■【タイム・リープ〜黒いトンネル〜】■ 02

帰りたくないと思った。
気の迷いだ。

【タイム・リープ】
―黒いトンネル―#2


タン!と軽い足音と共に月らがはっと正気に戻ったのは、誰もいない捜査本部のモニタールームでのことだった。
まだ、軽く息はあがっている。月は少しだけ汗ばんだ竜崎の手をふと見つめてからぱっと離して咳払で誤魔化しながら、室内を眺めた。
「一体…どうなってるんだ?僕らはまだ外を走っていたはずだ…」
「そうですね…、その筈です。よくは覚えていませんが、あの曲がり角で変な空間に紛れ込んでしまった…」
竜崎は動揺することもなくカツカツといつも座っている椅子に無造作に歩み寄り、靴を脱ぎ捨て腰掛けるとあれこれとボタンを押し始めた。
途端に空調が息を吹き、月はそれを数秒眺めてから竜崎の隣に立ち寄った。
モニターに付属してある内臓時計を眺めると、7時を過ぎたところ。
丁度一時間で戻ってくるという計算にはあっている。
しかし、違和感は拭えない。そもそも空調も、モニターさえもついていないというのがおかしな話で、月が窺うように竜崎を見下ろすと、「月くん」と竜崎の唇が音を紡いだ。
「?」
「これを見てください」
「ん…?…!」
その文字列を認識して、月は「バカな」と呟いた。
月が先ほど確認した時間の上方には日付が記されている。
問題はその日付が有り得ない日付を指していることだった。
「…故障?」
「それは、ありません。…月くん、ノート…死神は?」
言われてばっと振り向いた。
よくよく観察してみれば、捜査本部の机の上には物1つ、置かれていなかった。つい1時間前までは色んな資料で埋まっていた机が、だ。
代わりに机を覆っているのは長年蓄積した埃で、月はゴクリと喉を鳴らした。
「レムさん、いますか?」
いつものように丸まった背中から頭だけを回転させてレムを呼ぶ竜崎を振り返る。
心なしか竜崎の面にも色が無い。
「…一体どういうことだ」
震える唇で月はそう呟いた。


