■【タイム・リープ〜月の選択〜】■ 02

未だ厚い雲に遮られて太陽は見えなかったが、吹雪は衰えた。
月らは、よい機会だとして、立ち上がった。


【タイム・リープ】
〜月の選択〜#2



外に出るにはまず出入り口を確保する事に専念する事が肝要だ。
出たはいいが、安全な本部に戻れないでは意味がない。
非常用の階段は開口部が外開きになっているので開かない。仕方なく凍りついた防弾使用の窓を部屋を温めたり、バーナー凍った部分を溶かしたり、バール等を使用してこじ開けると、ベランダと窓の間に厚く積もった雪がどさりと内側になだれ込んできた。
「まずはこれをどうにかしなきゃね…」
肩を竦めて、吹雪が衰え始めてから月が作ったシャベルもどきで雪を掻き出す。
いかんせん本部は最先端な仕様で出来ている為にバーナーなどはあれど、最も庶民的な文明の利器は用意されていない。月が部屋部屋にある資材を使いシャベルもどきを作りだすと、竜崎は「器用ですね」と人差し指を咥えながら「それで二重底を作ってノートを隠していたんですか?」と聞いてくるものだから、口癖になった「僕はキラじゃない」を返しかけて、「ああそうだよ」と答えてやった。
「そうですか」と納得して手伝うでもなく月が作業するのを見つめていた竜崎だったが、今は一緒になって雪を掻き出している。
相変わらずの猫背で作業をするものだから、月よりも少しだけ覚束ない様子ではあるが、思ったよりも手際は良い。
ただの安楽椅子探偵ではないようだ。実は案外これまでもちょくちょく現場に出ていたりしたのかもしれないなどと思いながら掻き出した雪で、ベランダまでの高さを埋めるための階段を作ることにした。
飲み水の為の水を使うわけにはいかないから、雪の一部を溶かし、階段となる雪の塊に水をかける。少しずつ凍らせ固まらせながら雪段を作ると竜崎が「流石ですね」というので、照れくさく「そんな事ないさ」と幾分ぶっきらぼうに答えた。世界のLにこのくらいの事で「流石」と言われても、自慢にはなりはしない。
雪を溶かしつつ休憩する番を交代しながら階段造りを進め、完成した頃にはもう暗くなり始めていた。
「もう、今日は休もう、竜崎。後はこの道が潰れないように時々雪を掻すればいい」
「分かりました、月くん」
ペタペタと手袋を嵌めた手で雪を均していた竜崎が立ち上る。月が最後に表面を凍らせると、窓を開けたままその代わり各階にある防火用のシャッターを下ろすと部屋に戻る。戻って竜崎が振り返った途端、月はぷっと吹き出した。
「なんですか?」
「かなり鼻の頭赤いよ、竜崎」
「人の事を笑えますか。月くんだってそうとう真っ赤ですよ」
「え?本当?まあ、そうか…」
「ええ、伊達男が台無しなくらいです」
「その伊達男ってのヤメロよ。なんか、イマイチ褒められてる気がしない」
「ではナイスガイ」
「お前なんか僕に含むところでもあるのか?」
「いいえ?」
と言いながら竜崎が手袋をのけた手で月の鼻を摘み、ふっと笑う。
すぐにそのイタズラをやめて「部屋を暖めましょう」と懐中電灯を置き火をつける竜崎を「子供扱いするなよ」と月はジロリと睨みつけた。ついでに「雪を弄るお前の方がよほど子供みたいだったぞ」と付け足す。生来の負けず嫌いだとは自覚している。
それにどう反論してくるかと身構えていた月に、けれど竜崎はあっさり月の言を認めた。
「ああ…こんな状況で不謹慎かもしれませんが、中々楽しかったです。こういうのを童心にかえるというのでしょうか」
「もしかして、初めてか?」
「ええ。月くんは雪遊びをしたことはありますか?」
「東京には雪が少ないからあまりないけど、祖父母に会うために田舎に行った時にかまくらを作ったことがあるよ。あれはちょっと楽しかった」
「そうですか。道理で慣れているはずです」
頷くと竜崎は冷え切ったコートを交換して低位置に座り込む。それと入れ替わりに月がお茶を沸かすために立ち上がった。
「退屈でつまらないとばかり思ってたけど、どんな経験が役立つか分からないね」
「そうですね。知識として知っているのと実際やってみるのでは思ったのよりも違ったりしますしね」
「どうだった?今日は何か違うことあった?」
「とっても寒かったです」
「それは、だよね。」
