七転八倒堂

「…どうしてキスなんてしたのですか」
「竜崎から『キス』なんていう言葉が聞けるとは思わなかったな」
「…はぐらかさないで下さい」

【KISS】

それは突然我が身を襲った。
「…」
気がついたら、と言うべきか。

知っていたような気がした。
分かっていたような気もした。
でも、気がついたら、私の至近距離に彼の顔があった。
夜神月、の顔。
それが私を塞いでいる。
私の唇を塞いでいた。

時は数分前。
今日もぬるめのお湯で禊ぎをし、既に上がって鎖で繋がれた夜神月はシャワーカーテンの外側。
普通に考えると男どうしだ。それにここ(捜査本部)には広いの風呂もある。
一緒に入った方が効率もよく、更に夜神月が不審な行動に出ないかをも、見張れる筈なのだが。
夜神月とは、風呂の温度が合わなかった。
彼はシャワーにしろバスタブのお湯にしろ、熱めを好む。
彼にすれば「これが適温だ」そうだが、私にとってはただの熱い湯でしかなく、そうなれば、その熱い湯はたちまち私の思考力や体力を奪うであろう。そんな事はあってはならない。
そして、夜神月が通常より熱い湯を好むのであれば、手段はあったのだが、これは私の体温が低いせいであるので、仕方がなく、私はシャワーカーテン越しの、少しぬるめのバスタブの中に浸かっていた次第だ。
軽くシャワーで最後の汚れを落とし、ぱさぱさと大判のバスタオルで体を拭くと、沢山ある簡素な服に手を通した。
「…月くん、お待たせしました…」
「ああ竜崎、…なんだ、またちゃんと拭いて無いじゃ無いか…」
「大丈夫です、心配ありません。ここの空調は完璧です」
しっとりと濡れた肌に、髪の先から零れ落ちる水滴をそのままに、バスルームを出ようとする私の腕を、夜神月はがしりと掴む。
「…ダメだ。どうして竜崎はこういう事は大雑把なんだ…。」
「大雑把なのではありません。これで平気なだけです」
伸びて来る夜神月の手から逃れようと小さくもがく。
「何子供の屁理屈みたいな事を言ってるんだ。全く…、竜崎の親の顔が見てみたいよ。…竜崎に親がいるのも不思議な気分だけどね。まさかキャベツ畑から産まれたワケじゃ無いだろうし」
「…コウノトリが運んで来たので、乾かさなくとも平気です」
淵に追い寄せられない内に夜神月の腕をくぐろうとしたが、それは失敗に終わった。
二度目の敗戦だ。
「今日は僕の勝ちだ、竜崎。いつもはしてやられてる僕だけどね…今日こそは髪くらいは乾かして貰うよ」
にこり。
不思議な具合に唇を上げ、微笑む夜神に、私は肩を落とす。
私もテコで押しても動かないクチだが、彼も相当な類だ。
「…分かりました。でもドライヤーは嫌ですよ…」
溜め息を吐きつつ肩を落とす私に、夜神月は機嫌が良さそうに『よし』と呟いた。
そのままタオルを取り、私の頭に被せる。
「ちゃんと乾かせよ」
そう言い、彼は私が髪を乾かし終わるのを待つ。
退路を塞いだままで。
「…月くん、せめてここを出ましょうよ…。私ちゃんと拭くと言いました。」
げんなりした様子で夜神月を見上げる私に、彼はしばし私の瞳を凝視した後「そうだな」と後方にずれた。
…まるで私の方が探られているようだ…。
そしてそれは真実だろう。
彼が私という人間を探る為の偽装工作である可能性が高い。

…もしも、キラが誰かに操られていたとして、今の彼に記憶が無い…と言う考えだったとすると、確実に違和感が残る。
現在の状況では、彼が演技をしているか、彼が彼自身の意志により、その記憶を手放した。
あの切迫した状況で、より効率的に証拠を隠滅し、私を殺す為の策として、懐に飛び込んだ。
そう考えるのが一番辻褄があうのだ。
…まあどちらにせよ、彼は私を殺すだろう。
そういう確信がある。
それでいて、私は彼の侵入を許してしまっているようにしか見えない。
彼は容易に私という人間に近づいて来る。以前も今も。
「どうした？竜崎」
「いえ。…なんて月くんは執拗なのだろうと思ってました…」
すっと彼の脇をすり抜け、バスルームから出る私の後に続き、むっとした様子の夜神月が、追いかけて来る。
「…そうじゃ無いだろ…。竜崎の周りの人間が疎いだけだ。父さん達だけじゃ無くて、竜崎の両親は何も言わなかったのか？」
「…はあ…。確かに周囲の大人は何事か言っていましたが。」
「…………。僕が悪かった…。周りのせいにして。諸悪の根源は『この』竜崎だ…。周りは仕方ない」
「…言いますね」
カシ…カシ…と緩慢な手つきで頭を拭きつつ、挑発的な言葉を口にする夜神月を少し睨みつける。
「月くん、アイスを取って下さい。私今手が塞がっているので」
「…そりゃ言うさ。やりたい放題じゃ無いか、竜崎は。…全く、そうやってすぐ人を使うし。持ってくる僕も僕だけどね…。」
コトン、とアイスがガラスのテーブルの上に置かれた。
続いて、夜神月の盛大な溜め息が私の耳に届いた。
「…竜崎…。それ乾かすつもりあるのか？…それじゃ乾かしてもいないのと同然じゃ無いか…」
「…ちゃんと拭いているじゃ無いですか」
「…拭いて、無い。なんだ？何かの魂胆か？竜崎ならやりそうだ。手の上に乗ってるようで癪だけどね…。ほら、貸して…」
「…む」
私の手の代わりに、夜神月の手が、私の髪を拭く。そういえば、ワタリにもこうして乾かして貰った事が幾度もある。
「…月くん、優しくお願いしますよ。」
「はあ？！」
「…私はアイスを食べるので…」
ぱかりとアイスの蓋を開け、スプーンで冷たく、甘くあるクリームを掬う。
「まったく！本当にやりたい放題だな、竜崎はっ！」
「…月くん、痛いです…」
語調と一緒に、頭の上を這う指にも力が籠もった。
「竜崎に文句を言う権利は無いよっ！」
「…私は乾かさなくとも平気だと言ったのに」
「～っ！分かったよ！丁寧に拭けばいいんだろ？！」
「その調子です」

「～～～～っ、んとうに手に負えないよ、竜崎はっ」
「そうですか。有難うございます」
「褒めて、無いっ」
その優しい手のタッチとは別に返って来る語調に、器用だな、と思いながら、小さく笑む。
これだけ見れば、夜神月もただの負けず嫌いな子供だ。
(…確かに、殺せる能力を持ってしまった人間は不幸かもしれない)
いつしかの夜神総一郎の言葉が脳裏を掠める。
「…ほら竜崎、終わったよ」

続く≫

≪new[3] NOVEL back≫

[0]TOP。