別段、変わったことなどしていない。
竜崎と二人連れ立って捜査本部を出てから特に何をするでもなく「今だけはキラ事件の事は忘れよう」ととりとめもない話をしただけだ。
月にしろ、竜崎にしろ、キラ事件の事を忘れることなんてできはしなかったが、この1時間だけでも表面上別の話をすることで、竜崎に少しでも穏やかな時間を配慮することで、この感傷を埋めてしまいたかった。
他愛ない話で空を見上げたりしながら二人並んで歩く。
(だって君はもうすぐ死にゆくのだから)
神にたてつく犯罪者には格別の温情かもしれないが、キラ出現まで世界の最後の砦だったのは紛れもなく月ではなくLなのだ。それに敬意を表して、Lである竜崎に、おそらく小さな頃から記号でありつづけた日常とは別のものをくれてやろうと、思った。
ただ、ぷらぷらと無駄な時間を過ごすというのは、人間に与えられた最大の贅沢だろう。やるべき事、成すべきことが膨大にある神には、そして人類の最後の砦であるあるLには無為な時間などおよそ無縁の話。だから、とりとめもなく歩き、軽く会話をし、心からの笑いでなかったとしても微笑み、それから時にはこの異様な甘党の為に買い食いをしてみる…。
Lとしての竜崎はキラとしての月と波長があう。最大のライバルとして。
けれど、Lではない(とは言い切れないが)竜崎と、キラでは無い夜神月とも、実は波長はあうのだ。基盤が同じなら有り得ない話ではない。
だからついつい、もしも、と考えてしまうことがある。
こういう時に人間上がりの自分を恨めしく思うことがあるが、それも仕方のないことなのだろう。人間として生きてきた時間の方が長すぎた。
少しくらいは感傷に浸ってもバチはあたるまい。
(こういう形でなければ出会うことは一生無かったのかもしれないし、もしかしたら僕が警察庁に入った後にPC越しに話すことくらいはあったのかもしれないけど…)
それでもこうして隣を歩く可能性は微塵もなかっただろう。
「そろそろ、1時間ですね、戻りましょう」
だから、竜崎がそう切り出した時に、月は思わず口を開いた。
今聞かなければ、きっともう二度ときけないと思ったからだ。
「ああ…そうだね。…ねぇ、竜崎」
「なんですか?」
「お前、この後どうするつもりなんだ?」
「…キラが絡む話は『無し』なんじゃなかったんですか?」
「もう散歩も終わりだからいいんだよ」
「随分勝手な話ですが…、ま、いいでしょう。…もう一冊のノートを探し出します。キラ事件を解決、します」
思わず、笑いそうになってしまった。
(お前は本当に僕の思惑外の存在だけど、思い通り動いてくれるよ。)
あくまでも、月を主犯とする線を消す気はないらしい。それでこそ月のライバルだが、それゆえに命を落とすのだから滑稽な話だ。
「そしたらさ、どうするの?また、誰にも姿を見せずにLに戻るの?」
「私はどんな名前を名乗るにせよ、L以外の何者にもなったつもりはありませんが」
(本当に強情でお前らしいことだね…。今もそうだっていうんだろう?本当に涙ぐましいくらいにLに適任だよ、お前は)
そう心の中で嘲笑って、月は努めて穏やかな表情で続ける。
「そういうことじゃなくて、つまり、僕達の前から姿を消すってことだろ?って言いたいんだ、僕は」
「当たり前でしょう?姿を現す必要がなくなったのならば、容易に私の居場所がばれる体勢をとるべきではありません」
「ノートがあるのに?」
「私は事件を解決する。それ以上は私の分ではありませんが、そうですね。…私の同意なしでノートに触れるようなことがあれば焼却する、そういうシステムを作る、それで十分だと思います。まあ当然もうしばらくはあの本部にいますよ。それが、何か?何か都合の悪いことでも?」
「…だから、僕はキラじゃないって。お前もいい加減僕を疑うのはよせよ。事実を受け入れろ。でもまあ、都合が悪いといえば、悪いかな。お前に会えなく、なる」
きょん、と竜崎の目が一瞬開かれてから、また再び胡乱な光を湛えて、胡散臭げに月の顔を覗きこんだ。
「どういう、意味ですか」
「そういう意味だよ。僕達友達だろう?しかも、お前にとっては初めての。友達なんていつも傍にいるものじゃないけどさ、容疑者としてでも、お前の傍にいるのは楽しかったから。言っただろ?お前がLだとするなら、それは僕の尊敬する人の名前だと。…まあ、尊敬するには竜崎は子供っぽすぎるけど」
「……どういう、意味ですか」
「ははっ。そのまんまだってば。能力は疑うまでもないけど、人間性はちょっとあれだろ?竜崎は」
「月くんに言われたくありません」
「僕だって竜崎には言われたくないよ。…まあ、そういうわけだ。Lを僕は尊敬している。友達として好いてもいる。だけど竜崎は生活にも捜査にも無軌道に過ぎるから、僕がちゃんと管理してやらなきゃ。僕を雇うつもりはない?」
