■【タイム・リープ〜黒いトンネル〜】■ 08

迫るのはのっぺりとした、闇だ。
月はそれに追いかけられ、足を縺らせながら、一本道をひたすら走り続けた。
ぜえぜえ、とまるで脆鳴のような呼吸音が頭に響く。その浅く忙しない呼吸を繰り返しながら、鉛のような足を半ば引き摺るように持ち上げた。
肺も、体も、精神も疾うに限界を超えていたが、それでも背後から迫る闇への恐怖心には勝てない。何を考える間もなく、本能が体を突き動かした。
それでも、と月は最早分離してしまったかのような思考のかた隅で、思う。
(出口の無い闇を、走り続けて、何になる…)
いっそ止まってしまえば、と二分された心が呼びかける。
ゴールがあると確信できていれば、走り続けることも出来ようが、その確信はどこにもない。ただ、恐怖に煽られて、呑まれてしまえば終わりだと告げる本能に突き動かされて今まで走って来たが、今では呑まれてしまうことがゴールなのではないかと思いたくなる。いや、もう既に、思っている。
後は、考えるよりも先に動いてしまっている手足をいかに宥めて、立ち止まるかだ。
思って、一歩一歩と歩みが遅くなる。
きっと呑まれてさえしまえば、それも悪くないと思える。そう言い聞かせれば、更にスピードは落ちた。
遂に月は立ち止まり、ガクリと頭を落し、虚ろな思考で、見納めとばかりに前を向いた。
背後が闇に引っ張られる。
視線の先に、微かに違った光が見えた。


【タイム・リープ】
―黒いトンネル―#8


「………っ!!!!!」
声もない悲鳴を上げて、月はばっと飛び起きた。
心臓がドッ、ドッ、と鼓動を強く刻みつける。
「…こ、こは…」
見開いた目には赤に近い橙の光に照らされた白が映った。
「…ここは…」
過呼吸のせいか、カラカラになった喉をさすりながら顔を上げる。
こじんまりとした小さな部屋…もといキッチンを認識して、月は心の奥底から吐息を零した。
「…夢か…」
なんだかデジャヴを感じるな、と体を丸めながら一人ごち、そこでふと一緒に飛ばされた筈のもう一人の存在を思い出した。
「竜崎?!」
狭い室内の内に月はただ一人きりで、再び鼓動が先走るのを、引き攣った笑みを浮かべることで嗜めようと奮闘する。
「…どうせ、トイレだろう?すぐ帰って来るさ…」
言い聞かせるように呟いて、思わずギクリとする。今見たばかりの夢はどんな夢だったか。
一人走って、月は途中で…。
…もしかして、自分一人が残されたのだとか…
そう思った瞬間、ぞっと身の毛が弥立った。
(なんで…、どうして走るのを止めたりしたんだ!!!!)
闇に呑まれる瞬間に見たのは、今までの一本道とは違った。微かに隣に道が見え、その道は月の走っていた道と繋がっていた。Y線状に二つの道が縒られて一つになっている道だった。
(そうだ、そういえば、こちらに来る時も、最初僕は一人で走っていた…)
だったら、もう一方から走って来るのは、竜崎だったはずだ。
そして、月は一人で目覚めた。
「あ……」
ガタっと体が震える。こんな所に一人で、どうしろと。
一人で、独りでどうやって、この孤独と不安に耐えればいい、戦えばいいというのか。
(何が呑まれるのも悪くないだ…!もう少しだけ、走っていれば、もう少しだけ前を見つめていれば、こんなことにはならなかった…!!!)
一度落ち着いた呼吸が加速する。慟哭が喉から競りあがる。
ずっと独りに耐えて来た。そして独りであることを選んだつもりだった。
理解されぬ孤独も、それでいいと。
だが、独りは嫌だ。死ぬのは嫌だ。独りで死ぬのはもっと嫌だ。
「りゅ…竜崎っ!!」
「はい?」
遂に上り詰めて来た塊が口についた途端、間抜けに低い声がした。
「…竜、崎?」
「はい。どうかしましたか、月くん。…ああ、すみません外の様子が気になって少し席を外していました」
ガラガラ、ピシャリ、と竜崎が扉を閉めて入って来る。
「……………、ど、こに…どこに行ってたっ!?一体どこに行ってたんだよ!!お前は火の番をするんじゃなかったのか!勝手に席を外すなよ!!」
止まった呼吸が溶解し、へなへなと腰が砕けて再び布団に突っ伏した後、猛烈に怒りが込み上げてきて、感情に任せて怒鳴りつける。
竜崎の目がまんまるに開かれて、まるでこの世ならざるものを見たかのように、月を凝視している。
その目に見つめられて、月は理不尽9割の言い訳じみた不安で竜崎を詰ったことにはっと気がついた。
「…すみません。どうしても気になったものですから。今度からは月くんを起こしてから行くと誓います。私が軽率でした」
先に謝られて出鼻を挫かれてしまった。口の中が苦い。
「…寝汗が酷いですね…。着替えますか?」
俯いてしまった月の傍に竜崎がちょこんと座りタオルを差し出した。それを受け取ることも出来ずに唇を噛んでしばし耐えて、それから小さく「ありがとう」とそのタオルを受け取った。
「では、着替えをとってきても?」
「悪い、頼むよ…」
月が激昂した理由を竜崎が分からないはずもない。気を使って確認を取って出て行く竜崎の気配が消えるのを待ってから、月は手渡されたタオルに顔を押し付けた。
(独りじゃなくて…良かった――…)




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