぐように「ごめん」と呟く。
「ごめん…ごめん…、ごめ…」
バカみたいに『ごめん』を繰り返すイギリスに、プロイセンが重い溜め息をついて、
唇でその言葉を封じた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇side 普

唇に触れると目を瞑ったので、一度離した唇を今度は隙間なく併せた。
舌を差し入れて絡め取るとギュッとこちらの服を掴んで来る。
弱い所を擽ると鼻に抜けた声を漏らした。
『やめてくれ』という癖にキスに応えてくる。
『ごめん』という癖に、縋ってくる。
いい加減、プロイセンにもどうしてやればいいのか分からない。
(ふざけんなよ、畜生…!)
思いをぶつけるように唇を併せれば、拒否する事はない。
腕の中に収めれば、ちゃんとこちらに身を預けてくるというのに、どうして駄目なんだよとプロイセンは内心、苦く罵った。
ちゅくちゅく舌を絡めあって、しばらくして顔を離す。
唇を伝う銀糸を親指で拭ってやって額を併せた。もう、イギリスの涙は止まっていた。
お互いに言葉は無い。ただ時間だけが無為に過ぎていく。
その刻々と過ぎゆく時間をプロイセンはどうする事も出来ずに、甘んじて受け流す事しか出来ない。
何か一言。一言で、いい。何か言わなければと思う。
けれど、浮かんでくる言葉は一つもなかった。
(泣くなんて卑怯じゃねーか…)
惚れた相手だ。泣かせたくはない。しかもあんなに苦しそうに言われては、強引に踏み込む事は出来なかった。
(バカ野郎!これ以上好きになるのが怖いからなんて、引き下がれるわけねーじゃねーか…!)
だが、イギリスの掛け値無しの本音だろうから、無碍に切り捨てる事も出来ない。
本当は何が怖いのだと問い質したかった。でも、イギリスは解決策なんざ望んじゃいないのだ。今、これ以上踏み込んだら、またやめてくれと言って泣きだすに違いない。
夜風が寒かったのか、イギリスが身震いして、漸く解放した。
「客間は空いてるから好きに使えよ」
手を握って先導する。情けない顔を見せないように正面だけを向いて歩く。手を引くと大人しくついて来たので、家に連れて入り、客間に通した。簡単に説明して「じゃあな」と部屋を後にする。
(くそっ、情けねぇ!)
結局最後までイギリスの顔を見ることは出来なかった。
見てしまえば、
寂しそうな不安そうな顔を見てしまえば、手を離す事など出来ない。口では何のかんの言いながらプロイセンがどうしてもと望めば一時なりとも受け入れるだろうと知っている。だが、イギリスの心は余計頑なになるだろう。今度こそどんな手段を使ってでも会話すら拒否されるだろうから、だから、身動きが取れなかった。
(でもだからってこのまま離れる事が最善なのかよ…?!)
冷たい廊下を歩きながら頭を振る。気を抜くと今出てきたばかりの部屋に戻ってしまいそうで、キツく奥歯を噛み締めその場で目を瞑り、激情をやり過ごした。
そのまま暫く立ち尽くしてどうにかやり過ごすと、小さく溜息を吐く。衝動はいなしたが、部屋に下がる気分では無い。
仕方なく居間へと向かうと、弟が酔い覚ましにかコーヒーを淹れていた。
「…兄さん」
「あー、酒くれ」
頼むと何か言いたそうな顔はしたが「ヤー」と頷いて、酒の用意をしてくれる。
静かなリビングにグラスを用意する音を響かせながら、弟はすぐに所望の品物をソファーに沈んでるプロイセンの前に置いてくれた。自身は向かい側に座る。
「…その」
暫くの静寂の後に声がかかって、プロイセンは酒に口をつけながら目線だけで「何だよ」と問い掛けた。
「…あれで本当に付き合っていないのか?」
「あー…」
「すまない…見るつもりでは無かったのだが…」
『見たのか、さっきのを。』
そう言外に含ませると、頬を赤くしたまま謝られた。
まぁ、路上でしていた此方が悪いので「気にすんな」と前置きした後、
「そうみてーだな」
と苦笑した。
「……………」
何やら言いあぐねている様子の弟に苦く笑うと、プロイセンはグラスを置いて吐き出すように告げた。
「好きになるのが怖いんだと」
「…それは…」
「わかっちゃいたが、あり得ねぇよなぁ…」
これ以上好きになったら耐えられない、とか言われて引き下がれる男はいまい。いたらその面を拝んでみたい。
「スタートラインにさえ立っちゃくれねぇんだぜ?」
その癖こちらの恋の土俵をうろうろとうろつくのである。
「やってらんねぇ」
(でも好きだ。)
我ながらそんなにこだわる必要など無いと思う。
始まったばかりの恋を摘みとれない事もない。
忘れようと思えば忘れられる筈だった。決心さえすればプロイセンにはそれが出来る。往生際の悪さは並みではないが、諦めることだってちゃんと知っている。
そして、イギリスもそれを望んでいる。
けれど、進めない道では無い。努力次第でなんとかなるんじゃないかと思えるから簡単に諦めるつもりにならない。
(つか、理屈じゃねぇよ…好きなもんは好きなんだ…)
「まじ止めちまおうかな。気にいる奴くらいすぐに出来る」
それでも弱音が口から出た。口を開けば情けない愚痴ばかり漏らしてしまっている。
「兄さん?」
「…悪ぃ、聞かなかった事にしてくれ」
目を丸くした弟に即座に断って、プロイセンはグラスと酒瓶を掴むと立ち上がった。
弟に叱咤して背中を押して貰いたいなんて随分ヤキが回ったものだ。
「部屋で飲む」
踵を返してリビングを去る。あのままあそこにいたら、とんでもなくみっともない事を口走りそうだ。
扉を閉める直前に弟の大きな溜め息が耳に聞こえたが、今のプロイセンには気に掛ける余裕などこれっぽっちも残っていなかった。


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