「…月くんみたいな、ひよっこをですか?」
「お前は本当に失礼なやつだな。年齢の差は埋まるわけがないだろう?でも、それを引いても有り余るくらいの能力はあると思うよ。お買い得じゃない?」
「…そうですね。考えてみないでもないですが…。スリリングな日々ですね」
「だから、僕はキラじゃないってば」
月の話が決着のつく前のただの言葉遊びだと察したのか、Lが唇の端をあげて笑ったから、月も笑いながらそう答えた。
そういう未来があっても、良かった。竜崎にとっても、そうだったろう。図に乗っているわけじゃなくて。
Lはキラを捕まえる。
キラはLを抹殺する。
それが二人に課せられた消えることのない運命だとしても、
その運命から目を逸らすことなど出来ない二人ではあっても、
ほんのちょっとくらいは。
…夢見ないまでも、頭に過ぎったことすらないなんて認めない。
そしてその奇跡はもしかしたら、有り得たことかもしれなかった。
月がこれから先、ノートを手放すことなんて考えられない。そんな危ない橋を渡るつもりもなく、キラでなくなる事を選ぶことも無い。けれど、月は一度だけノートを、キラを手放した。…それは、Lを殺すため、月が神になるための絶対不可欠のシナリオだったからであったのだけれど、同時に月が月として竜崎の傍にいるためのたった一つの賭けでもあったのだ。
もしも、竜崎がもう少しだけ人間らしい感情があったとするならば、月が月として生きていく可能性もないではなかった。月がキラである記憶を失くしている、それさえ分かっていれば、その間の月自身をよくよく観察していれば、好意を持っていればー…、
Lの対面に傷がつく事を恐れず、真実を闇に葬ることを怖れず、Lが月に偽りでも負けを認めることが出来たなら。月にノートを触れさせることがなければ、ミサを追及することがなければ…。
キラを亡くすが、夜神月は傍に残ったのに。
それをよしとしないが為に竜崎は死ぬ。
だが、竜崎は本人の言葉通り、Lでなかった日など、一瞬たりともなかったのだ。そして、真のキラを得るために、夜神月を亡くした。
(そんなLに敬意を表して、最後の日には、お前に僕がキラだという事を教えてあげるね)
その日を思って、月は内心暗く嗤う。そうして同時に、霊のようにかすかに残る夜神月の残滓に少しだけ切なく微笑った。
キラが復活しない限り、ノートを検証することなどない。そして、23日で火口が死ねば、月とミサに疑いが戻ることはない。ミサに疑いが戻ることを、レムは嫌うだろう。23日のルールさえ証明すればミサは自由に人間らしく、暮らせる。月は例外だとしても、死神が人間にかかわったことでその人間は不幸になる。その事を身を以って知っているレムは尚更ミサを庇わずにはいられないだろう。火口が死ねば、レムが死ねば、ミサは幸せに暮らしていくことができる。月の障害にさえならなければ、ミサを殺すことはないと死っているレムなら、必ずそうする。
自分のノートの所有者を殺す事は死神の掟に左右されない。関係あったとしても、どのみちレムが死ぬだけだ。掟は存在するだけ、破ることは出来る。
よって、レムは死ぬ。名前を書いて、その者の死が確定するまで40秒。もう少し時間の幅があるとするならば、6分40秒。レムの気転からすれば、レムの死の後検証されぬようにノートも何らかの処置をとることが出来た筈だった。
まあ、これは本当に痛恨の、最後の手段だったのだけれど。
キラとして捕まるのと、家から小火が出るのと、どっちがいいか、その選択と同じだ。
どっちの目が出るかは、月にも分からなかった。竜崎の性格ならば恐らくキラが復活し、Lが死ぬだろう、それくらいの確率だったに過ぎない。
そして、月はその確率に勝った。
勝って嗤った。Lの最後の日にもう一度、心の底から嗤うことが出来るだろう。
けれど、と月は思う。
それ以外の未来がないでも、なかった。キラとしての私情を挟まずにその未来を考えた場合、月は竜崎の傍にいようとするだろうし、竜崎もそれだけの犠牲を払ってまでして目を瞑ったキラ容疑者を手放しはしないだろう。
その未来を夢想する瞬間は、やはり、切ない。
(もうすぐ、本部だ…)
それが月と竜崎の決別であることを、竜崎も知っているだろう。
(だけど…やっぱり僕もまだ人間だから、少し切ない。)
もう少しくらい、後十分くらいはこのままでいてもいいのに、などと思ってしまう。
けれど、それはなしだ。
帰りたくないなんてあってはならない。
月が神であるために。
竜崎がLであるために。
月がこの道を選んだ。
竜崎がこの道を選んだんだ。
Lであることを選んだんだ。

バカだね、竜崎。


掴むものさえ変えていれば、生き残る道もあったかもしれないのに。




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