■【タイム・リープ〜凍結氷華U〜】■
09
悲鳴にも似た絶叫に、人々が起きないはずもなくて、 何事だと駆けつけた皆に事を知られたのだと、後で竜崎に教わった。 【タイム・リープ】 〜凍結氷華U〜#9 「……月くん。」 「………」 「…月くん。」 「………」 「何がショックだったんですか?」 さらっと言われて、月は涙目で竜崎を振り返った。 「何でもっと早く教えてくれなかったんだよ!!」 「…知らなかったとは思わなかったんですよ」 あの長い放埓を終えた後、月はしばらく正気に戻れなかった。 竜崎の上になだれ込んでぼんやりと空白に浸る。初めての感覚から意識が浮上したのは、既に皆が部屋を去った後だったのだ。 その際、竜崎は淫蕩とした表情を浮かべて少し笑っただけだった。世界の切り札は本当に何事も規定外だ。 それで、そんな事があったとは露とも知らず、動くことさえままならずに明け方近くまで気だるい体を横たえたのだった。 「…ああもう、お前には羞恥心ってものがないのかよ!」 「羞恥心、ですか。…どうでしょうね?何に対しての羞恥なのか、というのにもよると思いますが、あるとは思いますよ?でも、どうして今回のことで月くんがこんなに恥ずかしがっているのかは分からないです」 「………」 (お前に普通を求めた僕が悪かったよ。) ガクリと項垂れる。竜崎の証言によると、昨日のコトはお子様以外の全員に知られてしまったらしい。 皆のあまりのよそよそしさと、松田の顔の赤さに気付かなければ(気付かないなんてことないとは思うけど)月は多分その周知の事実を一生知ることはなかっただろう。 (恐ろしい…) 眉をひそめてあまりの恐怖に慄く。引っ張り出された竜崎は指を唇に宛がったまま小首を傾げた。 「愛し合う行為の一体何が恥ずかしいんでしょうね?あ…ちょっとすみません。どうした、ワタリ?」 「………」 あれだけ欲しかった竜崎の愛情が、これほど厄介に思うことなど、これから先無いだろう。月は諦めも一入、最早何を言っても伝わらない事に落胆して投げやり竜崎を見遣る。竜崎が真剣な顔で短いやりとりを終えると、「月くん」と口を開いた。 「少し厄介なことになりました。今からこれからのことをお話しますので頭を切り替えてください。…とりあえず、すぐにでも建物の外に出て行きそうな勢いの粧裕さんに私が事情をお話します。そして月くんはその間、ワタリと連絡をとって相沢さん達を捜す手筈を整えてください。今、今朝方発生した低気圧が急成長しながらこちらに向かっていると報告を受けました。月くんと私がビルに閉じ込められた規模の大低気圧です。この周辺には建物が少ない。巻き込まれれば相沢さん達の命の危険がでてくるでしょう。頼めますか?」 息もつかない勢いで告げられて、月は表情を改めると頷き格納庫に急いだ。ヘリには色々な設備も整っている上、皆が寄り付かない。 またあれに見舞われるとなると憂鬱な気分になる。ここのところしんしんと雪が降り積もる程度の、比較的穏やかな気候が続いたから少しだけ油断していたようだ。 思い返してみれば、竜崎と二人閉じ込められたあれは台風のようなものだったに違いない。今度は春一番が変化したか。 (ともかく早く見つけなきゃな…) まず、低気圧の位置と発達速度、予測進路。相沢等の行方を可能な限り衛星を使い丹念に調べたが思わしい結果ではない。 「不味いな…」 カリっと親指の爪を噛んで、ふと苦笑する。なんとなく始終爪を噛む竜崎の気持ちが分かってしまった。月はそれまで自分の力ではどうしようも出来ないことに対面したことがなかった。あまりにも大きな物事を目の前にして、人一人の力など非力すぎることを思い知る。それは強すぎる重圧だ。 (竜崎はいつもこんなものと戦っていたのか…) そこには世界の切り札としての自負もあるだろうし、己が最後の砦だというプレッシャーもあるだろう。傲慢な言い方をすれば、竜崎が解けない事件は世界の誰もが解けないと言っても過言ではない。それを竜崎自身が知っていた、のだ。それはどれほどの重さなのだろう。 例え扱う事件の殆どが竜崎にかかれば息をするくらいに簡単な事でも、何十、何百という依頼が舞い込めば、さしもの竜崎も辛いだろう。 事件自体は読み解けたとしても、それを示した捜査員たちがどう動くかまでは詳細に指示を出せるものではない。