「雪があんな感触だというのも体験してみないと分からないことです。ぎゅっと真新しい雪を踏みしめる感覚は独特のものでした」
「雪の日に外に出ることは全くなかったの?」
「いいえ?ですが、キッチリと整備された道ばかりでしたから」
「ふーん。外出することはあったんだ」
「多くはないですよ。テニスの経験もほぼ室内のコートでしたし。中でも生きるための支度をするのにあれこれしたのは今回が初めてです」
「ああ、ジュニアのチャンプね。でも、生きるためのっていうのは僕もだ。たまにキャンプとか林間学校とかで外で自炊する機会はあったけど、後はずっと学校に行ってただけだし。毎日の生活の事は母さんがやってくれてたから気にも留めなかったけど、考えてみれば炊事はまあ…学校の調理実習でやったってことにしても、洗濯もしたこともなくて退屈だってのもどんなもんかなっていう話だよね…、っていうか」
「?」
蒸気を吹き出し始めたケトルを睨みつけるようにしながら月は「気持ち悪い」と呟いた。
「何がですか?」
「いや、寒いし、あんまり気にしないようにと思ってたけど、もうずっと着たきり雀だよ?竜崎は気にならないのか?」
「気になりません」
あっさりとした答えに月は盛大な溜息をつき眉間をほぐす。生活水準は竜崎の方が圧倒的に良かったはずなのに衛生的な感覚は欠落しているようだ。この生活落第者め、と内心罵りながら入ったばかりのお茶を差し出した。
クローゼットの中には同じ服が沢山入ってはいたが、手錠生活に入る前はちゃんと着替えていたのかどうにも怪しい。
きっと糖分さえ与えていればこいつはゴリブリ並みのしぶとさでどんな生活環境に措いても生き抜くに違いない、と思いながら月も席に座った。
「でも、生憎僕はそれに耐えられそうにないよ。入浴までは望まないにしても、せめて体くらいは拭きたい…。でも、飲料水に手をつけるはけには…」
「あるじゃないですか」
「え?何が」
「外に大量の雪が。さっき月くんが溶かして使ってたんじゃないですか。汚染されちゃった科学物質もこれだけ降れば残っていないでしょうし、安心して使えますよ。その辺の壷にでも入れて運びましょう、飲み水にもできます」
「それだ!吹雪く前にそっちも確保しなきゃな。むしろそっちが優先か?食べ物よりも飲むものがないとアウトだしね」
ぶつぶつとこれからの展開図を頭の中で広げていると、竜崎が「楽しそうですね」と口にしたので、視線を合わせる。指先が冷えているのか、いつものように奇妙な手つきカップを持たずに両手を添えて口許に宛がったカップの隙間から、竜崎がこちらを窺っている。
「さっきは言葉の綾でちょっと楽しいって口にしたけど、別に楽しくはないよ」
「いえ、楽しそうです。というか、活き活きしています。生まれたことを実感できる機会があれば、良かったですね」
「………わかってるよ」
キラという事を知っていて、何事もなかったかのように接するかと思えば、竜崎は時折こうやって谷間に突き落とすような意地の悪い事を言う。出会ったときから変わらない。
月が世の中をよくしてやろうと思ったのは事実だ。けれどその根源がどこからやってきたのかと言われれば口を閉じるしかない。月はリュークに言った一言を覚えている。
『退屈だったから』
人を死に追いやったという事に呑まれたことも事実だが、恐怖から逃げるためだけならばリュークが現れた時点で所有権を飛ばすこともできた。それをしなかったのは、自らの行いを、正当化した正義を棄てることが出来なかったのと、再び退屈な日常に戻るのが嫌だったからだ。
「分かってる」
底の無い竜崎の闇色の瞳を見ていると、断罪するのは光だけではないのだなと思う。苦悩や苦痛を呼び起こす闇もまた、罪人を断罪する。
月がその視線から逃れるようにそっと視線を逸らすと、竜崎は先に摂っていた夕食の最後の一切れを飲み込むとご馳走様でした、と呟いた。
「あの出入り口の確保もし続けねばならないでしょうし、私は先に寝ます。3時間で交代です」
そしてとっとと布団に潜り込むと、お休みなさいと言って竜崎は目を閉じた。その竜崎を尻目に月はなんなんだよ、と独りごちた。


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