七転八倒堂

「あのさ、竜崎。これ見てくれないか？」
「何でしょうか」
捜査本部のモニタールームの前。
「この木田っていうやつの口座が少し、おかしい」
ハッキングをかけたデータの一部を薄く発光しているディスプレイの映し出し、Ｌに向けた。
「…」
言われてから、Ｌの目が月の示すディスプレイに移った。
無言のまま、理知的というにはおよそ遠い、しかし世界の総てを見透かしているような瞳が、提示してある情報を瞬時に読み取っていった。
「…そうですね…。口座は開設したばかりのようですが…少し、おかしい。今回のキラは犯罪者の裁き以外の殺しもしているようですし…」
「まあこれだけでキラとつながっている可能性があると断定するのは早計だとは思うが。」
「…そうですね。」
「…？調べた方がいいだろう？」
「はい…月くんの言う通りだと思いますよ。可能性は…低くは無い。お願いします」
「…。竜崎…」
「何ですか？」
「…いや。なんかさ、少し変じゃ無いか？」
「…何がです。木田の事じゃ無いですよね。…私、がですか？」
かじ、
爪を軽く噛んでから、少し虚空を彷徨いた視線が月に当たり瞬きした。
「ああ。どことなく動作が緩慢というか。疲れてるんじゃ無いか？」
「…別に。…、」
「竜崎」
「はい」
「疲れて無いとは言わないだろう？」
一度否定した言葉の後の空白を後押しするように月は語調を僅かに強めて言った。
Ｌの瞼がゆっくりと二度程開閉する。
「…確かに、全く疲れて無いとは言いません。そういえばいつもより体が重いような気もします…が…」
「…休め」
「嫌です…」
「…竜崎…」
ふいっと逸らされた視線と言葉に、月は軽くため息をついた。
この強情なヤツをどうすれば休息させられるか、思考を巡らせた。
「…あ、父さんお帰り。父さんからも何か言ってやってよ」
タイミングよく外から帰って来た自分の父親に、月は話を振る。
「…何だ？どうかしたのか。」
「竜崎がね、体調が悪い癖に休もうとしないんだ」
「悪くありません。少し疲れているだけだと言ったはずです」
話を聞いた父が何か言う前に、Ｌが先程と同じ内容を繰り返す。
「でもお前、いつも殆ど寝て無いだろう」
「依頼があった時はおよそこういう生活です。気にしないで下さい」
「…それはいかんぞ、竜崎。寝食は生活の基本だからな。少し休みなさい。」
父が元来の性格の為かそう諭すように言うと、Ｌは少し困ったような顔をした。
父は時折Ｌに対して息子にするような態度で接する。
今のところ、上司と部下のような立場関係であるが、それがプライベートのような環境になるのにＬが弱いのだという事は先刻承知済みだ。
それが少し悔しくもある…と月は思ってしまうが、Ｌの頭を縦に振らせるためには仕方ない事だった。
「会った時から目に隈があったから少し失念していたが…。これからは必要最低限の睡眠くらいはとるべきだぞ、竜崎」
「…とってます。それに、私は事件を解決しないと眠れない性質なんです」
「は？！何を言ってるんだ、そんな事したら、すぐに体調を崩してしまうぞ？！…もしかして、僕が来る前からそうだったのか？…ああ、そうだったんだろうな…言われなくとも目に浮かぶ…」
「何を言ってるんだ、竜崎！１日や２日ならば分からないでも無いが、キラ事件が始まって何日経ってると思ってる！…まさか、今まで殆ど寝て無いなどと言うのか？！…分からないでも無いが、少しは自分の体を大切にしなさい…」
スピーカーのように両サイドからの音声攻撃に、Ｌの眉間に深い皺が寄る。
今にも耳を塞いでしまいそうな表情に親子揃って手を額にあて溜め息をついた。
「休め」
「休みなさい」
ユニゾンに響く重さのある声に、Ｌは大きく溜め息をついた。
「…解りました。このままでは平行線ですし、時間の無駄だ。…言われてみれば少し疲れているようですし、忠告に従うとします。…有難うございます…」
最後に付け加えられた礼に、親子は苦く笑う。
「それでは私はワタリの所に行ってこよう」
別の場所に籠もっているワタリの居場所を知っているのはＬと父だけで、その中継役として時折父が出向く事がある。
「では竜崎を頼んだぞ、月」
言って再び出て行く父の後ろ姿を見送って、Ｌに視線を戻した。
「…本当に似てますね…、貴方達親子は。」
呟いて、Ｌは椅子に座り直した。
「…そうかな。父は尊敬してるけど…、………。…あのさ…何してる…んだ…？」
もし、自分の考えが当たっているならば。
そう考えて絶句し、引きつった表情で声をひねり出す。
竜崎はそんな月を不審に思ったのか、眉を潜めて顔を向けた。
「何って…言われた通りに休んでるんですが」
「…………」
いっそ小気味良いくらいに、当たり前の事のようにそう告げるＬに、軽い目眩などと言うにはおこがましいくらいの衝撃が頭を襲う。
世界一だと言われる『天才』に分類していいだろう探偵がする事では無い。
ある意味世間から逸脱している、しているとは思っていたが、よもやこれ程とは…
「…僕達が言うのはさ…ベッドで、ちゃんと寝ようよって事なんだけどね…。寝ている時は推理なんかしなくていいんだし…椅子じゃなくても文句も無いだろう…」
疲れきった月の声音に、それでもＬは首を傾げた。
「しかし。それでは夜神くんはどうするのです。ここには最低一人はいりますし、作業が出来ないでしょう」
「…そうだけどさ。それなら模木さんに頼めばいいだけだし、僕はこれを向こうに持って行くだけだ。幸いにこれで出来る事は沢山ある。竜崎が心配するような事じゃ無いさ。」
「…………」
「それとも、僕が縄抜けならぬ手錠抜けでもして、お前が寝ている間に部屋で何かしないか心配か？」
「…それは、そうですが…。」
『そうなのかよ！』と月が芸人であったのならそう突っ込みを入れたい所だったのだが、月は溜め息一つで済ませた。
(言うと思った…言うと思ったけどさ…。…ただの冗談だったんだけどね…)
自分で話を振って傷つくなんてバカみたいだ。
思い、胸の底から溜め息が混みあげる。
「不安なら、監視カメラでもつければいい。僕はそれで構わないさ。どうせ取りつけてあるんだろう？スイッチをつけないだけで」
溜め息の代わりの言葉を口元を上げて押し出した。Ｌが眉根を寄せて此方を見たが、有無を言わせず、立ち上がる。
「さあ行くよ、竜崎。スイッチ入れて。僕は模木さんに伝えるから」
言って、別室で資料の整理をしている筈の模木にマイクを通じて話かける。
「じゃあ、お願いします。…よし、いいぞ竜…。…何？」
「いえ。やはり前と違うな…と」
「…竜崎…。その話はまた今度だ。」
「おや、殴らないのですか？」
「…病人を殴る趣味は持って無い」
からかうようなＬの言葉に、眉間に力が入るのを感じた。
「ほら、立って。行くぞ」
「…分かっています。そうせかさないで下さ…い…？」
ぐいっと促すように鎖を引っ張るのに、Ｌは緩慢な動きで足を下ろす。
ぺたり、と片足が床につき、立ち上がるのだと思った瞬間、Ｌの体が傾いだ。
「！竜崎っ！」
抱えあげようとしてたノートパソコンを放り出し、Ｌの体を支える。
「どうした？竜崎らしくー…」
「すみません…、少しバランスを崩してしまったみたいで…月くん？」

続く≫

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