それでもその為に失ってしまった命はおそらく当然のように竜崎の肩にかかるのではないだろうか。 それが世界の切り札という名の重さ。 (…竜崎…) 月がLの名を奪った時は、Lはキラ事件に手いっぱい、という様子だったし、犯罪も7割減少した。月がそれを背負うことはまったくと言っていいほどなかったから想像もつかないが…。 黒い隈、不規則な生活、過剰な糖分、爪を噛む癖。背中を丸め、膝を抱えて防御の姿勢をとらないと落ち着かない竜崎の姿が頭に過ぎる。 重圧が、そして陰惨な事件の澱自体が竜崎の心に目に見えぬ間に降り積もっているのではないか。パズルとしては上手く解けたとしても、どんなに目を背けたくなる事件にも、私情を挟まずに正確に読み解かなければならない。その辛さ。 それらは精神にも、肉体にも傷を残すのだろう。それは想像するだに恐ろしい。 ワイミーズハウスは孤児院だった。竜崎の生い立ちは知らないが、Lの後継者を孤児から育てようと思ったのは恐らくは竜崎自身が孤児だったからだろう。元々竜崎自身がそういう性格だったにしろ、その上に幾重にも幾重にもその重さが降りかかる…。 その傷ついた体で生きていくのに、竜崎は心をも凍結させなければならなかったのだろう。竜崎は月に『どう思っているのか』と問われて『分からない』と答えた。Lにはそんなもの、必要ないから。それはキラも同じ。 だからキラに惹かれた。原因も症状も全く違うが、シンパシーのようなものを感じないではない。月が人としての情けや心を棄てたように、竜崎もまた。 (事件を一つ紐解く度に…辿るたびに最悪な気持ちになったんだろうな…) ぐっと胸が詰まった。 頭の中に殺した人間の顔が次々に甦る。 けれど月はそれだけ多くの人間を裁いた過程で、その人間の最期まで見届けたことは数えるほどしかない。ノートに死に様をかけばそれで終わりだったのだから。 それでもこんなに、苦しい。 明らかに罪を犯した人間を、ノートという媒介を使って殺していただけで。こんなに苦しいのだ。何の罪もない、自分を信じた人間を死においやってしまった、竜崎の心痛はいかほどのものだったろうか。 FBI、南空ナオミ、宇生田さん、コメンテーター、名も知らない警察官。半分はミサのしでかしたことだが、月がキラとして手本にならなければそんな罪を犯さなかっただろう。恐らくは、自分の家族を殺した犯罪者の名前を書き、その起こった結果に恐怖して所有権を手放して、終わりだったはずだ。いや、もしかしたら、自分の名前をノートに書き込んでしまったかもしれない。 Lが天職だったとしても。 月は竜崎が竜崎自身を犠牲にして守った世界を殺した。 『死にたくない!』 恐怖に満ちた声が頭の中に弾けた。 『逝きたくない!』 自分の声が脳内に響き渡る。 『死にたくない!』 それにこの間見捨てるしかなかった男の声と姿が頭に映し出される。 『死にたくない!』 それは助けてくれ、というのと同義で、その男の目には死の恐怖と、同時に生への妬みがありありと浮かんでいたのを、月は知った。 何度『何故、お前が生きている―。』と悪夢に問いかけられたことか。 『大量殺人犯のお前に、生きる価値などあるのか』と断罪されたことか。 目の前でレイ・ペンバーが死ぬのを見届けた。その瞳には『何故』とはっきり書いてあった。 『なぜ』 『何故』 『どうして、殺した』 呼吸が極端に狭まる。 空気が上手く吸い込めなくて、喉を掻き毟るようにする。脳裏にPTSDだ、と閃いた。 (くそっ!ついに発作まで…!こんな時に発作なんて起こしてる場合じゃ…) 喉を塞がれたような閉塞感にパニックに陥りかける。心臓麻痺を起こした時の恐怖をまざまざと思いだして、更に喘いだ。ざあっと血の気が薄くなるのが分かって更に焦れる。 (…大丈夫だ…!発作で死にはしない…!息を…、息を吸い込み過ぎちゃ…過呼吸に…、ああ…でも…) 苦しい。苦しくて堪らない。 ガタン、と倒れ伏した音にワタリが反応する。 大丈夫だ、と言いたくても言葉にならず、耳も遠くなり、全神経が収縮し、霧散し、死への恐怖にのたうった。 「月くん…!」 「お兄ちゃん!」 微かに月の名前を呼ぶ声が聞こえる。 (ワタリが呼んだの…か…。また心配を…) 聞きなれた声と、自分以外の体温を感じて、月はふっと意識を失った。 ≪back SerialNovel new≫ TOP |